第19話 ギルドで仕事選び
ギルドは学院から徒歩圏内にある民間組織で、依頼の斡旋や情報収集の拠点として知られていた。
レナはエリックに誘われてその建物の前に立っていた。
「ここがギルド?」
石造りの大きな扉を見上げながら、レナが問いかける。
「そう。何でも屋の斡旋所って感じかな」
エリックは肩の力を抜いた笑みで答え、軽快にドアを開けた。
中に入ると、ざわつく人混みと木のカウンター。掲示板には色とりどりの依頼用紙が貼られている。
「すご……」
レナは目を輝かせながら掲示板を覗き込んだ。討伐、護衛、収集、雑用。さまざまなカテゴリが並んでいる。エリックは受付で自分の身分証を見せたあと、さらりと言った。
「レナにもできそうな依頼、あったよ」
「えっ、私に?」
レナが目を瞬かせて振り返る。
「これ。『魔術文書の転写補助』ってやつ。初心者歓迎って書いてあるし、筆記と魔力感知ができればいけるはず」
エリックは掲示板の一枚を剥がして手渡す。
「……ほんとだ」
レナは紙を受け取ってじっと見る。時給はそこそこ、勤務時間も短く、場所も学院から遠くない。
「……こういうの、あるんだね」
「うん。きっと今まで運が悪かっただけだよ」
エリックは穏やかに笑う。
「……ありがとう、エリック」
レナが素直にそう言うと、エリックは少し照れたように鼻をこすった。
「ま、気にすんな。レナが変なバイトに引っかかると心配だからな」
(レオンの件もあるし……)
そんな内心を、エリックはあえて口にしなかった。
「この『薬草仕分け』も悪くないよ。重労働じゃないし、室内だし」
エリックがレナの隣で指をさしながら、次々に依頼をピックアップしていく。
「へえ…丁寧にラベル貼って分類するだけなんだね」
レナは興味深そうに頷いた。
「こっちは『魔力測定器の校正補助』」
「ほんと?……なんか、やっとまともなバイトに出会えそうで、嬉しいかも」
レナの表情が、少し柔らかくなる。エリックは、そんな笑顔を横目で見ながら、ふっと息を吐いた。
「……前のバイト、色々あったんだよな。今度こそ、マトモなの選ぼうな」
「うん」
レナは小さく笑った。その時だった。硬質な靴音が静かに響き、まるで空気が変わったような圧を連れて一人の少年が入ってくる。金髪に深い蒼の瞳に、冷えたような無表情だった。
「……俺の依頼だけじゃ足りないか?」
その声に、レナもエリックも振り向いた。
──レオンだった。
学院の制服に黒のコートを羽織り、無表情のまま立つ少年。冷ややかな視線が、レナとエリックを射抜いていた。
「レ、レオン……」
レナはわずかに驚いたように声を漏らす。
「……見に来ただけだよ。別に、足りないとかそういうわけじゃ……」
レナがそう言葉を選んで説明しようとするも、レオンの機嫌は明らかに悪かった。
「ふうん」
彼は無関心を装っているが、声は刺さるように冷たい。
「じゃあ、帰ろうか?今日は夕飯作るって言ってたよな?」
「え……」
レナは言葉に詰まった。まだ仕事を何も決めていない。けれど、このままここに残れば、レオンがさらに機嫌を損ねることは明白だった。エリックが横で様子を伺っているのを感じて、レナは少し困ったように笑いながら言った。
「う…うん…。そろそろ、食事の支度もあるし……ね。帰ろうかなって」
「なら、一緒に帰ろうか」
レオンが間髪入れずに言った。半ばエリックと引き剥がすように横に立つ。
「ごめんね、エリック。連れてきてくれてありがとう。また…明日ね」
「あ…ああ……気をつけてな。また困ったらいつでも言ってよ」
エリックの声は落ち着いていたが、その瞳はどこか警戒に染まっていた。レオンはレナと並んで歩き出す。その背に、エリックの視線が静かに突き刺さっていた。
(……今の、偶然か?)
ふと、そんな考えがエリックの脳裏をよぎる。レナの首にかかっている銀の鍵のネックレスが静かに揺れていた。
***
レナとレオンの背が、人混みに飲まれて見えなくなった。カラン、とギルドのドアベルが鳴る。残されたのは、どこか静まり返ったような空気だけだった。
(……今の、偶然か?)
そう考えた自分に、思わず苦笑が漏れる。いや──考えるまでもない。偶然じゃない。
レオンは、あの空気の入り方が“完璧”すぎた。一言目、視線、歩き方、あの“何でもないふう”を装った流れ、全部計算されてた。
「……俺の依頼だけじゃ足りないか?」
まるで、それを言わせるためにここまで来たみたいだった。エリックは掲示板に残ったレナの見ていた依頼用紙を、そっと手に取る。
(……レナ、嬉しそうだったな)
少し照れたように笑って、「ありがとう」って言った。
ああ、そうだ。あの笑顔が、見たかった。誰にも邪魔されずに、“あの子が安心して笑ってる”ところを。
でも、あいつが来た瞬間──空気が変わった。
ただ従っただけ。“断ったら何が起こるか”を、無意識に察していた顔だった。エリックはポケットに手を入れ、拳を握る。優しいふりをして、何もしないふりをしてきた。
(俺は、いつまで“見てるだけ”で済ませられる?)
カラン、とまた別の客がギルドに入ってくる。エリックは軽く会釈をして、掲示板の前を離れた。その歩調は、少しだけ、速くなっていた。
──あの子が“困った”と気づく頃には、きっともう、取り返しのつかない場所まで連れていかれてるかもしれない。
***
ギルドの扉が静かに閉じられる。その音を背中に受けながら、レナは一瞬だけ振り返った。
(……エリック、怒ってなかったかな?)
目を合わせた最後の瞬間、彼の瞳には戸惑いと、そして確かな警戒が混じっていた。ギルド内のあの空気と、あのタイミング。レナ自身、うまく笑えていたかどうか自信がなかった。
石畳の道を歩く音が並ぶ。すぐ隣を歩くレオンの横顔を、レナはそっと盗み見た。
(……いつも通り、だ)
淡い金の髪が、陽光を反射して静かに揺れる。無表情な顔には、怒りも、疑いも、苛立ちも浮かんでいない。ただ冷静で、どこか大人びた、いつも通りのレオンだった。だが、胸の奥が、かすかにざわつく。
(……何で、私がギルドにいるって分かったんだろう)
誰かに見られてた?エリックと歩いているところを、偶然見かけた?それとも、本当にただの偶然……?
(……まさかね)
小さく笑って、レナは疑いを振り払う。
(私にそんなことする必要ないし)
「今日の夕食、何にしようかなー?」
ふいに声を上げて、少しだけ空気を変えるように言ってみる。
「何でもいいよ」
レオンは淡々と答える。無愛想とも違う、自然な口調。その歩調が、自然とレナに合わされていることに気づいて、レナの胸のざわつきは少しだけ和らぐ。
「じゃあ……ちょっと、食材買って帰っていい?」
そう言って見上げると、レオンは小さく頷いた。
「好きにしろ。ただし、余計なものは買うなよ」
「えー、お菓子はいいでしょ? 頑張ったご褒美だもん」
「それを“余計なもの”って言うんだ」
やりとりはいつもと同じだった。
──銀のネックレスは今日も首元で揺れている。。細く精巧な装飾が施された鍵がきらりと光に反射する。レオンから渡された、大事な合鍵だ。
レオンから渡された──“信頼”の証だと、レナは思っていた。




