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本能寺の夜・一
時は天正十年六月一日のことである。
尾張の大名、織田信長は、自身が掲げた天下布武を目前に控えていた。
これより三日前、信長は手勢数十人を引き連れて、琵琶湖畔の安土城より上洛していた。
信長一行が逗留したのは、京での定宿としていた本能寺である。
この頃、信長および信長臣下の治める領地は、東は遠く上野、甲斐にまで及び、北では北陸越前を領する柴田勝家が、越後の上杉景勝と刃を交えていた。
一方、西に目を移せば、四国平定のための軍船が堺の港に配備され、信長の三男信孝が出陣を数日後に控えていた。
備中では羽柴秀吉が毛利元就とあしかけ六年に渡り戦っていた。
その秀吉から信長に援軍の要請があったのは、半月ばかり前のことである。
これを受けて信長は、家臣の明智光秀に兵を出すよう命じた。
居城である琵琶湖西岸の坂本城へ戻った明智光秀はこの日、自らの軍を率いて秀吉の元へと出陣したばかりである。
信長はいつになく機嫌が良かった。
長男信忠が朝廷より高い位を賜ることが決まったのである。
それを祝して信長はこの日、盛大な茶会を開いた。