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月は、欠けては満ちてゆく  作者: ふじわらこう
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第21話 御前様

 1947年1月。


 古川俊夫は、屋敷の女将である丸山ゆかりの部屋で正座になり、頭を下げていた。


 正面で椅子に腰かけているのは、丸山ゆかりの旦那で、この屋敷を買い与えた人物。


 物も何もないご時世に、三つ揃いのスーツを着て、葉巻をくゆらせている。


「それで? おぬしがわしの女に手を出していないことはわかった。わしがこの家に来られなかったことで、ゆかりが食うに困ってわしが大切にしていた骨董品を売りさばいたことも、しかたなかったことと諦めよう。


 だが、この家のこのありさまはどうだ。まだ、年端もいかない子供らを使って商売をしている、だと? しかも。給金も払わず、掃除だ、洗濯だと仕事以外でもこき使っている。わしが面倒を見ている女の家で」


 そう言って、すでに六十を超えた男は椅子いすの上から、俊夫にステッキを突きつける。


御前ごぜんさま」


 丸山ゆかりがとりなそうとするが、さすがに名門財閥で商社の重役を勤めていた男にとって、このような道徳に反する行為は虫酸むしずが走る行いのようだった。


 1月4日、公職追放の範囲が広げられ、戦前、戦中の有力企業や軍需産業、思想団体の幹部、多額寄付者なども追放の対象となった。


 この男もそうして、財閥系商社を去ることになったのだが、そのせいで暇になったため、久しぶりに面倒を見ている女の元を訪れたところ、屋敷の一部が自分の知らないうちに事務所となり、まだ幼い子供達が働いているのを見て驚いたというわけだ。


 古川俊夫にしても、反論の余地がないから、ひたすら平身低頭で謝罪の意思を示し続けるしかない。


 社長と呼ばれるようになって数か月。


 こんな姿をまだ幼い従業員達に見られるのは、忸怩じくじたる思いだったが、ここを追い出されて新たに事務所を開くあてもカネもない。


 従業員達を再び浮浪児にして、道端に放り出すわけにはいかなかった。


「誠に申し訳ありません。この不始末につきましては、いかようにも罰を受けますので、なにとぞ、商売を続けることだけはお許しください」


「そうだな。ゆかりが、こうやって無事に過ごせてきたのも、この商売あってのことだというし、大目に見てやってもいいだろう。しかし」


 男の強い意思を感じて、ゴクリと喉が鳴る。


「わしもちょうど職を失ったところでな。新しい事業を起こすにもカネがいる」


「わたくしどもに、大したお金など……」


「そんなことは、見ればわかる。わしがほしいのは、簡単な手助けだ。少しばかり手伝ってくれるなら、この先もこの屋敷で商売をするのは見逃してやろう、ということだ。どうだ?」


「手助けですか」


「そうだ」


「どのような」


「なあに。わしが指定した家に行って古着を買って、それをこの屋敷まで持ってきて、細かく切った上で、わしが指定した工場まで持っていく。それだけのことだ」


「どちらの家でしょうか?」


「行くのは、群馬とか茨城だ。4人分のリュックサックとカネを渡して住所を教えるから、行った先で古着を背負えるだけ買ってくればよい。ただし、カネを持ち逃げした場合は、おぬしに払ってもらう」


「子供達に商談などできませんが」


「行く先はわしの知り合いだ。向こうで古着を集めて待っておる。一着一着を買うのではなく、目方で買うから一人あたり1貫(約4㎏)くらいでよかろう」


御前ごぜん様は、この屋敷で細かく切るとおっしゃいましたが、ハサミなどは戦争のためにお国に供出して、切るものなどありませんが」


「……金属類回収令か。ハサミは、わしに心当たりがある。こちらで用意しよう。あとは、そうだな。切った古着を工場まで持っていくのにリヤカーが必要だな。それも用意するから、おぬしは、子供達をしっかり監督しておればよい」


「承知いたしました。ですが、御前ごぜん様」


「なんだ」


「子供達が出払ってしまうと、商売が成り立ちません。今の状況でもやっと子供達を食わせていけるだけの実入りしかありません。どうか、手間賃をお願いできないでしょうか」


「どうせ、この時期、寒くて米も野菜も手に入るまい。食えないのは同じではないか。それに、今おぬしがやっておる商売ももうそろそろ潮時よ。夏には食料も安くなり、わざわざこのあたりまで売りに来るやつらもいなくなるだろう。そうなったら、おぬしはどうするつもりだ?」


「どうすると言われましても……」


「なら、どうだ? ここは一つ、わしが言った仕事に切り替えては」


「ですが、お得意様もいらっしゃいますし」


「そのお得意様とやらが、米や野菜を作るのはこれからであろう? つまりは、これから夏まで、おぬしはお得意様が作付けをして収穫するのを待っておるというわけか?」


「いえ、そのようなことは」


「だったら、わしのいうとおりにしておれ。これでも三十年商売をしてきた。おぬしにもきちんと稼がせてやろう」


「わかりました。御前ごぜん様の言われるとおりにいたします」


 古川俊夫は平伏し、男は満足そうに笑った。


 ❏❏❏❏


 男が古川商会を使ってやらせた仕事は、故繊維の仕入れと加工販売だった。


 故繊維とは、一般家庭から不用品として回収された古着や古布などの古繊維(ぼろ)と、繊維工場から出た糸屑、綿くず、裁断くずのことである。


 物がないこの時代において、食料品やお金と交換できる庶民のたくわえは古着しかなかった。


 戦災の被害がなかった地域から古着を、一貫いくらと、重さで買い取り、ボタンを取り外したり、縫製されている部分を切り離して、ハンカチサイズの布切れにし、機械工場に販売するのだ。


 布切れはウエスと呼ばれ、機械類の油や汚れや不純物などを拭き取ってきれいにするために用いられる。


 布は古くなるほど油をよく吸う性質があり、その用途から綿素材が好まれた。


 また、衣替えをする5月から12月にかけては、多くの古着が出るため値段は安かったが、1月からはあまり出なくなるので需要が高まっていた。


 こうして古川商会は、食料品の仕入れと販売から、故繊維の仕入れ、加工、販売へと事業を変えていった。


 子供達も、暖かい部屋で寝られ、蓄えてある米が食べられるのなら、取り扱う物が何であろうと構わなかった。


 むしろ、服をハサミで裁断するため、何人かの浮浪児が新たに加わり、古川商会の従業員は少しずつ増えていった。


 これを好機とみた男は、自身が勤めていた商社と相計らって、倉庫に眠っていた備蓄や表立って扱えないアメリカ軍の横流し品を次々と古川商会を使ってヤミ市に流すようになった。


 古川商会は、財閥系商社の隠れ蓑として、非正規な販売ルートの窓口に利用されるようになっていった。


 商社も男も、こうして利益をあげ、わずかながらも、古川商会にもお金が貯まるようになった。


 そうして。


 従業員達に給金を払えるようになると、古川俊夫も、一端いっぱしの商売人の顔をするようになっていった。


 扱うものはすべて違法にヤミ市に流れるものであり、そのため、いずれ公職追放を解除された際に追及を受けるのを恐れた男が、何かあったときは古川商会を切り捨てるつもりで名前を明かさず、たまに屋敷に来たときも御前ごぜん様としか呼ばせない、その意図にも気づかずに。


 ❏❏❏❏


 1947年6月、東京都内の飲食店営業が全面的に禁止された。


 7月になると、警察による相次ぐ取り締まりにより、ヤミ市を仕切るためにテキ屋が作っていた組は解散を余儀なくされた。


 こうして、ヤミ市の崩壊が始まった。


 戦争が終わって2年も経つと、物資もある程度行き渡る。そうなれば、値段が高い物は買い控えられる。


 それでも物資は市場にあるのだから、需要と供給は逆転せざるを得ない。


 こうして、インフレは収束されたが、しかしこれはデフレへとつながり、利益の減った企業が人員整理をしたことで、街には失業者があふれることになった。


 1948年秋になると、生産活動の再開と都市と地方を結ぶ貨物輸送の回復により、物不足は解消され、食料品の配給遅延はなくなった。


 そして、9月にマッチが自由販売となったのを皮切りに、以後、統制撤廃が進んでいく。


 1949年には野菜、酒類、日用雑貨、1950年には味噌、醤油、水産、1952年にはパンなどの麦類の統制が撤廃され販売が自由にできるようになった。


 ヤミ市の時代はこうして終わった。


 物資の日本への輸入は、戦後しばらくも間は、GHQ(連合国軍総司令部)と日本の貿易庁の仲介によって行われ、品目はGHQの指示による政府貿易に限定されていた。


 1947年8月、制限付きで民間輸出貿易が、1950年1月には、民間輸入が再開され、こうして、民間貿易が正常な形で行われるようになった。


 そして、6月。


 その2年前に朝鮮半島に成立した二つの国のうち、朝鮮民主主義人民共和国が大韓民国に進攻して朝鮮戦争が勃発した。


 アメリカ軍の資材調達のための司令部が日本に置かれ、武器、弾薬をはじめとして繊維製品、セメントや鋼材等大量の物資が直接日本企業から買われ、この特需景気により、日本経済は急速に回復していくことになる。


 ❏❏❏❏


 1950年10月、第一次公職追放解除者が発表された。


 古川商会に仕事を持ち込んでいた男は姿を見せなくなり、古川俊夫は、男が倉庫に持ち込んだ大量の衣服や靴、鞄、その他の雑貨を前にして、これから事業をどうするか思い悩んでいた。


 屋敷の女将である丸山ゆかりに聞いても、男の連絡先どころか、名前すら教えてくれない。


 言ったのはただ一言。


「社長ならばおのれで考えてはどうだ? 御前ごぜんさまなら、そうおっしゃるかしらね」


 その言葉に俊夫は動くことにした。


 しかし。


 野菜販売の露店を開くために、かつての取引先から農作物を仕入れようとしたが、農協とのしがらみから首を縦に振ってくれない。


 やむなく男が持ち込んだ在庫を売ろうとするも、古川商会に店舗はなく、ヤミ市もすでにない。


 手を尽くしたが、もはや廃業するしかないかもしれない。


 かつての浮浪児達も自分が戦争に行ったくらいの年にまで成長した。退職金の代わりに在庫商品を持たせれば、それを売って少しの間は暮らせるはずだ。


 年男の子供達はまだ小学生だが、幸子と二人でならなんとか育てていけるだろう。


 そう考えていた矢先、古川商会の番頭をしている小畠勇が耳寄りの情報をつかんできた。


 マーケットが空き店舗を貸してくれるらしい。


 俊夫は、早速、マーケットに赴き、賃料を払って在庫商品を販売することにした。


 財閥系商社から流れてきた商品だから品質は悪くない。しかも在庫処分なので安く売ることに抵抗はない。


 買い控えをしていたお客が集まり、在庫商品はあっという間に売れていった。これに便乗して値下げをした商店街もにぎわいを取り戻した。


 こうして、古川商会は息を吹き返すとともに、商店街の一角に根をおろしたのである。


参考・引用文献


前掲のほか。


下村恭広・浦野正樹「都市における資源循環システムの再編と地域社会の変動(第Ⅱ部 再生資源業の変貌と担い手たちの事業転換)」平成18年 早稲田大学総合研究機構/地域社会と危機管理研究所 研究成果報告書


濵満久「商店街における組織化政策:終戦直後を中心として」2008年 名古屋学院大学論集 社会科学篇第44巻第4号

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