第28話 誕生日プレゼント
レオンの部屋の前にレナは来ていた。重厚な結界の鍵を、手馴れた様子で解く。一つずつ、指先で紋章をなぞり、最後の魔力を通すと──扉が静かに開いた。
「ふふふ、ちょっと遅れたけど!今日は気合い入れるぞおー!」
自分の部屋では狭いからと、今日はレオンの部屋を借りることにしたのだ。机の上には温かい手料理。端には、小さなケーキ。そして──丁寧に包んだプレゼントの箱。
「うんっ。計画通り!喜んでくれるかな……?」
万年筆を選ぶのに、エリックと何時間も店を回った。悩みに悩んで、少しだけ予算を超えた。生活費は削った。でも、後悔はしていない。プレゼントが安いとか高いとかじゃない。
それでも、レオンが何かを書くたびに、今日のことを思い出してくれたら嬉しい──そんな気持ちだけで、選んだ。
扉が開いたのは、夕刻だった。
「レオン!おかえ──」
その一瞬、レナが両手を広げて笑った時。レオンは動けなかった。
部屋の中には、料理の香りと優しい光、赤い苺のケーキ。
そして──真ん中に立つ、笑顔のレナ。
「今月、レオンの誕生日だから。ちゃんと準備、したんだよ」
「……俺の、誕生日……?」
「うん!ちょっとだけ遅れちゃったけど、本で見て覚えてたの。確か今月で、17歳でしょ?」
その言葉に、レオンは小さく目を見開いた。本当の誕生日なんて、レナは知らないはずだった。学院に提出した書類は偽りなのだから。それでも、彼女は“今の自分”をちゃんと見て、祝おうとしてくれている。
「……何で……こんな……」
声が震えたのに、自分で驚いた。
「えっ!レオン?嬉しくなかった?」
「……いや。違う。……嬉しすぎて、わからなくなっただけだ」
小さく笑って、レオンはその場に膝をついた。差し出されたプレゼントを受け取り、そのまま、彼女の手を取る。
「ありがとう。お前が、俺の誕生日を祝ってくれたこと。……俺はきっと、一生忘れない」
この部屋に、こんな温もりが満ちたのは初めてだった。
凍りついたような、無味乾燥な生活。殺しも、裏の仕事も、誰にも頼れず、独りでやってきた。
だが今、レナがいるこの空間だけは──
温かかった。
自分を全て捨ててでも、守りたいと思った。この穏やかさが、いつまでも続けばいいと願った。
「……来年も、お前に祝ってほしいな」
「うんっ!もちろんっ!」
レオンは、笑った。17歳の誕生日。偽った過去を捨ててでも、この今を抱きしめたかった。
このときは、まだ思っていた。
この先も、永遠にこんな日々が続くのだと──
***
誕生日の夜から、まだ数日も経たない頃。
薄曇りの空の下、路地裏の建物から血の匂いが滲み出ていた。床には何枚もの紙片と破れた椅子の残骸。壁に血痕。天井にまで血飛沫が飛んでいる。そこに立つのは一人の少年──レオン。剣の刃先からは、まだ鮮血が滴っていた。リゼはドアにもたれかかり、飽きもせずネイルの先を見つめていたが、ふとレオンに視線を向けた。
「──あら、珍しく機嫌がいいわね。いいことあった?」
レオンは振り返らない。ただ無言で剣を鞘に収める。
「……別に、何も」
「ふふ、派手にやったわね」
リゼの視線は天井の血痕をなぞり、唇の端をわずかに吊り上げる。レオンは彼女を一瞥する。
「情報は吐かせた。これで終わりだろう。行くぞ」
それだけ言うと、足音もなく路地を出た。リゼはその後を軽やかに追う。ハイヒールの音が、石畳に乾いたリズムを刻む。
二人は並んで街を歩いていた。華やかな中央通りでは露店の喧騒、すれ違う人々の声が聞こえてくる。だが、レオンは何も言わない。言葉どころか、呼吸すら置き忘れたように静かだった。リゼはそんな彼の横顔をちらりと見る。いつもと同じ、空っぽのような眼差しだった。だが、突然、その瞳が一点に止まった。
「……?」
リゼもその視線を追った。通りの向こうのパン屋の前で立ち止まっている赤い髪の少女がいた。着古した制服に、薄手のコートの裾が風に揺れている。買ったばかりの小さなパンを手に、幸せそうに微笑んでいた。目が合いかけた瞬間、レオンはわずかに顔を背けた。
「あら、知り合い?」
「……クラスメイトだ」
その声は、いつもの冷たさと違っていた。リゼは興味深そうに少女を見やった。地味な顔、素朴な瞳。防御も攻撃も持たぬ、無垢な気配がそこにはあった。
「──私たちとは、対極にいるような子ね」
その呟きに、レオンは応えなかった。ただ、血の臭いの残る服のまま、黙って少女とは逆の方向へ歩き出す。リゼも続く。赤い髪の少女の存在を、目の端に焼きつけながら。
やがて二人は、喧騒の中に静かに紛れていった。




