第99話 標的
昼休みの終わり、サラは違和感を抱えたまま廊下を歩いていた。
レナの様子がおかしい。
朝から何度も呼びかけても、笑顔がどこか引きつっている。
引き出しに手を入れた時の、あの表情が目に焼き付いて離れなかった。
(……なに、これ?)
Eクラスの空気自体が、いつもと違った。
教室の一角でひそひそと囁く声。わざとらしくレナを避ける仕草。廊下でぶつかっていく女子たち。
気づいたら足はエリックの机まで向かっていた。
「エリック、ちょっといい?」
「ん……どうした?」
他に聞こえないよう声を潜める。
「レナ、いじめられてるよね? 引き出しの針とか、教科書とか……あれ、普通じゃない」
エリックは、ほんの一瞬だけ目を伏せた。
そして深く息を吐く。
「……また始まったのか」
「先生に言った方が――」
「無理だよ」
きっぱりした声だった。
「元々、レナは魔力量が少なくてEクラスで浮いてた。俺がEクラスに来てから、多少はいじめも収まってたみたいだけど」
「……じゃあ、どうしてまた?」
エリックは眉間を押さえながら苦笑した。
「原因はレオンとオルフェだよ。考えてみろ。Sクラスの奴らが、わざわざEクラスの一人に絡んでくる。しかもレオンは荷物まで持つ。オルフェは廊下から観察してる。俺もEクラスにいる」
「……あっ」
「目立つんだよ。嫉妬とか妬みとか、くだらない理由で人は簡単に悪意を見せる。レナ本人は何も悪くなくても。しかも相手がレオンだ。上のクラスの女子が名前を囁く程度には、目に付く」
「レオンに言った方がよくない?」
エリックは苦い顔をした。
「レナから言われてる。レオンには言うなって。あいつが知ったら……全員片っ端から殺しかねない」
冗談じゃなかった。
言葉の奥にある重さを、サラも肌で感じた。
「……どうすればいいの」
「俺たちが気づけた分だけマシだ。見張って守るしかない」
***
その日の休み時間、レナは廊下の角で立ち止まっていた。
ちょうどそこは、Sクラス棟へ続く通路の近くだった。
「レオン待ちでしょ」
背後から、聞こえよがしな声がした。
だが、レナは振り返らなかった。
「ねえ、レナちゃん」
前から声がした。
三人の上級生が、半円を描くように立っていた。
知らない顔だった。だが、その目は明らかに敵意を向けていた。
「ちょっと、いい?」
逃げる間もなかった。
腕を掴まれ、廊下の流れから引き剥がされる。抵抗しようとしたが、三人分の力は思ったより強かった。
連れてこられたのは旧校舎の裏。
午後の陽が届かない、人目につかない場所だった。
「最近、目立ってるみたいね」
一人が腕を組んで言った。
声は穏やかだった。
「Sクラスのレオン様に荷物持たせてるって、本当?」
「……違います」
「へえ、違うんだ」
笑い声が上がった。
誰もレナの言うことは信じていない。
「下のクラスのくせに、どんな手使ってんの? 可愛がられてていいご身分よね」
顔が熱くなる。怒りなのか羞恥なのか、分からなかった。
「……何も、していません」
「そう言うよね」
一人が背後に回り込んだ気配がした。
振り返ろうとした瞬間、背中を強く押された。
「きゃっ──」
地面に倒れ込む。手のひらが石畳を打ち、鋭い痛みが走った。
じわりと滲む血。泥の臭いが鼻を刺した。
「いい子ぶってるから、嫌われるんだよ」
立ち上がろうとした時、髪を掴まれた。
引っ張られて、顔が上を向く。
「Eクラスのくせに」
三人の足音が、ゆっくりと自分を取り囲んでいた。
地面に手をついたまま、レナは荒い息を呑んだ。
上級生の少女が、苛立ちを隠しもしない声でレナの肩を押した。
「ねぇ、聞いてる?」
「黙ってんじゃないわよ」
次の瞬間、指先に灯った魔力がぱちりと弾ける。
空気が細く震えた。嫌な気配。
(……この魔術、魔力量。Bクラス……?)
「ちょっとビビらせればいいだけでしょ」
「だよねー。先生もどうせ、見てないし」
軽い調子で遊んでいる声だった。
だが、その指先に編まれているものは、遊びの出力ではなかった。
(……これ、制御が雑だ)
それが問題だった。
本人たちは「かすらせる」つもりでいる。
でも精度が伴っていない。
外れれば、どこに当たるか分からない。
紫電が頬をかすめた。
髪の先が焦げ、焦げ臭さが鼻を刺した。
「っ!」
反射的に身を引いた瞬間、地面が閃光で抉れた。
石畳が弾け、破片が足元を叩く。
頬ではなく、首に当たっていたら。
地面ではなく、目に当たっていたら。
本気で殺す気じゃない。
それが余計に危ない。
(血を……使う? でも、ほんの少しでも痕跡が残れば――)
考えている間に、再び魔術が編まれる気配がした。
(……まずい。速い──!)
その瞬間、不意に別の視線を感じた。
冷たいのに、妙に静かで、こちらを測るような気配。
上級生たちのものとは違う。
最近ずっと背中に張りついていた、あの得体の知れない視線に似ていた。
けれど振り返る余裕はなかった。




