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【第二部完結】Fated Oath ─誓約の果て─  作者: りんごあめ
第三部 壊す者 ― The Game of Judgment
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第98話 突き刺さる視線

「おっはよー!」

 

 明るい声が弾けた。サラが手を振りながらレナに近づいてくる。いつもと変わらぬ調子で、教室の空気に少しだけ陽を射した。


「おはよう」

 

 レナは微笑みながら答えると机へ向かい、引き出しを開けた。

 カバンからノートを取り出して――そのまま、手を入れた瞬間。


 ――チクリ。


「……痛っ」


 指先に、鋭い痛み。

 慌てて引き抜くと、血の粒が浮かんでいた。

 引き出しの底には、細い透明の結晶針がいくつも散らばっている。

 その下、焦げたような紙片が覗いた。黒い線が走り、かすかに魔力の残滓が揺らめく。


 焼け焦げた呪符の切れ端――。


「えっ、なに!? 怪我したの!?」

 

 サラが慌てて駆け寄る。


「……うん、でも大丈夫。ちょっと刺さっただけ」

 

 レナは苦笑を浮かべながら、そっと指を押さえた。

 だが、針の先からじわりと鈍い熱が広がっていく。


 サラが引き出しの中を覗き込み、息を呑む。


「……なにこれ。誰か、入れたの?」


 教室のざわめきの向こうで、誰かの笑い声がした。

 レナは振り返らない。

 ただ、痛みよりも冷たいものが、胸の奥に落ちていった。

 

 サラの顔色が変わった。


「大丈夫じゃないよ。これ、完全に……」


 言葉を飲み込み、サラはレナの手首を掴んだ。強くはない。けれど、逃がさない力だった。


「教務室、行こ。今すぐ」

「え、でも……授業、すぐ……」

「授業より指。あと、これ放置したら次もやる。絶対やる」


 サラは引き出しの中の透明な結晶針を、ハンカチで慎重につまんだ。

 焼け焦げた呪符の切れ端も、紙片のまま折り畳む。魔力の残滓がまだ微かに揺れている。


  教務室の扉を叩く。

 中の空気は、紙とインクと、疲れの匂いがした。


「失礼します」


 サラが一歩前へ出る。

 机の列の奥、書類の山に埋もれている教員に声をかけた。


「先生。今、レナの机の引き出しに針が入ってて、刺さりました。あと、呪符みたいなのも……これ」


 ハンカチに包んだ結晶針と、紙片を差し出す。

 教員は視線だけを動かし、面倒そうに眉を寄せた。


「……針?」


 指先でハンカチの端をめくり、ちらりと見て、すぐに戻す。

 まるで、汚れに触れたくないみたいに。


「誰かの悪ふざけだろ。落としたんじゃないのか」

「落としたって、引き出しの底に……しかも複数です。透明で、わざと隠してるみたいで」


 サラが食い下がる。

 でも教員は、椅子の背に体重を預けたまま、ため息をついた。


「サラ。今、こっちは手が離せない。午前の教務会議の書類もあるし、午後は演習の監督だ」

「でも――」

「怪我は浅いんだろ」


 教員の視線が、ようやくレナに向く。

 その目には心配より先に、値踏みが混ざっていた。


「血が出ただけで大騒ぎされてもな。Eクラスは、少しのことで騒ぐから困る」


 レナの喉が、きゅっと縮む。

 自分が痛いのは指先なのに、胸の奥の方が痛くなる。


「……すみません」


 小さく言った。

 謝る必要なんてないのに、口が勝手にそう動いた。

 

 教員は机の端を指で叩き、会話を閉じにかかる。


「とにかく、次から気をつけろ。引き出しは確認してから手を入れる。以上」


 教務室を出ると、廊下の空気が冷たく感じた。


「なによ、アイツ! 超素っ気ないし」


 サラが怒りながら歩く。足音がいつもより大きい。

 握り締めた拳が白くなっている。


「この一回だけならいいけど──」


 レナは嫌な予感がしていた。


「……これで終わるわけがないよね」


「うん。終わらない」


 サラは即答した。

 怒っているのに、声だけは妙に落ち着いている。


「Eクラスって、実力があってもここから始めないといけないでしょ。色んな事情の子が集まるから……素行が悪いのもいるって、エリックが言ってた。気をつけなよ」

 


 ***



 翌朝。レナが校舎を歩くだけで胸がざわつくようになった。

 誰かの視線だけが肌を撫でていく。

 振り返っても、笑い合う生徒がいるだけだった。

 それが逆に、薄気味悪かった。

 席に着き、鞄を机の横に置く。

 いつも通りに教科書を取り出そうとして――指先が止まった。

 

(……なに、これ)

 

 革の表紙が、裂けていた。

 糸綴じの背がほどけ、紙がばらばらに波打っている。

 濡らしてから無理に引きちぎったみたいに、端が毛羽立っていた。

 ページをめくる。

 文字の上に、赤黒い滲みが乱雑に塗りつけられている。

 

 《かえれ》

 《Eクラスの出来損ない》

 《レオン様の玩具》

 

 乾いた血のようにざらつき、爪で引っ掻いた跡が残っていた。

 

「……っ」

 

 声が出るより早く、背後で小さな笑い声が弾けた。


 振り返れない。

 

「わ、ほんとにやられてる」

「Sクラスのレオン様が荷物持ちしてたんだって」

「信じらんない。Eクラスのくせに。天罰なんじゃない?」

 

 笑い方は軽いのに、言葉は鋭く刺さる。

 レナは振り返れず、ただ破れた紙を指先で押さえた。

 

 理由は、薄々分かっていた。

 今までだって、何度もこんな悪意は向けられていた。

 何もしていなくても。弱さは敵意を増幅させる。

 慣れているから大丈夫だ、と、レナは思いたかった。


 授業が始まる。

 魔力操作の実技に集中しようと深呼吸した。指先から魔力を流し、術式を展開しようとしたその瞬間――。

 魔力が、勝手にねじれた。

 

「……え?」

 

 制御しているはずの光が脈打ち、机の上で跳ね上がる。

 机の縁に、微細な導魔刻印が脈打っていた。

 バチッ、と火花が走り、机が焦げた。

 

「ちょっと!」

「危ないんだけど!?」

 

 前の席の生徒が椅子ごと後ろに下がった。

 隣の机にいた男子が、腕で顔を庇う。

 教室がざわつく。

 何が起きたのか分かっていない顔、眉をひそめる顔、そして――薄く笑う顔。

 先生は眉をひそめつつ、「続けろ」と淡々と言うだけ。

 

「……また失敗?」

「落ちこぼれに、魔力制御できるの?」

 

 後ろの席から、わざとらしく吐き捨てられた。

 胸がぎゅっと掴まれたみたいに痛んだ。

 

 レナは唇を噛み、視線を落とした。

 魔力が震えている。感情に反応して、制御が揺れてしまう。

 ただの嫌がらせじゃない。

 術式に細工されていた。


 授業が終わった。

 教科書を片づける手が、まだ震えていた。

 鞄に破れた教科書を押し込んで、早く教室を出ようとした。


 廊下に出た瞬間、肩に硬いものがぶつかった。

 

「ごめーん。気づかなかったわ」

 

 すれ違いざまに投げられた声。

 振り返った先の目には、悪意しか入っていなかった。

 

 視界が、揺れた。

 涙はまだ落ちていないのに、頬だけが熱かった。

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