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第12話 きっと、届く

 ポストを開けた瞬間、風が少しだけ強くなった気がした。


 白い封筒。海外の消印。

 見慣れた筆跡。


 みゆは封筒を胸に抱えたまま部屋に戻ると、 机の前に座り、ゆっくりと封を切った。


 中から出てきた便箋には、いつもよりも少しだけ崩れた、アルの文字が並んでいた。


「みゆさんへ。お元気ですか。わたしはだいじょうぶです」


 みゆの心はざわついた。

 その「だいじょうぶ」が、 どこか不自然に見えたのは気のせいではなかった。


「この国では、いま少し、さわがしいことがあります」


「でも、わたしは、あの時のあなたの言葉を思い出して過ごしています」


「そして、手紙と一緒にいれてくれた、絵を見ました」

 みゆの指先がわずかに揺れた。


 送ったあの絵。震える手で、封を閉じたあの夜のことを思い出す。


 ちゃんと、届いていたんだ──その安堵が、遅れて胸に広がった。


「描かれていたのは、私の国でしたね。あなたはまだ、この国に来たことがないのに、本物のように美しく描きました」


「この絵を見て、私は思いました。この国を守りたい、と」


「あなたにもらった光を、わたしは忘れていません」


 最後の一行を読んだ瞬間、みゆの胸がどくんと高鳴った。


 そしてまた──会いたい。


 その四文字が、何の前触れもなく浮かんでくる。 

 これまでに何度も胸に響いた言葉なのに、今日の「会いたい」は、どこか少し違っていた。


 今、手紙だけじゃ足りない気がした。




 次の手紙が届いたのは、雨の降る朝だった。薄い封筒は、ポストの中でしっとりと湿っていた。


 部屋に戻って、みゆはタオルで封筒をそっと拭いてから、静かに開いた。


「みゆさん、元気ですか。わたしはすこし、つかれています」


 冒頭のその一文に、心が波立った。


「この国には問題が、たくさんあります。 国の未来について、よく考えています」


「あなたがあなたであることは、何よりの光です」


「あなたの光を思い出すたび、 わたしも、間違わないようにしたいと思います」


 手紙の内容は、決して暗くはなかった。しかし、どこか「迷い」がにじんでいた。


 ——大丈夫。 そう言い切れない何かが、

 アルの言葉の隙間にあった。


 みゆは、手紙を読み終えると、しばらくじっとしていた。


「……助けたい、なんて……思っちゃだめなのかな」


 小さな声で、つぶやいた。


 でも、なにか伝えたい。 ただ元気でいて、というだけじゃなく。


 ——あなたのそばに、心はあります。


 そんな言葉を、どう綴ればいいのだろう。


 みゆはノートを開き、ペンをとった。


  まだ言葉にはなっていなかったけれど、 伝えたい気持ちはそこにあった。みゆは机に向かい、ひとつ深呼吸する。


 机の上には、ノート、辞書、そして真っ白な便箋。手元には、まだおぼつかない文字で書き留めたエルヴェーニュ語のメモが並んでいる。


(正しく書けてるかな……)


 何度も辞書を引きながら、みゆはペンを持ち直した。


 《Solévien à vous ——》

 あなたへ。


 ゆっくりと、でもためらわずに、最初の一行を綴る。


 筆跡がやや震えていても、それは自分の手で書いた、初めての「彼の言葉」だった。


 ——本当に伝えたいことを、彼の言葉で届けたい。


 その想いだけが、みゆを動かしていた。


 文章の組み立てには時間がかかった。単語の順序も、時制も、不安だらけだった。それでも、手を止める気にはなれなかった。


「……これで、伝わるかな」


 そう呟きながら、彼女は一行、また一行と書き進めた。


 《Nozèlien lar tave suel》

 ——わたしは、いまもあなたを思っています。


 《Calethian mor adarève…》

 ——言葉はつたなくても、どうか、届きますように。


 ページの終わり近くになって、みゆは、ふっと息を吐いた。


 そして、最後に一文。


 《Nolivianne lar riell…》


「いつもあなたと、ともにあります」


 その一行に、自然と力がこもった。


 インクが、便箋にじんわりとにじんでいく。その染みさえも、彼女の真っすぐな気持ちのように見えた。


 書き終えたとき、みゆの胸は、どこかすっきりしていた。会えるかどうかもわからない。返事が来るかも、わからない。それでも、この言葉は、いまの自分にしか書けなかった。


(きっと、届く。あなたに、あなたの心に)


 みゆは便箋を折り、封筒にそっと入れた。それは祈りであり、約束であり、彼女自身の歩みの証だった。


 ——また、きっと。


 そのひとことが、静かに胸の奥で響いていた。


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