そこにあった家
いや〜。異世界初日に野宿するとこだった。
春子はキッチンの台にランプを置くと、ヤカンを火にかけながら先程の出来事を振り返る。
鏡から出るとそこは闇だった。
はじめは目がおかしくなったのかと思ったが、夜空を淡く照らす月を見て今が夜なのだと理解した。
そしてそんな繊細な光が深い森の中まで届くことはなく、
暗闇の中ただポツンと佇んでいた私は、そこで早々に動くことを諦め、キャリーケースから絨毯を引っ張り出すとその場に敷き、靴は履いたまま腰を下ろした。
(あとは明るくなるまで待機だな)
周囲を見渡しても数メートル先も見えないのでは動いたところで危険しかない。
私は上半身は起こしたまま両手を体の後ろのひいた位置で突き、高い木々の隙間から見える夜空を鑑賞しつつ〝(思ってたんと違うな〜)〟と内心呟いてはたと気付いた。
普通、虫の音と何かの夜鳥の鳴き声が聴こえる夜の森に一人でいれば、不安と恐怖心が湧いておかしくない。
しかし今私は若干の戸惑いはあるが、他の感情は然程ない。これが感情に疎い精霊だからというならパニック知らずで悪くな______、
ここでヤカンが出す蒸気の音で春子の意識が再びキッチンに戻ると、用意したマグカップにインスタントコーヒーと湯を注ぎ入れ、ソレと台に置いたランプを持って、キッチンをあとにする。
そして室内の家具ほぼ全てにまだ白い布が掛かったままだが、春子は全然気にすることなく素通りし、そこのダイニングテーブルの席まで来ると椅子に掛けた。
フゥー、フゥー...。
ずずっとコーヒーを啜り飲み、〝ほぉ〜〟っと一息つく。
あのあと。
絨毯に突いた手に何かが触れたと、視線を落とし、少し振り返るようにして手元を見れば、
そこに12芒星のネックレスがあった。
そしてよく見ると絨毯の繊維がチェーンの一部に絡まっているのが分かり〝(あぁ。絨毯出すとき引っ掛かって出たのか)〟と思うと、もう少し上半身を捻じって後ろを向きそのネックレスを手繰り寄せようとして、そこにある家に目が留まった。
そしてその瞬間反射的に勢いよく立ち上がった。
が、直後今そこにあった家が忽然と消え、夜の森に逆戻りすると、慌てて家があった場所に駆け寄り周囲を見回した。
「えっ?なんで??家どこいった?」
右に左にウロウロと、しばらくその一帯を挙動不審に動き回っていたが、ここである事に気付いた私は
はじめに居た場所に戻り、12芒星ネックレスを確認すると、絨毯ごと持ち上げ振り返った。
すると先程見た位置に家が再び現れ、
「やっぱり!!!」
と声を上げた私は、絨毯からネックレスを取り上げ首から下げると家の玄関と思われる場所に立ち、ドアを覆う蔦をかき分け一心不乱に引きちぎった。
そして、どうにかこうにかドア一枚分の蔦を剥がし終えると、慎重にノブを回し、そろりと中を窺うようにして開ければ、
このとき、真っ暗な室内で何かが揺らいだ気がして生き物でもいるのかと思ったが、蔦で覆われた家の中は、外以上に暗く、中の様子を窺い知ることができずにいると、次には思い切って玄関ドアを全開にした。
まぁ。結局全開にしたところで室内の明るさは大して変わらなかったが。そのあとに、いくつか使えるランプを見つけることができたのはラッキーだった。
春子は、首に下げたネックレスを手に考えを巡らせる。
結局、はじめから家はそこにあったのだ。
しかし、この魔女の身分証だというネックレスを身に付けていなかったから認識できなかっただけで、
だから〝肌身離さず身に付けて〟と言っていたのか...?。
そして次に思うのは、外観は古さを感じたが、室内は埃っぽさがまるでなかった。300年経っているはずなのにだ。
今思えば、あの玄関のドアを開けた瞬間感じた揺らぎは、
以前事故に遭った時に感じたものと同じだったように思う。
おそらくだが、この家の中は時間が止められていて
さっきの揺らぎは、時間が動き出した瞬間だったのではないだろうか。
春子はマグカップを置いて椅子から立ち上がるとランプ片手にいくつかあるドアを開け中を軽く見て回る...と、そこにベッドがあるのに気付き春子はポケットから浄化の灰を取り出し、ひとつまみ振り掛けた。
そしてサイドテーブルにランプを置くと、ベッドに腰掛け靴を脱ごうとて、そのまま意識を失い仰向けに倒れた。
翌朝、庭に出た春子はキャリーケースを引いて、ある目的地に向かいながら昨夜のことを思い返す。
あのときポケットから取り出したそれが〝灰〟だと思い浄化のつもりでベッドに振り掛けたが、実際には妖精の花の乾燥粉末だったようで、ベッドに腰を下ろした瞬間私に祝福の睡眠(安眠)効果が発揮された形になった。
...だがアレは安眠というより気絶に近い気がしないでも無いが。
そしてそんな事を考えながら移動し、今、木製の古い戸が付いたガーデンアーチの前まで来て足を止めと、春子はその戸を眺める。
戸には普通はあるはずの取手がない。その代わりか戸の表面に魔法陣が彫ってある。
おそらく魔力を流せばいいのだろう。
そう判断した春子は一度深呼吸すると〝そ〟っと戸に触れ魔力を流した。
ギ、ギィ______。
年季の入った戸は見た目通り錆びついた音をあげ、ゆっくり開かれる。
「...ここが精霊の地。」
春子の視線の先には花など何処にもなく、ただゴツゴツと岩が目立つ斜面が遥か先まで広がっていた。




