第13話 Aクラス
廊下の掲示板前で、ざわざわと生徒たちが集まっている。年に二度ある進級テストの二度目の結果が張り出されたのだ。
二度目の進級テストの希望者など、ほとんどいないのが通例だった。クラスを上がれば、要求される魔術・戦闘・理論すべての水準が跳ね上がる。
魔力や才能がなければ、ただ潰れるだけだった。
それでも、今回たった一人だけ、飛び級でAクラスに進級した者がいた。
【レオン・ヴァレント】
掲示板の一番上、その名前が淡々と並んでいる。
「マジでAクラス……」「あの孤児が?」「いや、ほら、何か裏あるんじゃない?」「見た目だけで上がれるわけ──」
ひそひそと交わされる声が、すぐにかき消される。
「……近くにいたら殺されそう」
掲示板の前から、徐々に生徒たちが距離を取っていく。
中には進級リストの端に怯えるような目を向ける者すらいた。
「……あれ、レオンの名前が……え?」
少し遅れて来たレナが、進級リストを見て固まっていた。
「A……クラス……?」
Eクラスにいた“あのレオン”が、Cクラスに行き、更に上位クラスのAクラスに飛び級したなど、にわかには信じられない。
思わず、自分の見間違いではと目を擦る。
「うん?誰か、Eクラスに来るの?」
ふと視線をずらすと、Bクラスから降格してきた者の名前が一人。
【エリック・ハーヴィル】
「……へえ」
誰だろう。と、レナは思った。
***
「こんにちは〜!エリック・ハーヴィルでーす!」
元気のいい声とともに、壇上に立った少年は軽く手を振った。爽やかな茶髪に、エメラルドの瞳。制服の着こなしも乱れはなく、明るい少年のように見えた。
「年齢は16歳。あっ、もうすぐ17歳かな。好きなものは、スイーツでーす。よろしくっ」
屈託のない笑顔が教室を包む。
一瞬、空気が緩み──しかしすぐに、微かなざわつきが起きた。
「エリックって……元Sクラスの人じゃない?最年少でSクラスに上がった人」
「えっ、元Sって、何でBに落ちて、それで今E……?」
そのささやきはすぐに教室中へと広がる。
──Sクラス。学院の最上位。
最精鋭のみが所属を許される場所。
そこから“降りてくる”というのは、尋常なことではない。教室の一番後ろ──窓際の席から、それを見ていたレナは少しだけ眉を寄せた。
だが、その空気をまったく意に介さず、エリックはあっけらかんと笑って言った。
「Sクラスって、色々面倒だったんだよね〜。それで、基礎からやり直そうかなって!」
とびきりの笑顔だ。
「Eクラスは久しぶりだから、楽しみで〜す」
周囲はポカンとしていたが、すぐに数人の女子が笑って拍手をした。
「やば、なんか可愛い」
「優しそうじゃない?」
そんな声があちこちで聞こえ始めた。
***
昼下がりの教室は、ざわめきと笑い声に包まれていた。
「エリックくん、また魔術の練習手伝って〜!」
「今度の新作のお菓子、エリックも食べてみてよ」
女子たちが屈託のない笑顔で集まってくる。男子も、「エリック、剣技のコツ教えて!」と気さくに話しかけてくる。
彼は、誰とでも笑顔で接する。
だが、視線は時折、教室の隅を向いていた。
そこには、一人で机に座る少女の姿。
窓際の席で、静かに本を開いている。
誰とも目を合わせず、笑うこともなく、声も発さない。
(……また、一人だ)
その姿に、胸の奥がざわりとした。
(どうして、あの子は誰とも話さないんだろう?
あんなに静かで、寂しそうな目をしてるのに)
気づけば、視線を送っている自分に気づいて、少女がそっと視線を逸らした。
(……あ)
何かを見られたような気がして、エリックは少しだけ視線をずらす。
(話しかけようかな……でも、なんて言えば……)
いつもの軽さでは近づけない。
けれど、それでも目を離せなかった。
***
Aクラス──
そこは最上位に近い実力者だけが集められた、特別な教室だ。
レオンはそこに座っていても、心のどこかが冷えていた。
(……満たされないな)
講義中、何気なく視線を横にやる。
そこには、こちらを盗み見ながら微笑む女子生徒や、背筋を伸ばしすぎて、肩に力が入っている男子がいた。誰も彼もが、こちらの動きを伺っている。
(興味か、下心か、敵意か?)
この席に座った瞬間から、視線は変わった。
「孤児がAクラスに?」「特別扱いか?」「次のS候補?」
そんな噂が、聞こえていた。
女は媚びを売り、男は戦いを挑む目で見てくる。どちらも、鬱陶しい。
すれ違いざまに、笑いかけてくる女子生徒も意味ありげに話しかけてくる男子生徒も、どちらも同じだ。
好奇心と打算と、うっすらとした下心が見え隠れしている。
Aクラス。
進級通知を見たとき、感情など何一つ湧かなかった。
Sクラスへの、ただの通過点だ。目的のための、最低限の足場であり、ここに居座るつもりはない。
(この学院に貴賤はない。あるのは、実力だけ。俺にとってはそっちの方が都合がいい。)
唯一、信用に値するルールだ。
家柄でもなく、血でもなく、ましてや“生まれ”でもない。
自分の力で登り詰める──それが、自分にとっての唯一の選択肢だ。
周囲の期待、ざわめく噂や冷めた拍手が聞こえても、そのどれもが、まるで意味を持たなかった。
(もっと高みへ行く。自分の力で)
誰にも頼らず、誰にも縋らない。
──その先で、ようやく何かを掴める気がした。
訓練場では、Aクラス限定、対魔獣想定の合同演習が始まっていた。
教師の召喚によって実体化された“模倣体”とはいえ、全長十メートルを超えるその巨体から放たれる威圧感は本物だった。突進・跳躍・咆哮を兼ね備えた、上級クラス対象の討伐目標だ。
けたたましい咆哮とともに、砂煙が上がる。訓練生たちは互いに連携し、距離を保ちつつ魔法を放っていた。
しかし、その中で金髪碧眼の少年だけが、まるで“殺しに行く”ような鋭さで歩み出る。詠唱が走り、魔術陣が浮かび上がる。
足元に光が走ったかと思えば、空気が凍てつき、魔獣の四肢を瞬時に封じる氷結の鎖。
次の瞬間──
「……終わりだ」
右手には剣を持ち、魔法と融合した冷気の刃が魔獣の眼窩を貫いた。
息を吐くように、誰かを殺すのと変わらぬ動作だった。
訓練場が静まり返る。
「……すごい」「やば、今の魔術、何……?」「あの子、本当に孤児?」「………詠唱してなくない?」
そんなざわめきの中、レオンは一瞥もせず、剣を納めた。
これは“殺すための技術”に過ぎない。
(詠唱無しの魔術。まだ、未完成だ。……あれに、勝てなければ意味がない)
脳裏をよぎるのは、白金の髪と、紅の眼を持つ男。
何度挑んでも届かず、壁のようにあの背中が立ち塞がる。
無力感だった。今のままでは、追いつけない。
もっと力が欲しい。
レオンは再び、訓練場の中心へと足を向けた。
冷たい瞳の奥には、静かに燃える執念があった。




