第1話 二人の男
男は、木の枝を杖にして街道を歩いていた。
もう3日も何も食べていない。水筒に残っているのは、昨日見つけた溜まり水をすくって煮沸消毒した残りがわずか。
生水はアメーバ赤痢に罹患するおそれがあるので、煮沸しなければ飲むことができない。
出発前に配給された靴下2足分の米はすでになく、肩にかけた小銃もただ重いだけ。
戦う相手は既に敵兵ではなく、飢餓となっている。
それでも銃を手放さないのは、自分の命を守るためだ。
誰から? そんなことはわかり切っている。
捕食者からだ。
敵軍は、昼間、飛行機で銃撃してくる。小銃なんかで太刀打ちできるはずがない。
怖いのは、敵兵なんかじゃない。
生きるために本能のまま、すきをついて襲いかかってくる何かだ。
そこには、ゲリラとなった現地民や飢えた日本兵も含まれる。密林にはトラやヒョウが潜み、街道沿いにはハゲタカが人が倒れるのを待っている。
やがて、樹木の根に折り重なる塊が見えてきた。
男は、近寄ると、それらの持ち物をあさった。漂ってくる酷い臭いは、死臭か、それらのズボンにこびりついた糞尿の臭いか。
だが、まだ荒らされてはいない。すでに荒らされていたのなら、背嚢や雑嚢が捨てられ、そのまわりに、持ち主が後生大事にしていた写真や手紙が散らばっているはずだ。
自然と笑みがこぼれる。
死体のまわりを大きなハエが飛び回るのを追い払いながら、端から乱暴に雑嚢を奪い取ってはひっくり返した。
食べられそうなものは何ひとつない。
落胆からため息が出る。
こうやって、男は、死んだ日本兵の持ち物から食べ物を探して生き延びてきたのだ。
だが、諦めるのはまだ早い。
こうして街道沿いに死体が転がっているということは、道を間違えていないということだ。次の死体が米を残していることに期待しよう。
死体ならいくらでもある。米など死んだ者には不要なものだし、運が良ければ、先に歩いて米を奪った者が行き倒れているかもしれない。
それに。
このままこの街道を歩いていけば、いつかはたどり着けるはずだ。
だが、どこへ?
その男、古川俊夫は異国の空を見上げた。
──昭和19年夏。
この明けてゆく空が、遠く離れた日本の、家族がいる故郷へと繋がっているようにはどうしても思えなかった。
❏❏❏❏
「饅頭、食いたいな」
ジャングルの窪みに身を潜ませながら、隣の古年兵が言った。
そんなことを言われてもどうしようもない。
初年兵の古川年男は、「蕎麦、食いたいですね」と返す。
隣から返事はない。無視をしているのではないのだろう。
普段は気を遣ってくれる同郷の人なのだ。
「食わず飲まず、弾がなくても戦うのが皇軍だ」と言った上官とは違うのだ。
戦友に肩を貸して歩いていたのを、突然、押し倒し、その首に吊るしていたわずかばかりの米と塩が入っていた雑嚢を奪い去った同僚とは違うのだ。
ただ、この人は、死体から靴を奪うことは躊躇しなかった。
これから始まる撤退に向けて、辿ってきた道を戻るのに、何が必要かよくわかっている人なのだと古川年男は信頼している。
撤退する最中、民家に押し入り、住民が避難していなくなっているのをいいことに、大喜びで、籾を雑嚢にぎゅうぎゅう詰めにしていたのを見て、付いてきて間違いなかったと思わせてくれた。
夜の闇の中、隊で行動するのを迷わないよう、手ぬぐいでつないでくれた。奪った籾を鉄兜の中に入れ、木の枝を杵の代わりにして、突いて精米するのを、初年兵に押し付けることはしなかった。
だが、1升の玄米に仕上げるのに、丸一日かかるのだ。睡眠時間は削られ、疲労は積み重なっていく。
中隊での行動は、やがて、個人の体力の差により散り散りになっていく。
1日に歩く距離が短くなっていき、ついに二人きりになってしまった。
それでも。
この人に付いていけば故郷に帰れる。古川年男は、そう信じていた。
明け方、隣のそれが動かなくなっているのを確認するまでは。
❏❏❏❏
夕方になると、古川俊夫は起き上がり、歩き始めた。
朝方見つけた死体の山を一瞥して、別れを告げる。
彼らは砲弾にあたって死んだのではない。皆、飢えと病気で死んでいったのだ。
そして。
こうやって立ち上がり、歩くことができる者だけが、今日一日を生きてゆく。
死者はここで土となる。仮に、ここで歩くのをやめてしまったなら、死を待つしかない。
誰も助けてはくれないのだから。
街道には、腐乱した死体があちらこちらに点在している。それは、まるで故郷への道標のようでもあった。
そうなりたくないのなら、故郷を目指したいのなら、歩き続けるしかない。
街道沿いに野戦病院はあるが、マラリヤ、アメーバ赤痢に罹患した患者で満員だった。後から来た者は治療もされずに外の天幕の下に放置されている有様だ。
熱があっても、歩ける者を診てはくれない。
まだ歩けるのなら、歩くしかないのだ。やがて、力尽きて斃れる運命だとしても。
だが、何のために?
古川俊夫は、雑嚢からそっと妻からの手紙と妻と子が写った写真を取り出した。
これがあるからだ。待ってくれている人がいるからだ。
娘は今年2歳になる。父親のことを覚えてはいないだろうが、一緒に暮らしていれば情も湧いてくるはずだ。
ぼうぼうに伸びた髭をなでながら思う。
あの優しい妻ならば、こんなボロボロになっても生きて帰ってきたなら温かく迎えてくれるはずだ。
それだけを心の支えに、古川俊夫は、その場にへたり込みそうな自分を奮い立たせていた。
❏❏❏❏
軍部は、かつての大陸での戦勝体験から、「糧は敵から取る」ことを軍略の一部に組み込んでいた。
敵を壊走させ、残した補給物資を奪う。足りない分は、現地の住民から食糧を調達すればいい。そう考えていた。
間違ってはいない。事実としては。
敵も補給なしに戦えないのだから。その局地戦で勝った方がすべてを我が物にすればいい。
皇軍が負けるはずがないし、仮に負けたとしたら全滅だから、食糧など無用だ。
理屈としては筋が通っている。
だが、それを軍略に組み込んだことは間違っていた。いや、あえて間違えたのだろう。
間違えているとわかって、それでも良しとしたのだ。
そもそも、戦争は大量消費の最たるものだ。大量の武器、弾薬、兵士、食糧、装備や運送にかかる諸々の設備や経費。そして、戦後に訪れる喪失したものは還らないという負の現実。
それでもなお、戦争という手段を間違えていないと強弁する連中からすれば、軍略の間違いなど見解の相違や方法論の優劣でしかない。
すべては結果論。評価は歴史家の仕事であって、軍人の考えるべきことではない。
今の局面で、勝利することがすべてに優先される。
勝てば、未来において手に入れられるものは大きいのだから。勝ちさえすれば、子供達に豊かな未来を遺せるのだから。
理由はいつでもあとづけだ。
この作戦を実行しようと、そう固く決めた後で、必ず出てくる疑問や反論を抑えつけるために、理由をひねりだす。
そうして、この作戦は実行された。
兵站はどうするんだという真っ当な疑問を封じ、戦略を歪めた。そうして、取ってはいけない近道を取った。
その結果、生まれた言葉がある。
「ジャワは極楽、ビルマは地獄。生きて帰れぬニューギニア」
当時のビルマは、大穀倉地帯を抱える農業国家だから、なんとかなると思ったのかもしれない。
地図の上からでは、越えるべき山の高さ、渡るべき河の深さなどわからない。調べることもしないまま、日本の地形と同じように考えたのかもしれない。
ビルマの山中、二千メートルを超える高地に、兵を食べさせるだけの水田などあるはずがないのに。
緑豊かな島で、採取生活を営むニューギニアの人々が、兵を食べさせるだけの畑など作っているはずがないのに。
参考・引用文献
NHKスペシャル取材班「戦慄の記録インパール」岩波書店2018年
久山忍「インパール作戦悲劇の構図」潮書房光人新社2018年
関口高史「牟田口廉也とインパール作戦」光文社2022年