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月は、欠けては満ちてゆく  作者: ふじわらこう
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第3話 出会いと別れ

 兵は、本隊からはぐれて、一人になったとしても、兵役へいえきから自由になったわけではない。


 そもそもが一人では異国から日本に帰る方法などないのだ。


 はぐれた兵は、所属部隊、またはその上位組織である師団を探さなければならない。撤退、いや転進は、新たな作戦の命令を受けるための移動にすぎない。


 部隊または師団を見つけるのは簡単だ。1師団に一つ、野戦病院が設置されているのだから、それを探して歩けばいい。


 だから、古川俊夫(としお)が野戦病院を探しているのは、彼が病気に罹患りかんしたからではない。


 体調は良くない。熱もある。しかし、野戦病院に治療を期待してはいない。あくまで原隊復帰のため、逃亡罪で処分されないため。


 野戦病院があれば、そこには行動をともにする歩兵連隊がある。食べ物もあるかもしれない。少なくとも道端の草よりもマシなものが食べられるはずだ。


 そうやって、這々(ほうほう)ていでたどり着いた野戦病院に、その男──古川年男(としお)という衛生兵がいた。


 古川俊夫は、新たな下命かめいがあるまでは、この野戦病院で待機するしかない。所属部隊が全滅していれば別の部隊に編成されるのを待つことになる。


 中隊長はいつまで経っても来ない。いつの間にか、古川俊夫も衛生兵に混じって野戦病院にたどり着いた兵士達の対応をするようになっていた。


 と言っても、看病をするわけではない。


 アメーバ赤痢の薬エメチンは、数が少ないので将校以外に使ってはいけないらしい。野戦病院で倒れた兵士は、自然治癒で回復するか、死ぬしかない。


 古川俊夫に与えられた仕事は、そういった死体を埋める穴を掘り、そこに、2、3体をまとめて放り込んで埋めること。


 最初は、1体ずつとむらうべきではないかと思ったが、そんな重労働をしていては体が持たない。


 死体は毎日生まれるのだから。


 そのうち、一人で異国の地にほうむられ、墓参りをする人がいないよりも、2、3人でいるほうが寂しくないだろうと思うようになった。


 この野戦病院にいる兵士は、ここで埋められるか、治ったことにされて向かったどこか別の場所でしかばねさらすしかないのだから。


 そのうち、古川俊夫は、古川年男と話をするようになった。


 やがて、一緒に行動することも増えていく。


「古川っ!」と呼ばれると「「はいっ!」と二人で返事をする。


「古川トシオのほうだっ!」


「「二人とも古川トシオでありますっ!」


 二人してそう答える。嘘じゃないから、上官にしてもため息をつくしかない。そもそも命じる用事は雑用なのだから、正直、どちらの古川であっても構わない。


 二人にしても、似た名前に親近感を覚えていた。互いに相手を食い物にするような性格でなかったことも意気投合するのに拍車をかけた。


 心に依りどころにするものがなければ、人は生きていけない。


 神も日本軍も信頼するに値しないとわかった。死んだら靖国だと言う者もいたけれど、帰りたいのはそこじゃない。作戦中止とともに部下を捨てて逃げ去った上官と死んだあとまで一緒だなんて真っ平だ。


 こんな戦地だからこそ、求めるのは、信頼して助け合える人間なのだ。おのれの命を託して人生をあきらめられる誠実さなのだ。


 こうして、二人の古川トシオは急速に親しくなっていった。


 ある日、年男としおが倒れた。


 昨夜から下痢が続いていたようで、ズボンからはすでに糞尿ふんにょうが染み出している。


 アメーバ赤痢だと誰もが思った。


 アメーバ赤痢は伝染病だ。赤痢原虫を体内に取り込んで発病する。おそらくは、患者か死体の病原菌が付いた手のまま食事をしてしまったのだろう。


 俊夫としおは、慌てて以前に死体から剥ぎ取っていたきれいなズボンに履き替えさせたが、しばらくすると、いつの間にか漏らしている。


 俊夫には、もうどうすることもできなかった。


 野戦病院の庭に天幕を張り、そこに寝かせた。かゆすすらせる。たとえ、死んでいくにしても、自分の手で埋めるのは嫌だった。名前も知らない何人かと一緒に埋めたから寂しくはないだろうとは、とても思えなかった。


 そのうち、年男の顔色が良くなってきた。


 野戦病院では、一週間に3度検査して赤痢菌が検出されなければ退院となる。


 本来なら、そのままこの野戦病院で働くはずだったが、後方の兵站へいたん病院に向かうように命じられた。ただし、自分で歩いて行くようにと。


 俊夫にとって、それは事実上の死の宣告のように思えた。年男が別れの挨拶をして出ていった後を追いかけた。


 逃亡罪に問われるかもしれないと思ったが、一人にしてはおけなかった。


 年男の歩みにあわせてゆっくり歩く。急ぐ必要はないし、ここ低地では、広葉樹林が広がっている。空から敵機に見つかるのを隠してくれるから、日中、歩けるのだ。


 そうなると、気持ちに余裕も出てくる。二人で歩くことで気もまぎれる。


 年男の体調を考えて、食事は1日2回、朝10時と夕方4時にとることにした。かゆと塩だけの食事だが。


 夜は、眠りにつくまで、家族のことを話すようになった。郷里のこと。妻のこと。子供のこと。親のこと。近所の嫌な人のこと。


 そして、昼間、歩き疲れた体を休めるために座った木の根元で、大切にしている写真を互いに見せ合うのだ。


 だが、完治していない体に長期間の歩行は無理だった。


 ある夜。


しゅんさん、自分は、もう、無理そうです」と暗闇の中で年男が言った。


ねんさん、兵站へいたん病院まではもうすぐだから。眠って休んだら大丈夫だから」


「たぶん、このまま、目を閉じたら、もう、目を覚ますことは、ない、そんな、気がします」


「そんな気弱になってどうする。内地では奥さんと二人の子供が待ってるんだろう」


しゅんさん、お願いがあります」


「なんだ?」


「自分が、死んだら、家族に、伝えて、もらえませんか」


「そんなことは考えるな」


「今、言っておかないと、間に、合わない、から」


「わかった。何を伝えればいいんだ?」


「自分は、妻に会えて、幸せだったと。子供達を、産んでくれてありがとうと。子供達に会えて幸せだったと」


「わかった。必ず伝える。だが、それは自分で言うべき言葉だ。必ず生きて帰ろうな。ねんさん」


「ぁあ、帰りたいなぁ」


 年男はそう言って眠りについた。


 翌朝、俊夫は、年男が息をしているのを確認してホッとした。


 だが、もう立ち上がることはできなかった。


 ズボンは糞尿で汚れていた。アメーバ赤痢が再発したのだ。治療をしていないのだから当たり前のことだ。


 こうなるおそれがあったから、こうなると思っていたから、年男についてきたのではなかったかと、敏夫はその場で看護した。


 しかし。


 道中で死体から奪っていたズボンに履き替えさせても、すぐに汚れる。どうあがいても絶望しかない。苦しんでいる様子にいっそ楽にしてやりたいとも思うが、踏み切る勇気がない。もしかしたら、明日の朝、寛解かんかいしているかもしれない。ありえないことだとわかってはいるのだが。


 夕方ころ。


 年男が震える手で背嚢はいのうゆびさした。


「て、手紙が……」


 それは、年男の妻からの手紙のことだと思った。最期に握りしめて逝かせてやりたいと思った。


 だが、そこにあったのは、妻からの手紙ではなく、年男が書いて出せずにいた手紙だった。


「よ、読んで、もらえま、せんか」


 年男はひび割れた唇から絞り出すように声を出した。


 俊夫は、ゆっくりと聞かせるように、そのたどたどしい文字を声に出して読み上げる。


「戦地に赴いてから、ずっと、私はあなたのことを忘れようとしていました。


 生きて帰れることないだろう。あきらめて死に臨むしかない。ならば、せめて立派に戦ってあなたと子供達が幸せに生きていくために死にたい。未練は残してはいけない。


 ですが、忘れることなどできなかった。心残りばかりだ。


 残してきたあなたと子供達の行く末を見守ることができなかったことが無念でならない。


 子供達が育っていくのをあなたと一緒に見ることができなかったことが無念でならない。


 どうか、どうか、無事で過ごしてください。そして、私のことなど忘れて生きてください。


 それだけが私の望みです。


 あなたと子供達、家族が幸せになることを遠く異国の地から願っています」


 読み終えて、年男の顔を見たとき、その目が何も映していないことがわかった。


「……ねんさんっ!」


 俊夫の慟哭は、もう年男に届くことはない。手でまぶたを閉じてやる。膝をついて、手を合わせる。


 ここにスコップはない。乾いた固い大地は手で掘れそうにはない。俊夫にできるのは、携帯天幕を掛けた上に、刈った草で覆ってほうむるだけだ。


 それでも、もしも、年男がこの手紙を自分に託したのだとしたら、せめて遺品を持ち帰ってやりたい。


 だが、持ち物はガラクタばかりだ。年男の認識票は戦争に取られたことを遺族に突きつけるだけで、故人を偲ぶものではない。


 考えあぐねて、毛髪もうはつを一房切り取った。


「一緒に帰ろうな」


 年男が、死ぬまで大切に持っていた写真と手紙を雑嚢ざつのうに入れ替える。


 ここに捨てておくなんてできない。わずかな間のことだったが、人生の中で親友と呼べる大切な存在だ。


 せめて、手紙と写真、毛髪もうはつだけでも家族の元に帰してやりたい。


 望んでこんなところまで来たわけではないのだ。


 家族の元から離され、はるか遠くの地で土になるしかなかった男の生きたせめてものあかしを、郷里で、家族の元で安らかに眠らせてやりたい。


 泣きたいのに涙が出ない。


 喉は乾き、汗も枯れ果て、もう水分など体に残ってない。悲しくて、つらくて、かわいそうで、情けなくて、嗚咽しているのに、それなのに涙が出ない。


 だから。


 必ず、生きて帰る。


 そう思い定めて、小銃をその場に置いた。6発の銃弾に手榴弾、それらも遺体のそばに置いた。


 少しでも身を軽くしたいから、だけじゃない。


 この先、どんなつらいことがあろうとも、自決を選ばないように。楽になりたいという誘惑に負けることがないように。


 持つのは、大切なものを入れた雑嚢ざつのう飯盒はんごう、そして水筒だけ。


 なんとしても帰らなければならない。親友の手紙と伝言を、帰りを待つ人に届けなければ。


『自分は、妻に会えて、幸せだったと。子供達を、産んでくれてありがとうと。子供達に会えて幸せだったと』


 親友の伝言を心の内で繰り返す。


 それは、もしかしたら、俊夫を生かそうとした年男の最後の祈りだったのかもしれない。


 それでも、親友の願いを果たすために、ただそれだけのために、男は歩き始めた。


 道はどこまでも続く。どこに行けば望みが叶うのか、それすらわからない。


 しかし、足を止めるわけにはいかない。


 生きるということに今、明確な目的が生まれた。自分の家族に会いたいという自己的な理由からじゃない。


 理不尽な死を押し付けられたもう一人の自分を、靖国神社などではなく、家族の元に返してやりたいと、心の底からそう思ったからだ。


 ただ、怒りだけが男を突き動かしていた。


参考・引用文献


前掲のほか。


三島四郎「ビルマ軍医戦記」光人社2005年


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