野良猫聖女、追放される。
今日も今日とて祭壇の間は騒がしかった。
「もういい! お前は追放だアンナマリナ。お前のようなぽんこつ聖女はこのマギカアカメディアにふさわしくない! とっとと荷物をまとめて出ていくといい!」
アンナマリナが祭壇の前で跪き神に祈りを捧げていたところに現れた金髪碧眼の貴公子。
この国、グーテンベルク王国の王子でありここマギカアカメディアの生徒会で会長を務めるギディオン・M・グーテンベルクその人がそう叫ぶ。
「はう、でも、ギディオンさま、わたくしアカメディアの寮を追い出されたら住むところがありませんわ」
「そんなことは知ったことか! そもそもお前は教会が聖女と認めたからこそ費用全額国家負担でこのアカメディアに通えているというだけの存在。しかしなんだ、この十年、一度も聖女らしい能力を発揮することもなくただただここに居るだけではないか!」
「え? 聖女らしい能力、ですか?」
ポカンとした表情で小首を傾げ、頬に右手を当てる彼女。
コケティッシュなその表情。十五歳になって居るはずだというのにまだ幼い顔立ちで。
ふわふわな銀髪が背中まで広がり、その透き通るスカイブルーの瞳には、無垢な美少女、そんな代名詞が似合う。
「聖女の能力すらわからぬと言うのか? 学業の成績も最下位だが肝心の聖女のことすらわからぬとは」
呆れた声を出すギディオン。
自分の言葉が通じているのかいないのか。それすらも疑問に思えるその表情。
だいたいこいつは顔だけだ。中身は空っぽのぽんこつだからな。
そんな思いが頭をよぎる。
「まあいい。話をするだけ無駄だ。とにかく、教会にはもうこれ以上お前のようなぽんこつのお飾りは聖女として認めることはできぬと書簡を送ってある。国からの援助もこれで打ち切りだ。理解したらとっとと私の前から消えてくれ」
そう、頭を振り右手を額に当て。
左手であっちに行けとばかりに手の甲を振るギディオン。
「でも、わたくし、お飾りなんかじゃ……」
「じゃぁ今まで何をしてきたのだ! 言ってみろ! この十年の間、何もしていないじゃないか!」
「だって、わたくし……」
目の前の少女の瞳が涙で溢れる。
少し、きつく言いすぎたか。そうは思って、また頭を振る。
だめだだめだ。絆されてはだめだ。ここで絆されたら今までと一緒。
なんだかんだであの「可愛らしい」顔に絆されこうしてずるずるときてしまったのだ。
ここは心を鬼にしなくては。
「もういい。私は忙しい」
そう言うと、控えていた従騎士に手で合図を送る。
二人の従騎士は泣き出してしまったその少女を連れ出し祭壇の間の扉を閉めた。
後に残された静寂の中。ギディオンは一つ、大きくため息をついた。
♢ ♢ ♢
騎士に腕を掴まれ部屋を出されたアンナマリナ。
目には涙をいっぱいに溜め、言葉に詰まってもう何も言えなくて。
バタンと閉まる扉に、彼女の心はあきらめで占められた。
まだ、ちゃんと話をしていない。
まだ、ちゃんと話していない。
そんな気持ちも、上から落ちるように心を占めていく諦念に押し潰されていく。
生まれた時から一人だった。
気がつけば、野良猫と一緒に街で餌を求めて徘徊する日々。
馬小屋の隅っこに潜り込んで寝て。
起きたら仲間の猫と一緒に餌を探す。
時には人間の餌場を荒らし、捕まって殴られた。
仲間の猫が狩った鳥に一緒にかぶりついた記憶もある。
人間は怖い。近づくと水をかけられたりもする。
そんな感情だけが五歳までのアンナの記憶。
ある日。
罠にかかって人間に捕まった。
美味しそうな餌だと思って食い付いたら、バタンと閉まる檻。
ぎゃーっと吠えたけど、なんか変な匂いを嗅がされて、そのまま人間の場所に運ばれたらしい。
「お前、言葉はわかるかい?」
それが大司教レイモンドとの出会いだった。
裸で徘徊していた獣とも人ともつかぬ子供を保護したと、そんな報告を受けやってきたレイモンド。
どうやら女の子らしいと寝ている間に麻のキトンを着せ、ベッドに寝かせてあったその子の顔に自分の顔を近づけ、そう言葉をかけた彼。
パッと目を開けたアンナ。
初めて間近でみる人間。
今まで自分を害する怖い存在。
そう認識していたはずだったのに。
そのかけられた声があまりにも優しい響きに満ちて。
その近くに寄せられた顔が、あまりにも眩しい笑顔だったから。
怖いって思うよりも「これは何?」って好奇心の方が優った。
「オマエ?」
彼の言葉を、音をすこし真似てそう声に出して。
「私はレイモンド、だよ。君は?」
「レイ、モン……」
「レイモンド、だよ」
「レイ、モンド?」
「はは。よくできました」
そう笑って、頭をガシガシっと撫でてくれた大きな手が。なんだかとっても心地よく。
気がつくと、アンナは自らその手に頭を擦り付けていた。
嬉しかった。
初めて触れた他の人。
それが思いの外、温かくて。
心地よくて。涙が出た。
この時の幼いアンナ。五歳くらいの年齢だろうと想定された彼女。
まだ、人の言葉も知らない野生の子だった彼女が、初めて知った人の温もりだった。
それがあまりにも心に沁みて。
アンナはその差し出された手を離したくない。そう渇望した。
ああこれは自分のものだ。そう思ってしまったのだった。
アンナマリナ。
その名前をつけてくれたのもレイモンドだった。
なんとか少し人の言葉がわかるようになった頃、レイモンドは彼女に聖女という称号を与えマギカアカメディアに放り込んだ。
大勢の人との触れ合いが彼女の情緒を育てるとそう信じたのもあった。
しかしそれよりも、レイモンドはアンナの才能を認めていた。
彼女の加護は、神に与えられた本物の聖女の加護であると、
それを伸ばす機会を与えることがアンナにとって一番大切なことだから、と。
そう確信していたから。
♢ ♢ ♢
とぼとぼと、とぼとぼと、うなだれて自室に戻る。
また、喋れなかった。
言葉がちゃんと出てこなかった。
「だって、あたし、ばかだもんしょうがないじゃない。
がんばったよ?
がんばってことばおぼえたけど、むずかしいことばはまだすぐにでてこないんだもん。
お嬢様の言葉って難しいし、あたまの中でかんがえてからじゃなきゃ、口からでないんだもん」
部屋の扉を締め周りに人の気配が無いことを確認してそう、吐き出す。
レイモンド様に、ちょっと似た感じのギディオンには嫌われたくなかった。
アンナが勝手に、この人は自分の味方だと感じてきただけだっていうのはわかってた。
でも、今までは小言は言われても、最後にはゆるしてくれていた。
それに甘えてしまっていたのが悪かったんだ。
そうは思うけど。
自分がどんなことをしてきていたのかさえ、わかってもらえなかった。
それが悲しくて。
自分がどんなことをしてきたのかをギディオンにちゃんと話せなかったことに、自己嫌悪に陥って。
溢れた涙を拭いもせず、そのままベッドに転がった。
出ていけと言われたのだっけ。このまま泣きながら寝てしまっちゃいけないのだ、と。
そう頭ではわかっているのに心がついてこなかった。
どれくらいそうしていたのだろう。窓の外がすっかりと夕暮れに染まり、日が沈むまでにもうそんなに時間が無い事を示唆して。
んん……。
伸びをしておきる。
泣いたまま寝てしまったからか、目の周りはカピカピになっていた。
ゴシゴシって擦って、なんとか目を開ける。
どうしよう。
このまま寮を出て行っても帰る場所もない。
教会にはもうレイモンド様も居ない。
アンナが訪ねて行ってももう受け入れてくれる人も居ないから。
そんなことを思いながら身の回りのわずかな荷物を袋に詰めて、とぼとぼと外にでた。
もう太陽は完全に西の山際にかかっている。
完全に沈むまで、もうそこまで時間が無さそうだ。
アカメディアではほとんど制服で過ごしていたから、普段着なんてそんなに要らなかったから。
今も、質素なベージュのワンピースだけ。
他に着替えも無いから荷物はそんなにないけれどそれでも足取りは重かった。
行くあてなんか無いけど。
それでもなんとか寝る場所を探さなけりゃ。
アカメディアは街から離れた広大な敷地にぽつんと建っていたから、このままじゃ街にたどり着く前に日が完全に暮れてしまう。
ああ、あそこで寝てしまわなければ。
そう後悔したけれどもう遅かった。
どこか身を隠せるところは……
そう周囲を見渡すと左前方に小さな林がある。広大な草原の中にぽつんとあんなふうに樹々が生えている場所があるなんて、もしかしたら何かの祠でもあるのかな? そう思い道をはずれそちらに進んでみた。
日がすっかりと暮れ、辺りが暗くなっていた。
月も無い。
それでも。
アンナは5歳まで猫と一緒に暮らしていたせいか普通の人より夜目がきいた。このくらいの暗さならまだ足元にも迷わずに歩ける。
そのまま藪を抜け林の中央まで辿り着いた時。そこにあったのは石造の祭壇。
中央にはぽっこりと人が一人座れるだけの隙間もある。
「ここで、いいかな」
そう小声で呟くと、アンナはその石畳の隙間に周囲の枯れ草を集め敷き詰めて、両手でふみふみと整えるとそのままそこに丸くなった。
猫のよう、猫がまん丸になって眠るように。
アンナもまた、手足をぎゅっと折り曲げ体を丸くしてその隙間にはまり込んだのだった。