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短編小説(異世界恋愛・ホラー以外)

魔法の鏡は嘘を吐けない

作者: 三羽高明

 私のご主人様は、それはそれは愛らしいプリンセスでした。


「鏡よ、鏡。この国で一番美しいのはだぁれ?」

「それはあなたです」


「それなら、一番愛されているのは?」

「それはあなたです」


「本当に? わたし、とっても嬉しいわ!」


 ご主人様は毎日のように私に同じ質問をしては、その答えに頬をバラ色に染めるのでした。


 ご主人様が生まれた記念にお母様から贈られた鏡。それが私です。魔力を送り込んで問いかけをすれば答えを返し、決して嘘は吐かないという魔法の品でした。


 喋る鏡というのは珍しいのか、私はご主人様が生まれたときからずっと彼女のお気に入りだったのです。


「ねえ聞いて、鏡さん。今日、とっても素敵なことがあったのよ」


 それはご主人様が六歳の時でした。


「あのね、王妃様が無事に出産を終えたんですって! 女の子だそうよ! お母様は違うけれど、わたしの妹だわ! スノーホワイトっていうのよ」


 ご主人様は弾けるような笑顔を浮かべていました。


「名前の通り、雪みたいに白い肌をしているんですって! わたしはまだ会えていないんだけど、きっとすごく可愛いはずよ。……鏡よ、鏡。この国で一番美しいのはだぁれ?」


 ご主人様は小さな手のひらを私の上に置いて、いつものように質問してきました。私は職務を忠実に果たし、普段通りの答えを返します。


「それはあなたです」

「えっ、わたし?」


 ご主人様はちょっと驚いたようでしたが、すぐに嬉しそうな顔になります。


「お綺麗な王妃様から生まれたスノーホワイトよりも、わたしの方が美しいの? ……何だか変な気分」


 そう言いつつも、ご主人様はふふ、と微笑みました。


「あの子と仲良しの姉妹になれるといいわね。わたしの可愛い妹、スノーホワイトと……」


 けれど、ご主人様のそんなささやかな願いは叶いませんでした。



****



 田舎にある古い屋敷の一室。調度品も何もないその打ち捨てられたような部屋の中で、ご主人様は私にもたれかかりながら小さな膝に顔を埋めていました。


「鏡さん、どうしてなの……?」


 ご主人様が掠れた声で呟きます。


「皆が言ってたの。わたしのお母様は悪い魔女だったんですって。それで、魔法の力で国を乗っ取ろうとしたって。だから火あぶりにされたって……」


 ご主人様はしゃくり上げます。


「わたしは魔女の娘だから、もうお城には住めないらしいわ。今日からこのお家で暮らすのよ」


 ここはご主人様のお母様がお城に行く前に住んでいた屋敷です。


 それが現在は無人になっていて、幽霊でも出てきそうな雰囲気でした。ご主人様はそんなところへ、申し訳程度の数人の下働きの者と一緒に閉じ込められることになったのです。


 ご主人様はこのお屋敷に移されるにあたって、お城からものを持ち出すことは許されませんでした。お気に入りのドレスも、可愛がっていた子猫も、全部置いてきてしまったのです。


 そんな哀れなプリンセスに残されたのは私だけでした。魔法がかかった不気味な鏡ということで、怖がって誰も没収できなかったのです。


「わたし、もう要らないってことなのかしら?」


 ご主人様がくぐもった声を出します。


 ああ、なんということでしょう。バラ色の微笑みが消えたご主人様は、しおれた花のようになっていました。


 それは、見ているだけで心が痛くなってくる光景です。でも、私にはどうすることもできませんでした。


 だって私の役目は、ご主人様の質問に答えることだけなのですから。


「鏡よ、鏡。この国で一番愛されているのはだぁれ?」


 いつもの質問です。けれど、私の答えはいつもと同じではありませんでした。


「それはスノーホワイト王女です」


 何という残酷な返事でしょう。案の定、ご主人様は「そう……」と言いながら、また涙を流し始めました。


「やっぱりわたしは、もう誰にも愛されていないんだわ」


 そんなことはありませんよ、プリンセス。あなたを大切に思っている人も、きっとまだいます。


 そう言いたかったけれど、できませんでした。私は聞かれた質問に答えることしかできないからです。


 ご主人様はそれから何日か、悄然としたまま過ごしました。


 けれど、その日々はあるきっかけで終わりを迎えます。


「ねえ、鏡さん」


 ご主人様が私に一冊の本を見せてきました。


「これ、地下で見つけたのよ。あんなに大きな書庫があったなんて、初めて知ったわ! 古い本がいっぱいだったの」


 お母様もこれを読んだのかしら、と言いながら、ご主人様は本の表紙をじっと見つめていました。


「……外国語で書かれてるわ。難しくて、全然分からない……」


 ご主人様は本のページをパラパラとめくりながら唸っています。


「でも、辞書もあったから頑張ったら読めるかもしれないわね。……ねえ、鏡さん」


 ご主人様は上目遣いに私を見てきます。


「もしわたしがたくさんお勉強して、賢くて立派な人になったら……いつかお父様は、またお城に住んでもいいって言ってくれるかしら?」


 もちろんですよ、プリンセス。陛下は自分のしたことを後悔するに決まっています。


 私は心の中でそう言いました。


 その声は誰にも聞こえません。でも私の気持ちが通じたのか、ご主人様は嬉しそうに「そうよね!」と頷いています。


「だったら、たくさんお勉強しないとね!」


 そう言ってご主人様は、難しい顔で本を開きました。



****



「鏡さん、これ、童話みたいよ」


 一ヶ月ほどして、やっと本の内容が理解できたご主人様がそう言いました。


「主人公が一匹の鳥を探しに行くっていうお話ね」


 ご主人様は辞書とにらめっこしながらページをめくります。


「でも、その鳥は実は最初から主人公の傍にいたんですって」


 ご主人様は本を閉じ、私にそっと手を当てました。


「鏡よ、鏡。この国で一番愛されているのはだぁれ?」

「それはスノーホワイト王女です」

「……まだそうなのね」


 ご主人様は本の表紙を指先で撫でました。


「童話なんか読めても、賢いってことにはならないのかしら。今度はもっと難しい本に挑戦しないと」


 そうでしょうか? まったく知らない言語を辞書片手に読み解いていったご主人様は、とてもすごいと思いますよ。


 でも私のそんな思いとは裏腹に、ご主人様はやる気をみなぎらせ、別の質問を始めます。


「鏡よ、鏡。この国で一番美しいのはだぁれ?」

「それはあなたです」


 私はすぐに答えを返します。その返事に、ご主人様は満足そうに頷きました。


「よかったわ。だって綺麗なのって、私の唯一の取り柄なんだもの」


 唯一? そんなまさか。


 もう一度言いますが、ご主人様はとても努力家ではありませんか。教えてくれる人もいないのに、外国の本を読み切ってしまえる人なんて、そうそういませんよ。


 けれど私の声は届きません。ご主人様は次の本を探しに、書庫へ行ってしまいました。



****



 事件が起きたのは、ご主人様がこのお屋敷に来てから半年ほど経った日のことです。


 いつもなら机に向かって本の翻訳作業にいそしんでいる時間だというのに、どこかへ出かけたまま帰って来ないご主人様を、私は心配していました。


 けれど、やっと戻ってきたご主人様の姿を見て、私は安心するどころかショックを受けてしまいます。


 ご主人様の柔らかな右の頬に、生々しい傷跡がぱっくりと口を開けていたのです。この部屋を出たときはこんなものはなかったというのに、一体どうしたことでしょう。


「さっきね、お庭に出ていたの。そうしたら、近所の村に住む男の子たちが入ってきて、それで……」


 ご主人様はベッドに倒れ込み、たどたどしい口調で訳を話し出しました。目には涙がいっぱいたまっていて、今にも溢れて頬を伝いそうです。


「その子たちが言ったの。「お前、魔女の娘だろ」って。「悪い奴だからやっつけてやる」って……」


 それでご主人様は怪我を負わされてしまったのでしょう。あまりのことに、私は何と言っていいのか分かりませんでした。


 ご主人様は重苦しい動作で身を起こし、私に映る自分の顔を見つめます。そして、絶望的な口調で尋ねました。


「鏡よ、鏡。この国で一番美しいのはだぁれ?」

「それはスノーホワイト王女です」


 私は真実を告げました。それが彼女を傷つけることになると分かっていても、私には他の選択肢はなかったのです。


 ご主人様の頬が濡れていきます。


「そうよね……。愛されていない。美しくもない。わたし、もう何もないんだわ……」


 そう言いながらご主人様は乱暴に涙を拭い、ふらふらと机に向かいました。


 ああ、どうかご無理をなさらないで、プリンセス。


 でも、そんな思いを伝える術を、私は持ち合わせていませんでした。



****



 その日から、ご主人様は何かに憑かれたような勢いで本を読み始めました。その手が止まるのは、私に向かって「この国で一番愛されているのはだぁれ?」と尋ねる時だけです。


 そしてその答えに落胆しては、また机に向かい始めるのでした。


 きっとご主人様はこう思っているのでしょう。もう美しくない自分に残されているのは、これしかないのだ、と。聡明にならなければ皆に愛されないのだ、と。


 そうして長い時間が過ぎます。ご主人様はまだ少女と言えるような年齢でしたが、背もぐんと伸びて大きくなられました。


 でも、彼女が成長したのは見た目だけではありません。書庫の本をすっかり読み終えたご主人様は、そこにあった知識を吸収し、とても博識な娘となっていたのです。


 もちろん、私はその様子をずっと傍で見守っていました。


「鏡さん、聞いて」


 辞書も使わずに本をすらすらと流し読みしながらご主人様が言いました。


「もうすぐこの辺りにお父様が視察にいらっしゃるんですって!」


 ご主人様は大きな傷跡が残ってしまった顔に、昔のような笑みを浮かべていました。


 最近では滅多に見られなくなった心からの笑顔です。なんと美しい表情でしょう。私は思わず見とれてしまいました。


「だからね、わたし、こっそりと見に行ってみるつもりよ。それでお父様に、「わたし、こんなにもたくさんの本が読めるようになりました」って言うの」


 お父様、きっと褒めてくださるわ、とご主人様は朗らかに笑います。


「鏡よ、鏡。この国で一番愛されているのはだぁれ?」

「それはスノーホワイト王女です」

「でも、もうすぐ私が一番になるわ」


 ご主人様は得意そうな顔になっています。


「楽しみね、その時が!」


 ご主人様は心底嬉しそうでした。


 しかし、運命というのは、どこまでも無慈悲だったのです。


 陛下が視察にいらっしゃる日、意気揚々と出かけていったご主人様は、泥まみれで帰ってきました。


「わたし、お父様に会ったわ」


 ご主人様はベッドに座りながら呟きました。


「お父様が乗っている馬車が見えたから、思わず駆け寄ったの。それで、声をかけた。「お父様!」って」


 ご主人様の声は震えていました。


「そうしたら馬車の窓が開いて、お父様が出てきたわ。何年ぶりかしら? わたし、懐かしくて泣きそうになっちゃった。でも、お父様は……」


 ご主人様は虚ろな口調で続けます。


「誰だ、お前は、って言ってたわ。護衛の騎士たちが、わたしをぬかるんだ地面に突き飛ばした。それで、馬車は走り去っていった……」


 ご主人様は、私に触れて尋ねます。


「鏡よ、鏡。この国で一番愛されているのはだぁれ?」

「それはスノーホワイト王女です」


 こんなにむごい返答が他にあるでしょうか。私は自分で自分を呪いたくなりました。


「……そうよね」


 ご主人様はゆっくりとベッドから立ち上がります。


「それが答えなんだわ」


 ご主人様はそのまま部屋から出て行きました。



****



 それからのご主人様の変貌ぶりはすさまじいものでした。お顔を怪我された時よりもずっと熱心に本を読まれるようになったのです。


 でも、それは普通の本ではありませんでした。悪魔と契約する方法、変身薬の作り方、死をもたらす毒について……。


 ご主人様は書庫にあったものの中でも、とりわけおぞましい本に目を通していたのです。


「ねえ、鏡さん、わたし、間違っていたわ」


 骨が浮き出た手で、ご主人様は本を片手にフラスコを揺すっています。


「わたしが愛されないのは、わたしの努力が足りないからじゃないのよ。あの子がいけないんだわ。わたしの可愛い妹、スノーホワイト……」


 ご主人様は、やつれた顔に残虐な笑みを浮かべていました。ぎょろりとした目にフラスコの中身が映って、まるで地獄の業火のように妖しげに光っています。


「あの子がいる限り、わたしは美しくなれないの。それに、愛されもしないのよ」


 できた、と言ってご主人様はフラスコの中身を私に見せてきました。


「これは毒よ。一口飲んだらあの世行きだわ」


 ご主人様はケタケタと笑います。


「スノーホワイトはリンゴが大好きなんですって。だからこの毒をリンゴに塗ってプレゼントしてあげるつもりよ」


 恐ろしいことに、ご主人様は血の繋がった妹を暗殺しようとしていたのです。


 ご主人様、どうか思いとどまってください。そんなことをしたって、何にもなりませんよ!


 私はどれだけ必死にそう叫んだか分かりません。けれど、その声はご主人様の耳には決して入らないのです。


 ご主人様はもう一つのフラスコに入っていた液体を飲み干しました。姿を変える薬です。


 もう随分やつれてしまったけれど、それでも若々しさが残っていたご主人様は、あっという間に老婆に変身しました。


「これで怪しまれずにあの子に近づけるわ」


 ご主人様はしわがれた声で言います。


「ねえ……鏡さん。この作戦が成功したらわたし、お城へ帰れるのよ」


 ご主人様は、私にそっとキスを落とします。


 このとき私は、初めてご主人様の唇の感触を知りました。


 気のせいでしょうか。それはしなびた老婆のものではなく、ふっくらと柔らかな、まるで真綿のように優しい触り心地でした。


「もちろん、そのときはあなたも一緒だわ。わたしね……鏡さんには感謝してるのよ」


 ご主人様はゆっくりと私を撫でてくれます。


「一人ぼっちのこのお屋敷で、わたしの傍にいてくれたのはあなただけだったわ。わたしの大切なひと。……変よね。ただの鏡にそんなことを思うなんて」


 変ではありませんよ。私もご主人様をとても大切に思っているんですから。


 ご主人様は、私の体を指先で辿りながら尋ねます。


「鏡よ、鏡。この国で一番美しいのはだぁれ? 愛されているのはだぁれ?」

「それはスノーホワイト王女です」

「……今のところは、ね」


 ご主人様は私に背を向け、毒リンゴをバスケットの中にしまいました。そして、黒いローブのフードを被ります。


「次は違った答えを聞かせてね、鏡さん。……大丈夫よ。わたしは絶対に戻ってくるわ。だからここで待っていて。じゃあ、行ってきます」


 ダメです!


 私は心の底から叫びました。


 私は知っていました。悪魔と契約し、いくつかの魔法を教えてもらう代わりに、ご主人様はご自分の寿命を対価として差し出したのです。


 たとえ暗殺が成功しても、ご主人様はもう長くは生きられない体になっていたのでした。ご主人様は必ず戻ると約束なさいましたが、きっと彼女の命は屋敷に帰ってくる前に尽きてしまうに違いありません。


 ご主人様、お願いです。私を一人にしないで。どうしてもと言うのなら、私も一緒に連れていってください!


 それが無理なら、せめてこうお尋ねください。『わたしを一番愛しているのはだぁれ?』と。


 そうしたら胸を張って、『それは私です』とお答えしましょう。私は嘘が吐けないのです。私は正真正銘、誰よりもあなたを愛しているのですよ。


 もちろん、『わたしを一番美しいと思っているのはだぁれ?』と尋ねていただいても構いません。やはり私は同じ答えを返すのですから。頬の傷が何だというのでしょう。私はご主人様ほど美しい方を知りません。


 けれど、きっとあなたはそんな答えには満足してくださらないのですね。あなたは皆に愛されたかった。美しいと言って欲しかった。一番になりたかったのです。


 それに私だってあなたを一番にしてあげたかった。誰からも愛される美しい人だと言ってあげたかった。


 それなのに、私は本当のことしか話せないのです。ならばせめて、私の答えに傷ついたあなたをお慰めしたい。でも、それすらもできません。


 私は尋ねられたことに答える以外の言葉を持たないのですから。それに、あなたを抱きしめる腕さえもない。ただ冷たい鏡面に、事実を映すしか能がないのです。


 ああ……私のご主人様。私だけのプリンセス。それでもこんな不出来な私を、あなたは大切だと仰ってくださるのですね。


 今の私にできることは、ただあなたの無事を祈るだけ。……いいえ、いつでもそうでした。私はただ、見ていることしかできなかったのです。


 部屋から出て行ったご主人様の背が遠くなり、ついには視界から消えます。私はそんな彼女をずっと目で追っていました。


 どうしてもこの鏡面に焼き付けておきたかったのです。


 私が誰よりも愛したご主人様の、最後の姿を。



****



「もう戻ろうよ……」


 廃墟となった古い屋敷の中を、二人の少年が歩いている。彼らは兄弟で、ついこの間、近くの村に引っ越してきたばかりだった。


「何言ってんだよ。お前だって『魔法の鏡』の噂に興味津々だっただろ?」


 怖がる弟の手を引きながら、兄は探検でもしているような浮かれた声を出した。


 二人は村の子どもから『近所にある古い屋敷には、どんな質問にも答えてくれる魔法の鏡がある』という話を聞いて、ここにやって来たのだ。


「だってこのお屋敷、昔は魔女が住んでたんでしょう?」


 弟は朽ちた床板の上を気味の悪い生き物が這っていくのに気が付いて、泣きそうな顔になっている。


「失敗はしたけど、王女様の毒殺をたくらんだ悪い魔女だよ。そんな人の家に勝手に入ったりしたら呪われちゃうよ!」


「平気だよ。だって魔女はもういないんだから。たしか王女様を殺そうとした罰として、焼けた鉄の靴を履かされて死ぬまで踊らされたんだろう?」


 二人の目の前に小さな部屋が見えてくる。兄は「ここだ!」と目を輝かせて、弟の手を離して部屋の奥に走っていった。


「おい、来てみろよ! 鏡があるぞ!」


 興奮状態の兄に、弟は何とか追いつく。確かに、壁に一枚の大きな鏡がかかっていた。こんな荒れ果てた屋敷の中にあるというのに、特にひび割れもなく、やたらと綺麗な印象を受ける。


 だが、それ以外は何の変哲もないように見えた。


「よし、試してみるか! えーと……鏡よ、鏡! 俺はいつ大金持ちになれますか?」


 兄は張り切って質問した。けれど、鏡は何も答えない。


「……噂は噂、だったね」


 弟は苦笑いだ。一方の兄は、ふくれ面になる。


 ふと、部屋の入り口から声がした。


「やっぱりここにいた! お兄ちゃんたちだけズルいよ!」


 突然のことに二人は飛び上がる。けれど、振り返った先に見知った少女の顔を発見して、胸をなで下ろした。そこにいたのは彼らの妹だったのだ。


「わたしも行きたいって言ったのに、何で連れて行ってくれなかったの!?」


 近所の子どもたちの話に興味を持ったのは、二人の妹も同じだった。それなのに兄たちが自分を置いて遊びに行ってしまったことに、彼女は怒っているようだ。


 こっちを睨んでくる妹を見て、兄弟は顔を見合わせる。


「仕方ないでしょ。母さんがダメって言うんだから」

「そうそう、お前、まだチビだし」


 長男はそう言って、鏡に視線をやった。


「それに、来たって意味なかったぞ。だってこれ、ニセモノだから。……さあ、帰ろうぜ」


 つまらなさそうに兄が提案する。弟もそれに従い、二人は部屋を出て行った。取り残された少女は「もう!」と小さな唇を尖らせる。


「いつもそう! わたしは小さいからお兄ちゃんたちがするような遊びはしちゃいけないって、そればっかり! 嫌になっちゃう!」


 少女は大股で歩いて、鏡面に頬をつける形で寄りかかった。


「黙ってたら分からないんだから、お兄ちゃんたちも私を誘ってくれたらいいのに……」


 もしかして二人とも自分が嫌いなんだろうかと考えてしまった少女は、鏡に向かってポツリと呟く。


「ねえ、知っているのなら教えて。わたしを一番好きな人はだぁれ?」



****



 触れられた鏡面から懐かしい魔力の気配を感じた私は、ゆっくりと目を開きました。


 そこにいたのは年端もいかない少女。初めて会う子です。少なくとも、外見という点においては。


 私があの方を見間違えるはずはありません。たとえどれほど歳月が経とうとも、その姿が変わろうとも、私のたった一人だけのご主人様なのですから。


――わたしは絶対に戻ってくるわ。だからここで待っていて。


 ああ、ご主人様。あなたを疑うなんて、私は本当に愚か者でした。


 あなたはきちんと約束を守ってくださったのですね。


「わたしを一番好きな人はだぁれ?」


 ご主人様が可憐な声でそう問うてきます。私はその質問に歓喜しました。


 どれほどその問いかけを待ち望んだことでしょう。私は今やっと、その答えをお伝えすることができるのです。


 私はゆっくりと口を開きました。


「それは私です」


 あの方は私の返事に驚いたようでした。その直後、激しい頭痛に見舞われたかのように頭を押さえます。


 けれどそれはすぐに収まったらしく、代わりに放心したような声が聞こえてきました。


「……鏡さん?」


 あの方は泣いていました。


 私も瞳があったのなら、きっと涙を流していたでしょう。


 だって今この時は、私の長年の想いが最愛の方へついに届いた瞬間だったのですから。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 鏡とご主人のプリンセスの想いが切ないですね。 鏡は質問に答えるだけで自分の想いは告げられないですし、プリンセスは何も悪くないのに追放されて、一人健気に愛されたいと思ったり勉強したりして。し…
[良い点] めっちゃ素敵なお話! 感動しました! 鏡の視点から見るとこんなお話になるんですね。 最後はちゃんと帰ってこれて良かった!
[良い点] これは! ものすごく好きなやつ! ラストがたまらない! 一番に感想書けたのが嬉しいくらい、感動しました。 短編だけど大作だと思いますー!
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