ゴリ姫は溺愛される
名門貴族の子息か通うシルベニア王立魔法学校は、その歴史と能力の高さから、他国の王族の留学も珍しくない。
だが、この日、突然講堂に集められた生徒達は、壇上に立つ隣国の姫君に、目が釘付けになっていた。
「初めまして、ルル・グレゴリウスです」
非の打ち所のない、見事なカーテシー。
隣に立つ、この国の王太子、シェール第一王子も、満足げに頷いている。
長年、文通で愛を育んだと噂の二人は、昨日、晴れて婚約を結んだ。
ルルの母国ローランドは、軍事国家としても名を馳せる大国。
シルベニアとは違い、大昔に魔法を失ってはいたが、それを補ってあまりある技術力と身体能力を有している。
魔法に頼りすぎるシルベニアにとっては、新たな風を吹き込むべく、長年の交渉の末に勝ち取った良縁だった。
それなのに、生徒達の眉間には深いシワが刻まれ、不快感を隠さぬ表情を浮かべている。
敵意むき出しの視線が突き刺さるが、ルルは、気にする風もなく、婉然と微笑んだ。
その余裕の笑みが、余計生徒達を苛立たせた。
彼らは、ルルの見た目を彼らは受け入れられないのだ。
身長185センチを超える王太子と、変わらぬルルの身長。
ヒールを差し引いても、デカ過ぎる。
真ん中が繋がった、極太眉。
肌が色白だけに、異様な存在感だ。
キラキラと輝く瞳は、確かに美しい。
しかし、ボッテリとした唇は肉感的で、鼻は低く、鼻腔が大きい。
絵画に描かれる天使のような容姿を良しとするシルベニアの美的感覚には合わない。
更に、不必要なナイスバデーが、余計鼻についた。
『シェール王子、色気ムンムンの体に目が眩んだか?』
『あの顔はない。生まれてくる子供が不幸だ』
不満タラタラの生徒たち。
この日より、ルルは、影で、『ゴリ姫』と呼ばれるようになる。
理由は、彼女の顔が、亜熱帯に住む『ゴリラ=ゴリラ=ゴリラ』に似ていたからだった。
非魔法国家からやって来たルルを待ち構えていたのは、膨大な魔力を持つ優秀な騎士科の生徒達だった。
闘技場に集められた彼らは、自信満々の表情で、目の前に立つルルを見上げている。
ルルは、そんな彼らを、まるで祖母のような優しい眼差しで見下ろす。
「お小さいのに、頑張り屋さん達ね」
「確かに貴女様より幾分背は低いですが、年齢は、上でございます」
ルル、16。
卒業直前の彼は、18。
「あら、これは、ごめんあそばせ。弟と同じくらいかと」
ルルの弟は、10才だが、身長は,既に170センチを超えている。
しかも、腕の太さは,彼らの三倍は有るだろう。
母国ローランドの男は、2メートル越えは、当たり前。
それと比べると、ヒョロヒョロしていて、心許ない。
「我らとの対決を受けていただき感謝いたします」
胸に腕を当て、頭を下げる彼らに、ルルは、小さく溜息をついた。
これから行われるのは、王から許可を得た御前試合。
観客席には、両国の王と、シルべニア国の大臣達も顔を揃えている。
ルルは、観客席の父をチラリと見た後、小首を傾げて、後ろに立つ婚約者を見た。
「シェール様、私、弱い者いじめはしたくありませんの」
「ルル、彼らは、私の護衛候補だ。弱くは無いと思うよ」
クスクス笑いながら答えるシェールに、ルルは器用に一本眉をへの字に曲げた。
「それに、彼らには、魔法の使用許可も降りている。身体強化や防御シールドを掛けたら、生身の君には、逆に不利過ぎる戦いかもしれないね」
「あら、そうですの?存じ上げずに、申し訳ございません。それでは、皆さま、どうぞお手柔らかに」
微笑むルルに、騎士科の生徒達は、内心はらわた煮え繰り返っていた。
『ざけんなよ、力しか取り柄のない脳筋ゴリラが。試合での怪我は、不敬にはならねーんだよ。ボコボコにしてやる』
決して口には出さないが、彼らの目には、差別的な暗さが浮かんでいる。
だが、こんな険悪な雰囲気にも、シェールとルルは、穏やかに微笑み合い、互いを信頼している空気を漂わせていた。
「では、試合を始めます。まずは、魔法剣の使い手、バッサ・カジヤー、前に」
「はっ!」
侯爵家三男のバッサは、この日の為にと、カジヤー家秘蔵の名刀を携えて来た。
『悪く思うな、お嬢ちゃん。こっちも、将来が掛かってるんだよ』
女に負ける護衛などありえない。
互いに礼をした後,彼は、渾身の魔力を剣に纏わせ、上段の構えを取った。
一撃必殺。
どれだけ離れていても,この一振りで繰り出される魔力弾が、相手を華麗に吹き飛ばすのだ。
「はじめ!」
「ぎゃー!」
開始の声とほぼ同時に、甲高い悲鳴が、闘技場に響いた。
立ち登る土煙。
一陣の風が吹き、あたりの視界が戻るがと、響めきが観客席から聞こえた。
地面に這いつくばるのは、バッサ。
開始と同じく位置に微動だにせず立つのは、ルル。
「あら、やだ。軽く弾いただけですのに」
ルルは、扇を開くと、恥ずかしそうに顔を半分隠した。
騒つく生徒達。
満足げに頷くシェールがパチンと指を鳴らすと、闘技場に備え付けられた大型投影器に、先程の戦いが映し出された。
開始の声と同時に剣を振り下ろしたバッサ。
魔法弾が、ルルに向かって一直線に飛ぶ。
あわや、直撃かと思った瞬間、ルルが、闘気を流し込んだ扇で、物理的に弾を綺麗に打ち返した。
飛んできた倍の速度で戻る魔法弾は、そのままバッサの鳩尾に直撃する。
ボスッ
鈍い殴打音。
骨の何本かは、折れたかもしれない。
「お見事」
シェールが拍手をすると、惚けていた観客達も、慌てて拍手をした。
一方の生徒達は、顔色を紙より白くし、カタカタと震えている。
そんな彼らを、シェールは、蔑んだ目で見た。
『我が最愛を、馬鹿にするからだ』
この御前試合を仕組んだのは、シェールだ。
婚約のお祝いと称して、暗にルルを貶めようとする輩の多いこと。
彼女の武勇伝を、眉唾物だと噂する高位貴族達。
『ゴリ姫』などと、不届な呼び名で噂する下品な令嬢子息。
一度、完膚なきまでに叩き潰す必要がある。
それには、ルルの素晴らしさを公の場で、広めねばならない。
ルルの父である、マウンテン・グレゴリウスは、娘を下に見る者達を抹殺する勢いだったのだから、この程度の怪我で終わった事に感謝して欲しいくらいである。
「ルル、怪我は、無い?」
シェールは、ルルの手を取ると、優しく撫でた。
「シェール様、この様な場所で・・・」
恥ずかしがるルルの、何という可愛らしさか。
黒目がちな瞳を潤ませ、必死に扇で顔を隠す。
フルフルと震える指先。
文通では触れる事の出来なかった恋人。
一度触れてしまうと、想像以上の心地よさに、撫でる手を止められない。
「疲れただろう?少し休もう」
「いえ、扇を一振りしただけですので、まだまだ戦えますわ。そうですわね、あと、二、三日は、不眠不休で頑張れそう」
「君は、一体何と戦うつもりなんだい?ほら、ご覧。彼らの戦意は、もう、風前の灯火だ」
ルルが、扇を少しだけ下げて生徒達を見ると、皆、ジリジリと後退りしている。
走って逃げ出さないだけ、まだ、見込みがあると言えるのか?
「私、なにか、失礼な事を・・・?」
「いや、己の実力の無さに、気付いたんだろう?」
シルベニアの王子としては、魔力量の少なかったシェールは、その不利を埋めようと、幼い頃から、己を鍛え続けてきた。
何でも魔法に頼る者達は、そんなシェールを、愚直な駄目王子と笑っていた。
だが、魔法に頼るあまり、己の肉体を鍛えない者達が、いくら力が100倍になる身体強化の魔法を掛けても、1の力が100になるだけ。
100の力を持つシェールが、それを10倍にすれば、1000。
魔力のみに頼る者など、恐るるに足りない。
それどころか、彼の婚約者は、魔法を持たずとも、鍛錬を繰り返し、女性と言う身体的ハンディさえも覆し、1000の力を持つ。
そんな人間が、毎日、国を守る為に、死物狂いに魔物と戦うのだ。
強くならない訳がない。
そして、シェールが彼女を愛してやまない理由は、そこまで強さを極めながらも、乙女心を忘れぬ愛らしさがあるからだ。
文通に添えられた押し花や、刺繍の入ったハンカチは、全て彼女のお手製だ。
特に刺繍は、少し力を入れると針が曲がるので、縫いにくいと嘆きながらも、見事にシルベニアの王家紋章を縫い上げてくれた。
文字も美しく、博識なのにひけらかさない。
一文字眉も、撫でると、昔飼っていたリスを彷彿とさせる艶やかな毛並みで、いつまでも撫でていたくなる。
「あぁ、ルル、早く君の眉を撫でたいよ」
恥ずかしがるルルを楽しむように、シェールが耳元に囁いた。
その言葉に腰砕けになったルルは、シェールにお姫様抱っこされて闘技場を後にする。
まさか、この後、娘大好きのマウンテン・グレゴリウスが、シェールの破廉恥な行動に激怒し、
「ルルが穢れる!」
と大暴れし、観客席を半壊させるとは、誰も思っていなかった。
完