第二話 カンゴクチョウ
黄泉の国に来て三日目。僕は娯楽街にある本屋で「黄泉マップ」「黄泉ワーク」「黄泉のすゝめ」の三冊を買った。この三冊は鬱之さんからおすすめされた本で、持っていたら何かと便利な内容をしているそう。黄泉マップは黄泉の国の地図で、黄泉ワークは黄泉の国にある職業を紹介した本、黄泉のすゝめは黄泉の国での注意事項等が書かれた本だ。この三冊、聞かれてた内容のわりに表紙がだいぶ俗っぽいというか、手に取るのをちょっとためらってしまうくらい怪しいデザインをしている。
表紙はともかく、この三冊は広辞苑くらい厚いから読みごたえがありそうで読むのが楽しみだ。
「わっ、ご、ごめんなさい」
鼻歌を歌いながら住宅街を歩いていたら人にぶつかってしまった。楽しみで周りが見えていなかったみたい。謝罪し通り過ぎようとすると「ちょっと待てよ」と腕を掴まれた。
「……なんですか?」
「自分からぶつかっておいて謝罪もなしなんてひでぇよなぁ?」
「え、あー……ごめんなさい!」
謝罪はしたはずだけど……多分聴こえていなかったのだろう。もう一度、相手に聞こえる声で謝罪をする。男性は犬のような耳を伏せ、困惑したような顔をしたかと思うと僕の胸倉を掴み「ふざけてんのかてめぇ!」と怒鳴った。
「謝罪したのに!」
「言葉の謝罪なんて腹の足しにもならねぇもんなんかいらねぇんだよ!」
「貴方お金ないんですか!? 毎月100クルミもらえるのに!」
「うるせぇ!」
男性は怒鳴り僕の顔面を殴る。もう死んでるからかは判らないけれど、そんなに痛くない。例えると、頭を机にぶつけた時と同じくらいの痛みだ。普通に痛いけど、泣き叫びたくなるような痛みではない、みたいな……まぁ、そんな感じの。だから頭の中は割と冷静だった。
「黄泉の国では暴力をふるうことは禁止されていましたよね?」
そう言ったらまた殴られた。ルールを破ればどんなことになるか判らないからそう言ったんだけど、もしかしてこの世界のルールってそこまで強制力はない……? それならどうやってこの場を切り抜けよう。うんうんと悩んでいると隣からドスの効いた声と共に飛んできた拳が男性を吹っ飛ばした。それと同時に僕も吹っ飛んだ。胸倉を掴まれていたからだ。
「あっやべ」
くらくらする頭を押さえていると、隣から如何にも「やっちまった」という声が聴こえた。視界がぼやけて判りづらいが、全身緑色で背の高い人物が僕を助けて……多分、おそらく、きっと、助けてくれたんだろう。
「大丈夫か?」
「もう少しで大丈夫になるかも……」
「そうか」
相槌、その次に男性の悲鳴と殴打音。視界がぼやけているから判らないけど、明らかに過剰な暴力を受けている気がする。数秒後、不調がある程度治った僕はその光景を目にして、思わず目を逸らしてしまった。
僕に絡んできた男性の顔がぐちゃぐちゃに潰れている。かなりえげつない。さすがに死者でもここまでの傷はやばいんじゃないか?
「あー、大丈夫だ。傷は遅くても一日で完治するから。アンタがつけられた傷だって治りかけてるだろ?」
僕の疑問に答えるように、血まみれの男性が頬を掻きながらそう言った。帽子で顔は良く見えないけど、どこか気まずそうだ。やりすぎたと思っているのかな……まぁ、そんなことは良いか。
「えっと、多分……助けてくれたんですよね? ありがとうございます」
「まぁ……一応。それよりアンタ、新人か?」
「あ、はい。三日前に死にました」
「だからか……」
男性は独り言ちると僕に手を差し伸べた。
「とりあえずこっから離れるぞ。もうすぐでねこが来ちまう」
「わ、かりました……」
・
公園の水道で血を洗い終え、僕たちはベンチで話をすることになった。無事を確認するために買った本を取り出すと血で汚れていた。楽しみにしていた分だいぶショックかも……。
「うわ、血まみれだ……」
「安心しろ、この世界の物は自動浄化機能がついてるから。明日になればキレイになってるはずだ」
「え。すごいね、それ」
自動浄化機能。そんな便利な機能があるんだ。
「それより、アンタの名前は? あ、俺はタイヤンだ」
「朔間永夢」
「朔間……? なぁアンタ、ユエ……じゃねぇや、鬱之憂病の知り合いか?」
「そ、そうだけど……」
「やっぱり! 三日前だったかな、あいつが嬉しそうにしてたんだよ。理由を聴いたら仲良くなりたいと思っていた奴と出会えたとか何とかで、アンタの名前を出してたんだ」
タイヤンさんは屈託のない笑顔を浮かべてそう言った。鬱之さんは僕を”友達の弟”だと思っているから嬉しそうにしているけれど、身内じゃないって知ったらどうなるんだろうとか思っちゃうな……。偶然出会った人物が友達の弟だった、なんて都合の良いことは起こるはずないから。
「なぁ永夢、この町がなんて呼ばれてるか判るか?」
判らない。首を振ると、タイヤンさんは顔を近づけて人差し指を立てた。
「カンゴクチョウだ」
カンゴクチョウ……監獄町? 罪人が住む町……?
「この町は人にも妖にもなれない中途半端な罪人が住む場所だ。まともな奴ならまず寄り付かねぇ」
「人にも、妖にもなれない? 罪人は妖になるんですか?」
「否、違う。街を歩いている奴らは生粋の妖だ。罪人は地下の国に送られるからな。ここに住んでいるのは裁判官から”地下の国に送るほどではないが黄泉の国に住まわせるには不安が残る”と判断されたやつらなんだ」
タイヤンさんはそう言って帽子を取った。彼の頭には垂れた犬の耳があった。尻尾は見当たらないし人間の耳がある。確かに”中途半端”という言葉が似合う状態だった。
「地獄に行くほどじゃあない罪人はこんな感じで耳か尻尾だけが生やされる。区別するためにな」
「区別……タイヤンさんは帽子を被っているけれど、隠すことは許されてるんですか?」
「まぁ、管理者が区別するためだけの物だからな。普段は隠してても問題はない。ただまぁ……この町以外住んじゃいけねぇ決まりはあるけど、それ以外はアンタらと同じだ」
タイヤンさんは帽子を被ると懐から煙草の箱とライターを取り出した。この世界だと煙草の扱いってどうなのだろうか……吸っても健康に問題ないのか、否か……。
「壊すような内臓はもうないぞ」
「えっじゃあ僕がお酒や煙草を嗜んでも問題ないってこと!?」
「そうだな」
そうなんだ! 本の登場人物がお酒や煙草を嗜んでいるのを見てずっと気になってたんだよね! 生きてた頃では考えられなかったかも!
彼のつけた煙草の臭いが鼻孔をくすぐる。なんというか、不思議な臭いだ。……あんまり好きじゃないかもしれない。
「そういや、永夢は就職する気あるのか?」
そわそわしていると、タイヤンさんが口を開いた。就職。就職か……。
「急だな……」
「わりぃ、不躾だったな。答えたくなかったら別に……」
「否、大丈夫。まずはこの世界に慣れてからにしようかと思っているよ。一人で外を出歩くのにも慣れてないし……今日みたいに何かあったとき自分で対処できるようになりたいし…………」
「ま、まぁ、なんかあったらねこが助けてくれるだろ。あいつらめちゃくちゃ腹立つ喋り方するけど仕事はちゃんとするから」
「そうかな……」
でっも確かに、人間を舐めたような喋り方だけど仕事はちゃんとしてたな……と今まで出会った猫の台詞を思い出す。でも人間同士の争いとかは止めてくれるのかな……などと思っていると、猫が僕たちの前を通った。猫は点のような目をこちらに向け「っぺ!」と唾を吐いた。猫の吐いた唾が足元に落ちる。そのしぐさはまるで僕の思考を読み取り「今クソ失礼なことを考えたな? 仕事はちゃんとするに決まっているだろ」と抗議しているようだった。
微妙な空気になっていると、電子音が周囲に響く。タイヤンさんは「やべっ」と声を上げると煙草の火を消し立ち上がった。
「チラシ配り中だったの忘れてたわ。これ俺の連絡先と仕事場のチラシ! ユ、じゃねぇ憂病と一緒に来てくれよな! んじゃ!」
チラシと紙切れを僕に押し付け、タイヤンさんは去っていった。チラシを見ると「廃墟☆彡ワンダーランド特別公開! 普段は立ち入り禁止のところもずかずか入れちゃう! みんなもおいでよ、廃墟の国! とっても寂しい、廃墟の国!」という文と共に住所と開催期間が書かれていた。どうやら明日始まるらしい。
携帯電話にタイヤンさんの連絡先を登録し、僕は帰るために公園を出た。絡まれていた場所は立ち入り禁止になっているようで野次馬が大勢いたが、僕は無事に帰宅することができた。
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