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第15話 ありがとう、みゆ

 王宮の応接室。


 分厚い扉の向こうでは、いつものように重たい言葉が飛び交っていた。


「この混乱を鎮めるには、王室の明確な立場表明が必要です」


「継承者としての覚悟を示すときでは?」


 その矢面に立たされているのは、他でもない自分だった。


 だが、アルは口を開かなかった。開いたところで、自分の意思など、ここには存在していない。誰も聞こうとしない意見に、声を費やす意味があるだろうか。


 会議が終わると、誰にも言葉を返さず部屋を出た。足音だけが、長い廊下に虚しく響いた。


 そのまま自室へ戻り、扉を静かに閉める。


 机の引き出しを開けると、そこには何通もの手紙の束。


 彼女——みゆからのものだった。


 アルは、最新の便箋を取り出した。たどたどしいエルヴェーニュ語で綴られた文字が、そこにあった。


 《Quelan círa vièl tu, Albàn ?》

(アル、いま、どんな空を見ていますか?)


 まだ不完全な文法。ぎこちない綴り。どれほどの夜を費やして、辞書を引きながら書いたのだろう。


 読み進めるうちに、胸の奥がじんわりと熱を帯びてくる。


 彼女は、離れた国の言葉を学びながら、この混乱のなかにいる自分を、想っていてくれた。

 その手紙の末尾に記された一文が、静かに彼の心を撃ち抜いた。


 《…élaen liré tu nolivianne aen.》

(あなたの光が、決して消えませんように)


 光。

 かつて、この国でそう呼ばれた時代があった。


 若き王子、民の希望、未来の象徴。


 けれど今はどうだ。その名は憎しみの的となり、嘲笑と怒りのプラカードに並ぶ記号になってしまった。


(わたしは、彼らの「希望」ではなくなった)


 思わず握りしめた手紙の感触が、現実を引き戻す。


 ——このまま、王座にとどまることが本当に正しいのか?


 自分ひとりが守られ、語られ、見下ろす側であり続けて、それで民は報われるのか?


 富と力を持つ王室の象徴として存在し続けるよりも、その象徴を手放し、富を分け合う方が——この国の未来にとって、正義なのではないか。


 そんな思いが、静かに彼の胸を満たしていく。


「……ありがとう、みゆ」


 声に出したその言葉には、感謝だけでなく、決して言葉にしなかった苦しみを、少しだけ吐き出したような重さがあった。


 彼女の真っ直ぐな祈りに、自分はどう応えるべきなのか。


 アルは窓辺に立ち、夜の空を見上げた。雲の向こうに、かすかな星の光が滲んでいた。


 深く息を吸い込み、机に戻る。まっさらな便箋を一枚、そっと置いた。


 ——誰かの光であることを望まれるのではなく、自ら選んだ言葉で、この道を歩いていきたい。


 ペンを手にした指が、一瞬だけ空を仰ぎ、そして、静かに紙の上を走り出す。


 何を書くべきかは、もう決まっていた。

 彼が何を綴ったのかは、まだ誰も知らない。


 ただ、その最後の一行を書き終えたとき、

 アルの目に浮かんだのは、痛みを越えた、深い決意の光だった。


 ——もし光を手放すことで、誰かが救われるなら。


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