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三ノ話・七
「信忠さまが、(徳川)家康さまとおられた折りのことにございますが」
信忠とは、信長の嫡男、織田信忠のことである。
信長は後々跡目争いが起きぬよう、この信忠を自身の後継と定め、すでに家督を譲っていた。
数日前、徳川家康は信長の居城である安土城を訪れ、信長に挨拶した後、信長の勧めで京見物へ向かった。
その際、警護役として手勢を率いた信忠が同行し、ともに京へと来ていた。
「京見物の折、家康さまは、たっての願いで一条戻り橋に参られたと聞き及んでおります」
蘭丸の言葉に、信長は珍しく驚いた顔をした。
「そのようなことがあったとは。
して、信忠も同行したか?」
信長の問いに、蘭丸は首を横に振った。
「お館さまが安土より京においでになるとの報を受け、出迎えのため、家康さまとは別れたと聞き及んでおります」
蘭丸の声は、かすかに震えていた。
「ほう、そうであったか」
信長は不機嫌な顔で言うと、何かに思いを巡らせているかのように天井を見た。
徳川家康はその後、これも信長に勧められた奈良、大阪を見物し、今は堺に居ることになっていた。




