表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Fated Oath ―誓約の果て―  作者: りんごあめ
第一章 絡まる運命 ─ Entwined Fates
18/71

第16話 上機嫌の殺し屋

夜の裏通りの濡れた石畳に、鈍い銀色の月光が光っている。倉庫街の一角の、ひと気のない路地裏で、誰かの断末魔が短く響いた。


「──終わりだ」


レオンは倒れた男の喉元から刃を引き抜いた。その顔は冷たく、どこか満足げだった。


(……まあ、動きは悪くなかったな)


今日の依頼は、金貸しを騙して逃げ回っていた商会の使いだった。ただの逃亡者にしては護衛の質が良かったが、問題になるほどでもなかった。


レオンは淡々と男のポケットを探り、契約証書の写しと銀貨入りの袋を回収する。一つ大きく息を吐いて、夜風を仰いだ。


(……鍵、か)


ふと思い出す。夕方、レナの手に渡った銀の鍵。ネックレスの先で、彼女の胸元に小さく揺れていた。


(……無くすなよ、って言ったら、真面目に頷いてたな)


思い出すだけで、口元がわずかに緩む。それが「人を殺した直後」の表情であることに、本人は無頓着だった。


「レナの料理、栄養バランスもよかった。……次も頼もう」


独りごとのように呟くその声には、どこかのんびりとした調子があった。


そして次の瞬間──


レオンは手にした剣をくるりと回し、物陰に潜んでいた2人目の男の眉間に突き刺した。刃は風を裂き、骨を砕く音と共に沈黙をもたらす。


「……二人目か。まあ、予想通り」


地面に倒れたその死体を見下ろし、レオンは小さく肩をすくめた。それは淡々とした処理であって、それ以上の感情はない。ただいつもと違ったのは、その瞳に揺れていた、ごく僅かな“充足感”だ。


(今日の飯は、美味かった)


理由もなく満たされた心、それは、ほんの少しの“ぬくもり”を得た者の、危うい満足だった。レオンは殺した死体の足を引きずりながら、路地の奥へと消えていく。


その背に揺れる黒いコートと、夜気に溶ける小さな口笛。彼は今とても機嫌が良かった。



***



レナはいつものように教室へと入り、静かに席に腰を下ろした。鞄からノートを取り出し、準備を整えたその首元には、小さな銀の鍵が揺れていた。ネックレスのチェーンに通された鍵は、魔法の文様が細かく刻まれたものだった。


「……ん?」


隣に座っていたエリックが、ちらりと目をやった。


「そのネックレス……鍵か?」


「うん。レオンがくれたんだ」


レナはまるで“珍しいアクセサリー”を紹介するように、あっけらかんと笑って見せた。


その瞬間──

エリックの笑顔が、わずかに強ばる。


「……レオンが……くれた?」


「そうだよ。私がレオンの部屋で夕ご飯作るバイトすることになって、それで合鍵もらったの」


「……レオンの部屋で……夕ご飯……?」


言葉に詰まり、エリックは額に手を当てた。


「まだ、あいつと関わってるのか……」


「あれ、なにか変?」


レナは不思議そうに首を傾げる。


「いや、別に。ただ……深入りしすぎるなよ。あいつは、俺らとはちょっと……違う」


エリックは警戒の目でレナを見た。


「でも、優しいところもあるよ。料理、全部食べてくれたし、変なバイトしないで済むようにって気にかけてくれたし……」


レナは少し照れたように笑った。その笑顔を見ても、エリックの目は、笑っていなかった。彼の視線は、レナの首元にある“鍵”へと再び向けられる。


(あれは……ただの合鍵じゃない)


魔力の細工、文様の複雑さ、漂う気配。

それは、単なる“出入り自由”を意味するものではない。


(何かが、仕込まれてる。……あの男が渡すものなら、間違いなく)


そんな確信にも似た直感が、エリックの胸を刺していた。


「……レナ。困ったら、すぐ言えよ」


唐突にそう言った彼に、レナは一瞬驚いたような顔をしたが、すぐに柔らかく頷いた。


「うん、ありがとう」


けれどそのやり取りの奥にあったものに、レナはまだ気づいていなかった。


 ***


「綺麗な顔ね」


夜の闇の中、王都の外れにある貴族街の屋敷で、香油と酒の香りが混じった甘やかな空気のなか、レオンはゆっくりと衣服を整えていた。


ベッドの上では、年若い貴族未亡人がシーツにくるまり、名残惜しそうに彼の背中を見つめている。


「……いつもながら、綺麗な顔ね」


女はくすりと笑い、杯を手に持ったまま、まるで美術品でも眺めるような目でレオンを見た。


「それだけが取り柄だからな」


レオンは淡々と答え、無駄のない手つきでシャツを羽織った。鏡越しに女の目が合い、女は首を傾げた。


「ふふ……今夜は機嫌がいいのね。こんなに優しかったの、初めてじゃない?」


「そうか?」


レオンの手が一瞬止まった。だが彼は何も言わず、鞄を手に取り、女の枕元に置かれた金の袋を手にした。


「お金、多めにしておいたの…。また来てくれる?」


「……気が向いたらな」


レオンは女に背を向け、静かに部屋を後にした。


夜風が頬を撫でる。屋敷の外に出ると、街は眠りの底に沈んでいた。手の中にある金貨の重みだけが現実だ。


(……虚しいな)


 ただ、それだけだった。何をしても、誰といても、結局は一人。他人の温もりも、褒め言葉も、触れてもすぐに消える。何も残らない。ただ“役割”をこなすように、“自分”を売って生きている。


(あいつの顔が、浮かぶ)


 なぜか、ふいに思い出してしまう。嬉しそうに「また作ってもいいんだね?」と笑った、あの無邪気な横顔。


(報酬は得た。あいつに、何か買うか。)


レオンは、あの何もない部屋を思い出す。何もない、異常な部屋を。


(一緒に店に行って、選んでもらおう)


自然と口元が緩む。レオンは袋をポケットにしまい、夜の闇の中へと消えていった。足取りは軽い。だが心はどこまでも空っぽだった。



***



王都の高級ブティックの前にレオンはレナを連れてきていた。厚手のカーテンに遮られた静かな空間には、優美な装飾と香草の香りが漂っていた。レナは場違いな場所に迷い込んだ子猫のように、入口でそわそわしていた。


「……ほんとに、ここ?高くない……?」


「ここなら色々な服を売ってる」


レオンは無表情のまま歩を進める。奥に控える店員が一礼すると、すぐに背後の扉が閉じられた。


(……やばい、逃げ道が消えた)


レナは内心で悲鳴を上げつつも、レオンの後ろを小さくついていく。


棚に並ぶのは、王都仕立ての一級品ばかり。

細かな刺繍や魔繊布を織り込んだものもあり、彼女には到底手が出ないような値段ばかりだった。


「え、あの……私、普段は寮の制服で充分だから……」


「知ってる。だが、お前の服は、全部安物でサイズが合ってない」


レオンは振り返りもせずはっきりとそう言って、ためらいもなく数着の服を手に取り、レナの体にあてていく。


「……この赤、顔色が沈む。こっちの青にしろ。素材は魔繊布で。動きやすさ重視」


「え、えっと、でも、これすごい高いし──」


「……気にするな」


淡々とした口調のまま、レオンは服の山を抱えて試着室の扉を開ける。


「全部試せ。サイズは見ておく」


「いや、見ないで!?むしろ出てって!?」


レナが半泣きで押し返し、扉を閉める音が響く。


 

***



レオンは試着室の外、優雅なベルベットの椅子に腰を下ろして無言で腕を組んだ。


(……服を選ぶのに、こんなに神経を使うとは思わなかった)


それも悪くない。彼女が慌てる声や照れて笑う声、着替えた服で扉を開けて、見せるようにくるりと回る仕草。それら全てが自分に向けられたのだから。


(……鍵を渡した。あれは、確かな境界線だった)


自分が選んだ服を、自分の部屋の鍵を持った少女が着る。自分にしか向けない顔をもっと見たかった。


やがて、再び試着室の扉が開いた。


「……ど、どうかな」


レナが選ばされた青いワンピースを着て、そろりと姿を現す。一瞬、レオンの視線が僅かに動いた。だが、表情は変えないまま、短く呟く。


「……悪くない。買うぞ、それ」


「ま、待って、本当に!?いくらするか見た!?」


「見てるから心配するな」


「え、ええと……レオンの部屋でごはん三年作って返す……!」


「二年にしてやるよ」


淡々としたやり取りだった。その横で、レナは心底安心したように笑った。その笑顔に、レオンは何も言わず、僅かに口元に笑みが漏れた。


(ああ、悪くないな。金を稼ぐのに手段はいらない)


どれだけ穢れても構わない。彼女が綺麗なままでいてくれれば、自分はどこまでも堕ちてもいい。


──レナの首元では、銀の鍵のネックレスが、今日も小さく揺れていた。

 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ