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第21話 みゆ!

 王宮の丘へ続く石畳の道。観光客の姿はまばらで、風だけが忙しなく髪を揺らしていた。


 門は重く、威圧的だった。

 その前に立つと、自分が世界の外側にいるような感覚に襲われる。


 でも、引き返せない。わたしは、決めたんだ。


「すみません……!」


 みゆは駆け寄って、両手で胸を押さえるようにして息を整えた。


 門の前に立っていた警備員たちが、警戒の色をにじませながら近づいてくる。


(通じる、わたしは話せる)


 心の中で唱えて、みゆは口を開いた。


「Tolenna me, vyrela thil venar Alvan... elne suréan」

(失礼します。アルバン王子と……話がしたいんです、お願いします)


 発音はややたどたどしかったが、言葉の意味は通じたはずだ。

 警備員たちの視線が、かすかに動く。


 だが、返ってきた言葉は鋭く、拒絶の響きを持っていた。


「No veyra. Talërin vinval」

(許可されていない。直ちにお引き取りください)


「Lennasya, myla ne trán. Erenia lira」

(お願いします、わたしは危険な者じゃありません。一人で来ました)


「Erel vastra norim. Meyna selva」

(招待のない者は立ち入り禁止です。お引き取りを)


 言葉は通じている。けれど、その意味の壁は高かった。


「En viral, ensel lenya venar. Suréan」

(ほんの少しだけでいいんです。話がしたいだけなんです。お願いします)


 みゆの声は震えていた。


 警備員の一人が無線機を手に取り、短く何かを話す。


「Lérin thira. Meyra quissin」

(ここで待機してください。動かないように)


 その瞬間、もうひとりの警備員が、みゆの肩に手をかけた。


「Venna'sa!」

(触れないで!)


 反射的に身を引く。

 だが、その動きが抵抗と見なされたのか、警備員の表情が強張った。


「Surenya... myla venar. Erelan miv」

(お願いします……彼に、ただ会いたいだけなんです。たった一度)


 みゆの瞳には涙がにじみ始めていた。

 次の瞬間、がしりと腕を掴まれる。


「Vos quissin!」

(不審者!)


 無情な声とともに、肩をねじられる。

 背中から別の警備員の腕が回り、押し倒されそうになる。


「やめて……! わたしは……!」


 必死に声を上げるが、身体はもう言うことを聞かない。

 足元がよろめき、石畳に膝をついた。視界がぐらつき、手のひらが地面に打ちつけられる。


 制服の布地が硬くて痛い。誰かの膝が、腰を押さえつけていた。


(だめ、こんな形で終わりたくない)


 声にならない息が喉を震わせる。


 そのとき。

 金属の軽い音が、塔の上から響いた。


 顔を上げた。

 白い窓が、かすかに開いている。


 風に揺れる髪。

 陽に照らされて光を帯びる、プラチナブロンド。


 黒い上着の襟元。

 窓の縁に手をかけ、身を乗り出すその姿。


「……アル!」


 みゆは、かすれる声でその名を呼んだ。


 彼の身体がわずかに前のめりになる。

 そして、遠くからでも、はっきりと目が合った。


「Nolivianne!」


 みゆは叫んだ。


 彼が最後にくれた、ふたりだけの言葉。

 ——わたしの光。


 その瞬間、窓の奥のアルが動いた。

 姿がふっと消え、すぐに塔の階段を駆け下りる音が響き始める。


 けれど、みゆの身体はまだ地面に押さえつけられていた。


「やめて……お願い、ほんとうに……!」


 叫びはもはや悲鳴に近かった。


「Thira ven! Selva meva.」

(下がって! 彼女は私の客です)


 鋭く通る声が、別の方向から空気を切り裂いた。


 はっと振り向くと、通路の奥にひとりの青年が立っていた。


 明るい髪、軍服らしき装い。けれどなにより、彼の瞳が——アルと同じ、淡い空の色をしていた。


「Verené. Ena Yūri Florentz. Alvanas melir.」

(こんにちは。私はユーリ・フローレンツ。アルの友人です)


 警備員たちが、動きを止める。

 無線にざわめきが走る。


 ユーリはみゆに近づき、そっと肩に手を添えた。


「大丈夫です。もう押さえられていません。立てますか?」


 みゆは震える膝に力を込め、頷いた。

 手を借りながら、ゆっくりと立ち上がる。


 そのとき、駆け下りてきたもうひとつの足音が、響いた。


「……みゆ!」


 その声が、胸の奥に届いた瞬間、みゆの目に涙が滲んだ。


 アルがいた。


 王宮の中から駆けてきた彼は、みゆを見つけると、息を切らせて立ち尽くした。何も言わなくても、その瞳が、すべてを語っていた。


 ようやく、ふたりの世界が、交わった。


 その手が、届く距離にあった。

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