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第14話 なんにも、できない

 ニュースの特集コーナー。


 テレビの画面が切り替わると、どよめきと警笛の音が突然流れ込んできた。


「続いてのニュースです。エルヴェーニュ公国で、王政廃止を求めるデモが激化。

 本日午後、次期国王候補のアルバン王子が何者かに襲撃されました」


 その一言で、みゆの身体がびくんと跳ねた。


「現地時間午後四時すぎ、王宮前広場にて王子の乗る車列が通過中、銃声が複数回確認されました。映像をご覧ください」


 画面が切り替わった瞬間、みゆは息を止めた。


 スローモーションのような街並み。

 黒塗りの車列。警備隊の無線が飛び交い、群衆のざわめきが強くなる。


 そのとき——カメラが偶然とらえた。銃声。甲高く乾いた破裂音。


 次の瞬間、車の脇に立っていた男の肩が揺れ、数歩、よろめいた。


「うそ……」


 みゆの口から、かすれた声が漏れた。


 画面に、人物のシルエットが映る。スーツ姿の護衛たちが一斉に囲むその中心、明らかに一人、肩を押さえている。


 その姿が、アルだった。


「王子の肩付近を弾丸が掠めたとみられ、命に別状はないとのことですが、現場は一時騒然となり——」


 キャスターの声が、遠ざかっていく。代わりに、耳の奥で風のような音が鳴った。


 あれほど何度も読んだ名前。しかし、ニュースの中で聞くそれは、どこか冷たい他人のようだった。


 画面の中で、アルが撃たれた。


 ほんの少し前まで、日本の小さなラウンジで微笑んでいた彼が。


 紅茶の湯気、私の名前を呼ぶ声、あの横顔。


 すべてが嘘のように遠かった。


 みゆは、テレビの前で動けずにいた。ただ、ひたすら映像を見ていた。


 手も、声も届かない。その現実を、いま突きつけられた。


「なんにも、できない……」


 気づけば、頬を涙がつたっていた。声も出せず、ただぽろぽろとこぼれていく。


 画面では、現地の記者がマイクを持って状況を語っていた。その背後には、王宮の門と、揺れる国旗。


「どうか、無事でいて……」


 声にした瞬間、視界がぼやけた。たったそれだけの願いが、今の自分には、こんなにも遠い。


 アルがいる世界に、自分の声は届かない。それが、こんなにも苦しいとは思わなかった。



 みゆは、冷えた手で便箋を広げた。


 返事が来ない日々が続いても、伝えたい想いは胸の中に残り続けていた。


 ペンを持つ指に力を込めて、みゆはそっと一行目を綴る。


「Quelan círa vièl tu, Albàn ?」

(アル、いま、どんな空を見ていますか?)


 少し考えて、二行目を書く。文法を意識しながらも、書く手は止まらない。


「Aven ilèn tu melvaran céri a ciel meiral」

(わたしは、あなたがどこにいても、同じ空の下で生きているって思っています)


 言葉のつなぎ方は、少しずつ自然になってきた。それでも、彼の母語で「会いたい」と綴るのは、勇気のいることだった。


「Melra elvi tu… veraen」

(ほんとうは、会いたいです)


 その一文を書き終えたとき、止めようとする気持ちより先に、涙がこぼれた。


 便箋ににじんだインクを見つめながら、震える手で、次の言葉を綴る。


「Maen se lores na sélithé ——」

(でも、それができないのなら——)


 そして最後に、祈りを。


「…élaen liré tu nolivianne aen.」

(…あなたの光が、決して消えませんように)


 涙のしみをそっと指で拭いながら、みゆは書き上げた手紙を読み返す。


 綴りに少し不安はある。文法も完璧とは言えないかもしれない。


 それでも——


 それでも、あの国の空の下で暮らす彼に、

 この手紙はたしかに「届いてほしい」と思った。


 ——あなたの光が、どうか、どこにも消えていませんように。



 手紙の返事は、まだ来ない。


 毎日、ポストを開けるたびに、少しだけ期待する。


  ポストの奥にある白い封筒、そこにあの筆跡があるかもしれない──

 しかし、何も届かないまま扉を閉めるとき、心の奥に少しずつ、沈殿するような重みが残った。


 ——いまは仕方ない。

 そう言い聞かせるのは、もう癖のようになっていた。

 アルは王子なのだ。

 簡単に返事など出せるはずがない。


 ソファに腰を沈めながら、 みゆはテレビの光だけが灯る部屋を見回した。

 寒いわけではないのに、指先が震えていた。



 握手したとき、アルの手はあたたかかった。

 みゆはまだ、はっきりと覚えている。


 でも、そのアルは、王宮の高い石の壁の内側にいる。人々の怒声と、政治の重圧のただ中で、誰に守られ、誰に責められているのかも、みゆにはわからない。


 あの手紙は、ちゃんと読まれたのだろうか。それとも、届いていないのだろうか。


「……元気でいて」


 窓の外は、もうすっかり夜だった。

 空には星もなく、ただ鈍く暗い雲がゆっくり流れていた。

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