第17話 何も知らない
※この話には一部に残酷な描写を含みます。苦手な方はご注意ください。
学院の図書館にレナは来ていた。
読書室の一角で、生徒名簿の分厚い冊子をめくっていた。
(あんな高い服……本当に買って貰ってよかったのかな)
先日のことが思い出される。高級ブティックで、レオンが選んでくれたワンピース。あまりにも高価で、未だに実感がわかない。
(お返し……何か、しないと)
彼の誕生日を思い出す。何かプレゼントを贈れたら…そう思って、生徒名簿を開いていたのだ。
「……えっ、もうすぐじゃない!?」
名簿を見て小さく声が漏れる。レナはページの端にメモを挟み、考え込むように机に突っ伏した。
「うーん……やっぱり、頼ってばかりじゃダメだよね。うん、自立のためにも……隠れてバイト、しようかな」
その独り言を聞いた誰かが、すっと背後から近づいた。
「何してんの?」
エリックだった。のぞき込んだ彼の視線が、名簿のページにとまる。
「……レオンの誕生日、調べてたのか?」
「うん、いつかなって思って。なんか……すごく高価な服、買ってもらったからさ。バイトして、お返ししようかなって」
レナの素直な言葉に、エリックの顔が曇った。
「……は? 高価って、どれくらい?」
「えっと、Eクラスの……1年分の支給金、くらい……?」
「…………」
エリックは名簿の下段に目を走らせた。誕生日の欄。そのすぐ下にある、魔力量の欄にははっきりと「特級A」の文字があった。
(こいつ……危険すぎる)
彼の胸の中で、確信に近い警戒が走る。羽振りの良さ、身元の不透明さ、噂される裏稼業。何よりこの魔力量、異常だ。彼は静かに息を吐いた。
「レナ」
「……なに?」
「君、レオンのこと……どこまで知ってるんだ?」
「…………」
レナは言葉に詰まった。2年近く一緒にいて、何度も助けられてきた。でも、彼が何者なのか、本当は何も知らない。
「本人も……話さないし。聞いたことも、あんまりないかも」
エリックは、レナの横顔を静かに見つめた。
「レオンを、信用しないほうがいい」
その声は、ただ真剣だった。レナは返す言葉を探すが、見つからなかった。
「……バイト、本気でしたいなら、ギルドに行ってみたらいいよ。生徒でもできる仕事がある。俺、紹介できるし」
「ギルド……?」
レナは目をぱちくりとさせた。“ギルド”という単語が、日常からほんの少し遠い世界のものに感じられた。
「うん、冒険者だけじゃなくて、簡単な調査とか運搬とか、色々あるよ。レナなら、真面目だから向いてると思う」
「行ってみようかな?」
小さく笑ったレナの横顔に、エリックはふっと微笑む。その笑顔が、いつまでも曇らないようにと願いながら、彼は黙って隣に座った。
***
「……そういえば、この“特級A”って、すごいの?」
レナがぽつりと呟いた。彼女の指は、生徒名簿の一ページをそっと押さえたまま。その欄には──確かに、「レオン・ヴァレント/魔力量:特級A」の文字がある。隣に座っていたエリックが、視線を逸らすように小さく笑った。
「“すごい”なんて言葉じゃ足りないよ。それはもう……」
彼は椅子に背を預け、天井を見上げるようにしてから続けた。
「この学院にいるほとんどの生徒が、DとかCクラスの魔力量。上位でもB止まり。学院のクラスとは違うんだ。Aランクってのは、“国が管理するレベル”なんだ」
「……国が?」
「ああ。Aランクからはもう、“人を超えた魔術”が使える。
国家結界を単独で維持できる奴もいるし、軍の高等戦術に参加するのも当たり前。Sランクなんて、もはや兵器みたいなもんさ」
「じゃあ……“特級A”って?」
エリックはわずかに眉をひそめ、指先でテーブルを軽く叩いた。
「“特級”がつく時点で、普通の測定器じゃ測れない領域。中でも“特級A”ってのは、禁術や召喚、複合系の術式に手を出せる“異能者”クラス。単独で魔獣の討伐もこなせる奴らだよ。レオン以外にもこの学院には特級Aの奴が1人いる。今休学してるけどな」
「…………」
レナは、ページの上の名前をじっと見つめた。“レオン”という文字が、急に遠いものに思える。
「レナ。君が何を思っても構わないけど、覚えておいて。“特級A”ってのは、人を守れるだけじゃない。──人を壊すことも、簡単にできる」
エリックの言葉をレナは静かに飲み込んだ。
──優しさの裏にある、触れたことのない“力”。
それがどれほどのものなのか、彼女にはまだ実感できなかった。けれど、エリックの言葉の奥にある警告は、確かに彼女の胸を打っていた。




