表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Fated Oath ―誓約の果て―  作者: りんごあめ
第一章 絡まる運命 ─ Entwined Fates
35/71

第33話 ある少年の失踪 前編

 魔物の討伐実習が終わって数日後。学院にはいつもの日常が戻りつつあった。午前の実技練習室。巨大な防御結界が淡く煌めくフィールドで、Eクラスの生徒たちはそれぞれ課題をこなしていた。


「レナ、こっち手伝ってくれる?」


 声をかけてきたのはエリックだ。左腕にはまだ白い包帯が巻かれているが、その表情はいつものように朗らかだ。その笑顔に誘われて、レナは小さくうなずき、ゆっくりと歩み寄る。


 エリックの隣に、見慣れない少年がいた。淡い栗色の髪が風に揺れ、優しい琥珀色の瞳が穏やかに曲線を描く。制服の裾から覗く手は白く細いが、指先は薬品のインクでわずかに染まっている。実験好きの証拠だろうか。


「彼、カインっていうんだ。魔術薬の調合、めちゃくちゃ上手いんだよ」


 エリックが肩を軽く叩くと、少年は照れたように頬をかすかに赤らめた。


「えっと、はじめまして。僕は、カイン・アルヴェール。いつもエリックからレナさんの話、聞いてました。この前のC地区、大変だったんだよね。生きて帰ってきてよかったよ。怪我は大丈夫?」


 カインの声は羽毛のように柔らかかった。


「は、はい。エリックが助けてくれて…。私はレナです。よろしくお願いします」


 自分でも驚くほど、声がか細かった。けれどカインは否定も嘲笑もせず、ただ安心させるように微笑む。


「あの後お咎めなしで良かったね、エリック」


 カインがエリックの方を向いた。


「まあなー。がっつり怒られたけどな!でも剣筋がいいって褒められたぞ」


 エリックはにやりと微笑んだ。


 その日の課題は「初級防護札の簡易調合」。エリックがにこにこしながら説明する横で、カインは小瓶の栓を器用に抜き、とろりとした白銀薬を匙で量った。


「この配分、少しだけ霊草の粉を増やすと安定するんだ。やってみる?」


 彼は自分の筆記用紙の余白に即席のレシピを書き込み、レナへ差し出す。透明なインクが陽光を反射して、文字が淡く輝いた。


 レナはおそるおそる粉を足し、札に薬液を垂らす。ぽん、と音もなく、札面に純白の紋様が花開いた。


「きれい……」


 思わずこぼれたその言葉に、カインは「成功だね」と柔らかく笑った。小さな成功体験が胸に温かく灯り、レナの頬にも薄桃の色が差す。



 実技室を出るころには夕陽が校舎の窓を朱に染めていた。エリックが先に資料室へ行くと言って手を振り、二人きりになった帰り道。カインはポケットから色とりどりの紙片を取り出し、レナに見せた。


「学食のポイント券……ベリータルトがまた入荷するって。よかったら一緒にどう?」


「……いいんですか?ベリータルト、好きなんです」


 レナはパァッと明るく微笑んだ。カインは嬉しそうに首を傾げる。並んで歩く歩幅は、驚くほど自然にそろった。すれ違う風の匂いが、これから始まる小さな日常を予感させる。


 そして、数日が経ったある日。


「今日も学食行く?放課後は魔術用品店行こう」


「うん、いいよ」


 そんな会話が当たり前になった頃。その温かな時間を、冷たい視線が遠くから射抜いていることには、レナはまだ気づいていなかった。



 ***



「……」


 魔術用品店の角、朽ちかけた看板の下で、レオンは立ち尽くしていた。


 遠くに見える、レナの笑う顔。

 隣で自然に話す知らない少年。

 緩やかに流れる夕暮れの空気。


 レオンの手がポケットの中でぎゅっと拳を握った。


(……誰だ、あいつ)


 理屈ではわかっていた。パートナーも必要、友達も必要。

 レナだって、学院生活を“普通”に過ごしているだけだ。


 それでも、“あの場所に、自分はいない”という現実だけが、胸の奥を焼いた。



 ***



 血の匂いが濃く立ちこめる部屋。依頼された標的は、裏で魔術薬の密売に関わる男だった。情報を吐かせた後、レオンはとどめを刺すだけのはずだった。


 何かが壊れた。剣が振るわれた。何度も。何度も。何度も。


 血飛沫が壁に、床に、天井に飛び散る。

 原型を留めないほどに肉が裂かれ、骨が砕ける。

 男が絶命しても、レオンは止まらなかった。


(──消えろ)


 心のどこかが、そう叫んでいた。名前も知らない“あの少年”の姿を、レナの隣で笑っていた誰かの記憶を、この手で“全部、なかったことにしたかった”。


 ふと我に返ったときには、レオンは剣を手に、血に塗れたまま、息も絶え絶えに立ち尽くしていた。


「……クソッ」


 剣を床に落とし、手のひらを顔に当てる。感情が読めないほど冷えた瞳で、ただ──虚空を見つめていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ