第10話 静寂を裂く刃
その時、冷たい気配だけが空気を変えた。
「随分と遊んでたみたいだな」
倉庫の入り口に立っていたのは、レオンだった。
整った制服に、冷ややかな瞳。その手には一本の剣が下げられていた。
アッシュはその声に反応し、目を細めた。
そして、心底嬉しそうに笑う。
「やあ。噂の“レオン・ヴァレント”くん。やっぱり来たんだ」
「“やっぱり”……? 最初から、レナを囮にして俺を誘ったのか?」
「半分はね。でも、期待以上の展開だよ。君、僕と似てると思ってたんだ。だから、会って話してみたかったんだ」
その提案に、レオンの表情が冷えていく。
「……お前と一緒にするな。吐き気がする」
アッシュは、なおも笑みを崩さない。
「でもかなりの人数殺してるだろ?君の噂は聞いてるよ」
「俺は、“楽しんで”ない。任務として、合理的に、的確に、排除しているだけだ。お前は違う。快楽のために殺してる。“目的”が違うんだよ」
「芸術がわからないのかな、残念」
血の匂い。死体の軋み。倉庫に満ちる空気は、重かった。
アッシュの瞳から笑みが消える。
次の瞬間、床を裂く魔力の衝撃が弾けた。
「……来い。どうせ、生かす気はない」
レオンは低い声で唸るように呟いた。
***
レオンの一撃で、倉庫の奥壁が崩れた。
剣を構えたまま、わずかに呼吸を整える。
その視線は冷たく研ぎ澄まされ、徹底した“訓練”と“実戦”の動きだった。
アッシュは血を流しながらも、笑っていた。
「なるほど、強いね……本物だ。そりゃあ評判になるわけだ」
その言葉とは裏腹に、彼の口元には焦りが滲んでいた。
(ああ、これは勝てない)
瞬時にそう判断したアッシュは、視線をずらす。
背後にはレナが疲れ果てて動けなくなっている。
一瞬の判断だった。
アッシュは煙幕を撒くように魔力を揺らし、その影に紛れてレナの背後へ回る。
「っ……レナ!」
レオンが声を放つと同時に、アッシュの手が彼女の髪を掴んだ。
「動いたら、レナちゃんを……」
その言葉を、言い終える前だった。
雷鳴のような魔力が空間を裂いた。
レオンの足元から魔法陣が閃光を走らせ、
雷光が空中に形を成す。
「雷槍、穿て」
瞬間、蒼白い雷槍がアッシュの手元を狙って突き出された。
反応する間もない。空気が震え、電流が肌を裂く。
「……っ!!」
アッシュはとっさにレナを放し、跳ねるように飛び退く。
雷槍は彼の手元すれすれを通り抜け、床に突き刺さって爆発した。激しい爆音とともに、火花と煙が倉庫内を覆う。
その中を、レオンが歩く。
焦げた鉄と血の匂い。
蒼雷を纏ったような気配と共に、剣を抜いた。
「二度と、その名前を口にするな」
レオンは疾風のように踏み込む。
アッシュが幻影の札を投げるが、見切られていた。
斬撃が彼の肩を裂き、血飛沫が上がる。
「がッ、は……!」
なおも抵抗しようと手をかざすが、その腕ごと剣が叩き落とす。
金属音、肉の裂ける音。
「生かす理由はない」
淡々とした声。そこに感情はなかった。
そして、最後の一閃。
レオンの長剣が横に薙がれたとき、アッシュの身体は沈黙の中、倒れた。
***
倉庫内に残されたのは、血と焼け焦げた空気、そして、沈黙。レオンは剣を鞘に納め、後方にいるレナの方を振り返る。
「……怪我は?」
その声は、いつもと変わらない低音だった。
レナは小刻みに震えながら、それでも頷いた。
「だ、大丈夫……本当に……助けてくれて……ありがとう……」
その目に浮かぶのは安堵と疑問だった。
「……でも、どうしてここに……? なんで……」
レオンは少しだけ視線を逸らし、短く答えた。
「……気まぐれだよ。たまたま、通りかかっただけだ」
***
レナを外へ送り出したあと、レオンは再び倉庫の奥へと戻った。
そこには、歪みきった死体と、死臭、焼け焦げた鉄と血のにおいが、どろりと空気を汚していた。
「……このままにはできないな」
静かに呟き、足元の魔法陣を一つ描く。赤黒い魔力が滲み出し、周囲の空間が圧迫されるように歪む。
《魔炎結界》
地面を這うように魔力が広がり、倉庫全体を覆っていく。
「骨すら残るなよ」
指先を鳴らすと同時に、魔力が爆発した。
鈍い爆音。だが音は外に漏れぬよう封じられている。
魔炎が床を、壁を、死体を、徹底的に焼き尽くす。通常の火ではあり得ない温度と性質だった。
アッシュの死体も、他の女たちの亡骸も、すべてが炎に呑まれていく。
ただ、すべてを“なかったこと”にするためのもの。
燃えながら崩れる木材と、黒く染まる空気。
「……俺の魔力痕。残すわけにはいかない」
魔力探知を逃れるための防鎖術をさらにいくつも上書きしていく。封印札を用いて残留魔素を打ち消し、結界波の乱れも整える。
“どこから誰が調べても、何もなかった”
そう見えるように、完璧な処理を施す。
時間にして数分。しかし、それは極めて緻密な作業だった。
最後の確認を終えると、レオンはゆっくりと倉庫の外に出た。
背後では、音もなく天井が崩れ、火と共に“罪の現場”が消えていく。
誰にも見つからず。
誰にも知られず。
それが、レオン・ヴァレントという男が選ぶやり方だった。
***
数日後、学院の廊下は噂話が持ち上がっていた。
「……また死んだらしいよ、レナのパートナー」
「え、また?すこし前も…」
「呪われてるって噂、やっぱ本当だったんだ……」
すれ違いざまに囁かれる声。
教室の隅で、食堂の片隅で、誰ともなく広まっていく“呪い”の話。
そしてその渦中にいるレナは、今日も黙って、冷めた昼食を口に運んでいた。
俯いたまま、誰の目も見ない。
誰も声をかけてこない。
隣の席はいつも空いていて、目が合った者は必ず目を逸らした。
けれど、レナはそれでも怒らなかった。
泣きもせず、逃げ出しもしなかった。
ただ、静かに。
ただ、黙って。
この日々をやり過ごすしかなかった。
(それが一番“無難”だと、学んでしまったから)
***
高等棟の廊下、その窓辺に腰を下ろし、レオンは食堂を見下ろしていた。
昼休み。
誰もが仲間と笑い、賑やかな声が飛び交う中。
レナだけが、ぽつんと孤立していた。
食器の音すら掻き消えるほど、彼女の周囲だけが妙に静かで。
(……また“人殺し”って言われてるのか)
先日、レナと組んでいた新たな実技パートナーが、演習中に暴走して死亡。
記録上は「過負荷による事故」と処理された。
レオン自身が裏から手を回した。
レナを疑う者はいない。
少なくとも、表向きには。
だが、噂は何よりも残酷だった。
(誰も近づかない。それが今の彼女の“立場”だ)
それでも彼女は、何も言わず座っていた。
怯えず、笑わず、喚きもせず。
ただそこに“存在”しているだけ。
レオンの心に、ほんの僅かな感情が浮かぶ。
(……しばらくは一人、か)
そう思った瞬間、自分の中に生まれた“安堵”があった。




