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瞳には君の顔

作者: 三枝 透華

 時間まで凍ってしまった夜の街に鯨の鳴き声が響いていった。

 雪がよく降る年だった。雪原になった街には所々から背の高い建物が生えていて、その隙間を縫うようにして一頭の真っ赤な鯨が泳いでいた。何度もテレビで流れていて見た光景。誰もが家に篭ってしまって、街に人は誰もいない。

 薄暗い店内でコーヒーカップから湯気が上っている。外で凍えた身体を温めるように一口啜る。コーヒーのチョコクッキーのような香りが口の中に広がった。

 向かいの席には僕よりも小一時間早くからいる少女が文庫本を片手に紅茶を飲んでいた。

 閉じ込められてから数ヶ月が経ち、僕たちは見捨てられ一部の都心のみが生活を保障された。訳の分からない言い訳と薄っぺらな謝罪会見の緊急放送の後、抗議を言い続けたコメンテイターも今では見なくなってしまった。

 見捨てられた僕たちは不思議なことに生き延びていた。田舎の人間は都会人とは作りが違うのだろう。随分と無茶苦茶な考えだがこんな世界より無茶苦茶なことはない。

 僕は身体が温まるまで向かいの日影つつじを眺めながら今日に至るまでのあれこれを思い出していた。

「何ですか?イチジクさん」

 冷めた目の日影がティーカップを音もなくソーサーに戻す。白地のワンピースにツツジ色のカーディガンを羽織っている。相変わらずの薄手な装いだなと思う。

「毎日会うのに仲良くなれないなって思ってたんだよ」

 世界が凍りつく前からのこの喫茶店の古参常連客でもある日影は心底興味なさそうに文庫本へ視線を戻した。僕のことも無花果を店へ持ってきた時にようやく認識したくらいだった。それからこの呼ばれ方をされている。

「あれ?私とイチジクさんって仲良くないんですか?」

 冷ややかな目をして無視をされるだろうと思ってたのでそう言われるとは意外だった。日影も意外そうな顔をしている。

「そう言われると返答に困る。悪くはないし良い方だと思うけど」

 日影は「まぁ、そうですね」とだけ言ってまた文庫本へ視線を戻した。

 ここの喫茶店に来る人は僕と日影しか今のところ見たことがない。マスターは僕か日影が来ると店番を任せて何処かへ行くことが多い。だからほぼ毎回相席して二人でお茶を飲んでるこれが仲が良いと言うのかは分からない。一般的にはもう少し温かみのある目と会話があるものだと思うが、冷え切った世界だとこんなものなのかもしれないとも思う。人の温かさでは雪は溶けない。

 日影のように読書好きではない僕だがこの時間は未だに過ごし方が分からなくて日影から本を借りては読んでいた。いつまで経っても慣れないが文字列に目を滑らしているのはいい時間潰しだった。

 感覚ではほんの数時間の無言が続く。

 いつの間にか帰ってきたマスターから時間を教えてもらう。窓から景色は見えなくなっているがもう夕方らしい。

「もう帰りますか」

 日影はすっと立ち上がって分厚い深緑のコートを羽織り、右のポケットに文庫本を入れて左から小銭を出してカウンターへ置くと立ち去るように出口へ歩いて行った。僕は日影の後を追うように手早く身支度をしてマスターと言葉を交わす。

「駅までの一本道が雨漏りしてるから、転売屋通っていくと良いよ。話は通してるから」

 お礼を言いながら日影の背中が小さくなる前に店を出た。今では地下通路の発展が取り残されたこの世界での活路と言えた。狭い階段を慎重に降りていく日影には簡単に追いつける。

「雨漏りしてるから転売屋通ってけってさ」

「また雨漏りですか。そろそろこの辺りも行けなくなるんじゃないですかね」

 前を歩く日影の顔は見えないがきっと苦虫を噛んだ顔をしてる。声だけでも嫌気が伝わってくる。

 喫茶店に行けなくなると日影とも会うことはなくなるのだろう。そう思うと毎日見ているこの小さい背中もそこはかとなく愛しい気がする。

「そうなれば会えなくなりますね」

「ここ以外に接点ないからね」

 同じことを考えてたみたいで変に気恥ずかしくなったせいか、なんとも身もふたもない返事をしてしまった。日影は黙ってしまった。

 階段を降りて地下街を歩き始めると日影は隣になった。

 緑色の苔が至るところに生えてジメジメとした通路がどこを見ても続いている。所々でよく分からない物が売られているのが目に入った。既に雨漏りしてる街のように見えるがまだこの地下通路は使えなくては困る。

 駅への道を歩いていくとマスターの言っていた場所が見えてきた。近づくにつれて滝のような音と天井から伸びる蜘蛛の巣のような亀裂が色濃くなっていく。規制線の黄色いテープがやたらめったらに貼られていて補修士の代弁をしてるように見えた。

「これは思ったより酷いことになってますね」

 本当に会えなくなることが現実味を増して心の中を騒つかせる。

「ここまで酷いのは初めて見たな」

「崩れ落ちないといいんですけどね」

 日影は縁起でもないことを言いながら天井の雨漏りを見渡していた。既に日影も頭から靴まで濡れていた。足元の水溜りは絶え間なく波紋が広がって震えている。

 目的の店は規制線の手前にあった。草原のような瑞々しい草色の内壁で照明が薄暗い店内だった。警察章や弁護士バッヂなど、いつもよく分からないものがショーケースに陳列されている。

 レジには退屈そうにしている店員が長い黒髪をカウンターに散らかして上半身を預けていた。その店員は顔を上げて僕らの顔を見ると何事もなかったように元のだらけた姿勢に戻った。

「話は聞いてるから、裏口使っていいよ」

 声にも覇気を感じられなかった。日影は店内を物珍しそうに眺めていた。入るのも初めてなのだろう。目を引く禍々しい赤色をした鯨の置物に恐る恐る触れてみていた。日影が撫でている子犬ほどの大きさを真ん中ほどにして殻付きの落花生くらいのものまであった。

「気に入ったのあったら持っていっていいよ。どうせ今日明日までだろうし」

 店員がそう言って日影を見ていた。雪起こしか地響きの音が店を揺らす。この調子だと冗談じゃなくあと数日しかもたないだろう。

「ほら、さっさと行きな」

 店員が追い払うように手を払っている。

 裏口までまっすぐ進みまた地下道へ出る。これで駅へ行くのに遠回りをしなくて済んだ。遅れて日影も後を追ってきた。手には紙袋を持っている。

「2つもらったので1つあげますよ」

 紙袋から手乗りの鯨を取り出して僕へ差し出す。正直あまり欲しくはなかったが、日影がくれるというので手のひらを差し出した。

 鯨の歌声が聞こえた。

 画面越しで見るより大きいんだなと思う。

満足出来る出来じゃあないですが、ここからまた書けるようになれば良いなと思います。

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