第22話 凡庸と非凡
──自分の人生を誰かと比較してしまう時がある。
そして、その優劣に心乱される。
たまに、イヤになる。
何にもない空っぽの自分が。
この「血」以外は普通の人間だ。
何一つ優れてなどいない。
だから、優秀な人を見るととても眩しかった。
自分にないものを持っているから。
***
(…何で私って魔術の才能がないんだろ)
夕暮れの実技室で、レナは1人魔術書を読みながら、慎重に魔法陣を描いた。だが、魔力の流れは途中で歪み、術式は煙を上げて崩れた。
(魔力は持って生まれたもの。努力にも限界がある。分かっていても、もどかしくなる)
今、パートナーを組んでくれているエリックの顔が浮かんだ。優しい青年だ。誰よりも丁寧で、誰よりも穏やかだ。
(私が下手でも、何も言わずに受け入れてくれる。……だから、申し訳なくなる)
せめて、自分が少しでもまともに魔法を扱えたら。
そんなふうに思った矢先──背後で足音がした。
「…勉強熱心だな」
背後で声が聞こえた。振り返ると、扉のそばにレオンが立っていた。制服の襟元を少し緩め、涼しげな顔をしている。
「今日も練習してるとは思わなかった」
「実技のテスト前だからね」
「炎の魔法か?それなら、この術式にして僅かな魔力を入れれば発火する」
レオンが術式を一部描き直して、指先に魔力を帯びさせる。次の瞬間、軽く爆ぜるような音とともに、火花がふわりと灯った。
「…ええええ」
レナが目を見開く。
「ありがとう…でもどうして実技室に?」
「暇だったから」
レオンはそう言って、すっと視線を外す。
「──ずっとやってたんだろ。息抜きに、街でも歩かないか」
***
レオンとアテもなく街を歩く。レナはチラリとレオンを見ながら思う。
(昔から分かっていたけど、レオンって優秀だなあ。きっとSクラスまで上り詰めるよね。それに…)
周囲の視線がレナは気になっていた。
(周囲が思わず振り返る位の端正な顔立ち、モデルのような長い手足。透き通るような金色の髪と海のような青い目。雰囲気も何処となく高貴さを纏ってる。これぞ完璧というか、何というか。何で私はこの人の隣を歩いてるんだろ……)
無意識にじっと見ていたのかもしれない。
次の瞬間、レオンがちらりとこちらを見る。
「何ずっと見てるんだ?俺の顔に何かついてる?」
「いや、そういう訳ではないけど…」
天に二物でも三物でも与えられた少年を見ていると、自分の空っぽさが際立ってしまうように感じる。いくら元パートナーとは言え、一緒にいることが不思議にすら思う。
「……元気ないな、どこか食べに行こうか。」
何気ない言葉だった。レオンは横目でレナの表情を探る。
──気づかれたんじゃないかと思った。
この手がどれだけ血で汚れているか。
この笑顔が、どれだけ嘘で出来ているか。
***
学院から寮へ戻ったのは、小さな寄り道の後だった。レナはレオンに言われるまま、この前買ったばかりのドレスに着替えた。レオンはいつもの制服ではなく、少しカジュアルに仕立てられた黒のジャケットを羽織っていた。胸元には小さな銀のブローチをつけて。
夜の街をふたりは再び並んで歩く。繁華街のネオンが石畳を照らし、人々の喧騒が遠ざかっていく。彼の金髪と、夜の照明がよく映えていた。
(……え? どこ行くの?)
視界の先に現れた建物を見て、レナは思わず立ち止まった。
それは自分のような庶民の少女には、場違いすぎるほどの光景だった。
「……ここ、なに?」
レナが思わず声を漏らした。
大理石の階段に、煌びやかな外灯。扉の前には制服姿の案内人。学院生どころか、貴族の社交場でも通用しそうな──
高級レストランだった。
「お前が喜ぶかなと思って」
レオンは、さらりとそう言った。
(……喜ぶ、って。いやいや、喜ぶ前に、場違いすぎる…!!)
思わず足が止まりかけるが、レオンは当然のように扉を開けてレナを振り返る。
「行くぞ」
(えっ、ちょ、待って……!)
慌てて後に続くレナの手を、レオンがそっと取った。店内は静かで、品のある調度品に囲まれている。蝋燭の火がゆらめき、壁にかかった絵画やクリスタルグラスが柔らかく輝いていた。レナは着席した瞬間から、完全に緊張していた。ナプキンのたたみ方も、ナイフの順番も怪しい。そんなレナの様子に気づいて、レオンがふっと笑う。
「緊張しすぎ。……何か、飲むか?」
「う、うん……紅茶で……できれば、安いやつ……」
「ここには“安い”なんてないぞ」
「……で、ですよね……!」
メニューを受け取って、レナは思わず首をかしげる。
「……なにこれ、どれが料理名?読めない……」
「料理は任せていい。初めての人はそうなるから」
苦笑交じりに、レオンが代わりに注文を済ませる。ワインリストを断るときの動作すら、無駄がなかった。料理が運ばれてくるまでの間、レナはふと呟いた。
「…ここ、高いよね」
レナが気まずそうに笑う。
「ああ。ちょっとした臨時収入があったから気にするな」
レオンはそう言って、笑った。笑いながら頭を抱えるレナに、レオンは水を口に含みながらどこか安心したような顔をする。
(……なんでだろ。私がドタバタしてるの、楽しそうに見えるかな?)
「こういう場所、好き?」
レオンがワイングラスを傾けながら、さりげなく聞く。
「いや、あまり…。こんな高級な店、来たことないから。貴族とか上の人達が好きそうな店だよね。平民お断り…っていうか……」
何気ない一言だった。だが、レオンはその言葉に少しだけ間を置いてから、レナを見つめ返す。
「レナは、貴族になりたいと思うか?」
「え、全然。むしろ、なりたくないかな」
即答だった。
「貴族って大変そうじゃない?マナーとか、しきたりとか……毎日こんなところで食事して、いつも他人の顔色見て、綺麗なドレス着て、誰かと競わされて……私は無理だなあ」
レナはワインの代わりに出された葡萄ジュースを見つめながら、正直にそう言った。
世の中には貴族と結婚したいという女性が多い。それが幸せへの近道と信じて疑わない者も多い。だが、レナの目にはそんな打算も見栄もない。ただ“しんどそう”という率直な感想だけがそこにあった。
「……そうだな。でも珍しいと思うよ、お前みたいなの」
料理は、どれも綺麗すぎて食べるのがもったいないくらいだった。一口ずつ、そっと味を確かめながら、レナはレオンを見上げる。
「ねえ……」
「ん?」
「なんで、今日……こんなとこ、連れてきてくれたの?」
その問いに、レオンは少し目を伏せるようにしてから、言った。
「別に……。何かできるわけじゃないけど、せめて美味いもんでも食えば、少しは気が紛れるかと思ったんだ」
(……そんな、さりげなく言わないでよ)
胸の奥が温かくなる。さっきまでの緊張も、ほんの少し溶けていくようだった。




