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青春と幻想のストラトポーズ  作者: 失木 各人
03/Chapter:"義妹を継ぐもの"
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07/Sub:"コーヒーブレイク"

「大丈夫だよ。じゃあ財布取って、行こうか」


 どこか軽やかな足取りで音もなく階段を降りていくアリアンナの背中を、どこかほほえましい眼差しで眺めながらユーリも階下に降りる。ユーリとアンジェリカの部屋の前で、アリアンナが待ちきれない、と言った様子でうずうずと立っている。


「ちょっと待ってて」

「うん!」


 元気よく返事をするアリアンナに苦笑いを浮かべつつ、ユーリは部屋のドアをノックして声をかけ、中に入る。


「あら? 随分早かったのですわね」


 中に入ると、ベッドの上に腰掛けたアンジェリカが本を開いていた。あれは最近買ってきたノンフィクションかな、とユーリは思いだしつつ、自分の財布の置き場所に向かいつつ、言う。


「アンジー、これからちょっとデート行ってくる」

「ええお気をつけ――デート?」


 アンジェリカが『買い物』という単語が出ると思っていた矢先に出た、まったく別の単語。それに思わずほぼ最後まで出ていた単語が引っ込み、疑問符を浮かべる。ユーリはリュックを取ろうとして、シックなネイビーブルーのショルダー・メッセンジャーバッグに財布と携帯端末、日本手ぬぐいにポケットティッシュ、小さなビニール袋、そして小さく折りたたまれた、黒い化学繊維の布バッグを入れて背負う。


「うん、アンナとデートしてくる。部屋に行ってもやることも思いつかないし、こっちの方がいいかなって……アンジー?」


 なにやら沈黙しているアンジェリカを不審に思い、振り返ってみるとそこには何やら複雑な表情を浮かべるアンジェリカの姿。小さくユーリが首をかしげると、彼女は小さくかぶりを振って、いいえ、と続ける。


「なんでもありませんわ、ユーリ。行ってらっしゃい――お気をつけて」

「うん、行ってきます」


 それだけ言って部屋の外に出る。最後まで、ユーリの背中にアンジェリカの視線は向けられたままだった。


「ごめん、お待たせ」


 アリアンナはユーリが部屋から出てくるのを、さも待ちきれなかったと言わんばかりの表情で待っていた。ユーリが部屋から出てくるや否やアリアンナはユーリの手を握って大股で歩き出す。


「えへへ、デート、デート、ユーリにぃとデート」

「ちょ、引っ張らないで」


 自分より背が大きなアリアンナに引っ張られながらユーリが階段を降りて玄関にたどり着くと、アリアンナは黒いロングブーツを素早く履くと、玄関のドアを開け放つ。


「ほらユーリにぃ、早く行こう!」

「ちょ、ちょっと待って」


 ユーリは下足箱から青いスニーカーを取り出して履き、紐を結ぶ。そうしてアリアンナに続いて、屋敷の玄関から外に出た。

 外は青い空が広がっていて、台風が接近しているとは思えない天気だ。帽子で作り出された日陰に、アリアンナの顔はすっぽりと収まっている。そこだけ太陽から隠されているのに、彼女の顔は自ら輝いているかのようにはっきりと見えた。

 ユーリが門のところで待っているアリアンナの所まで歩いていくと、彼女がユーリの手を取った。


「ねえユーリにぃ、どこ行くの?」

「そうだなぁ、買い物もあるし、商店街でも回って、それから」


 ユーリは、ふと隣のアリアンナを見やる。軽く見上げることになる、自分より背の高い年下の義妹は、嬉しそうな表情でユーリを見ている。その表情には、年相応の彼女の姿を現していた。


「……そうだな。何か、甘い物でも食べに行こうか」

「へぇ、珍しいね。ユーリにぃが甘い物食べるなんて言い出すなんて」


 ユーリは小さく肩をすくめると、アリアンナにどこか意地悪そうに尋ねる。


「アンナは、甘い物って気分じゃないかな?」


 すると、アリアンナはにっこりと、太陽の様に微笑んだ。


「いいや。いいね、甘い物」


 どこか歩幅の広くなっていた歩幅をユーリに合わせて、二人で歩いていく。住宅街を抜けて駅の方面へ。住宅が少なくなっていき、次第に商業施設が増えていく。車の通りの多くなった道路の脇の歩道を歩いていると、すぐに商店街に着く。

 日曜日の商店街は、昼過ぎと言うこともあって少し賑わっていた。二人は商店街を歩く。遠い南からやってきた燕がちぃちぃと鳴きながら飛び交っている。


「燕、来たんだね」


 アリアンナがしみじみと言う。ユーリが飛ぶ燕を目で追うと、商店街の梁に留まっていた。


「毎年の名物だよね」


 ユーリはつぶやく。よく見ると、他にも数羽の燕が梁に留まって囀りを続けている。


「もうそんな季節か」

「ボクらの家にもくるかなぁ」


 アリアンナが呟くが、ユーリは小さく困ったような笑みを浮かべる。実際に軒下に作られたら糞もあるだろうし、片づける時が大変だろう。それに、一番危惧しているのは。


「だとすると、離陸の時ぶつかりそうだな」


 ユーリは困ったように、アリアンナに言った。それを聞いたアリアンナはしばし考えた後、小さく肩をすくめた。


「バードストライクか。流石に笑えないや」

「それに飛ぶときにそれなりに大きな音も出るからね。あまり来なさそうだ」


 ユーリがそう言うと、アリアンナは小さく肩をすくめた。


「ここにしようか」


 ユーリが指をさす。そこには、70年前から姿が変わっていないのではと思うような、シックな喫茶店。店の前のガラスのショウウィンドウの中には、カレーやナポリタンスパゲッティ、オムライスと言った食品サンプルが並んでいる。


「へぇ。こんなとこあるんだ」

「うん。最初はアンジーに教えてもらったんだ」


 そう何の気なしにユーリは言ったところで、ハッとする。ユーリの手を握るアリアンナの手の力が、心なし強くなったようだった。


「あー、ごめん。デリカシーなかった」

「……ううん。いいよ、別に」


 ユーリにぃ、あんまり外食とかするイメージないもん。そう言って笑うアリアンナだが、見るからに機嫌が少々悪くなったのは明白だろう。謝罪の意も込めて、ユーリはしっかりとアリアンナの手を握り返し、彼女の手を引いて喫茶店のドアを開ける。


「いらっしゃいませ」

「こんにちは」


 ウェイターが挨拶をしてくるのに返す。二人で、とユーリが言うと、四人用のボックス席に通された。ユーリの反対側に座ったアリアンナが帽子を脱いで、脇に置く。


「ご注文は?」


 ウェイターが聞いてくるので、ユーリはコーヒーで、ミルクと砂糖をつけて、と頼んだ。アリアンナはメニューを見て悩んでいるようだ。


「リンゴのタルトが美味しいよ」


 ユーリが呟くと、アリアンナは小さく目を丸くしてじゃあそれと、あとは紅茶で、ミルクと砂糖なし、とウェイターに言った。

 ウェイターが小さく頭を下げて厨房に消えていく。それを目で追っていたアリアンナは、ユーリにふと顔を向け、意地悪そうな表情で言った。


「で、それもアンジェリカ姉さんのおすすめだったり?」

「いや。時々来てて。それが一番おいしいと思った」


 僕はね、とユーリはメニューの画像に目を落とした。


「へぇー……」


 アリアンナがどこか色っぽい声でつぶやいた。ユーリは小さく肩をすくめると、窓の外に目をやった。窓の外の商店街では、様々な人が行きかっている。


「そういえば」


 アリアンナがユーリに向かって話しかける。ユーリはなに、と彼女の方に振り向いた。


「今日、結局何の用事で大学に行ってきたの?」


 瞳には興味の色が浮かんでいる。別にいいか、とユーリはあったことを話し出した。


「大学からの依頼でね、飛んでほしい空があるんだと」

「へぇ、どんな空?」


 アリアンナがユーリに聞いてきたところで、ウェイターが失礼します、と言ってコーヒーと紅茶、そしてリンゴのタルトを静かにテーブルに置いてくる。ごゆっくりどうぞ、と挨拶を言うと、ウェイターは再び店の奥に消えていった。

 ユーリは金属の小さなカップに入ったミルクをコーヒーに入れ、スティックシュガーの袋を切って中に注ぐ。子気味良い音と共に白い濁流が黒と白の班の中に消えていく。スプーンでゆっくりとかき回すと、黒い水面に白濁が渦を巻きながら湧き上がってきて茶色に混ざり合っていく。乱流とカルマン渦、だっけか、とユーリはぼんやりと思い出した。


「台風を飛んでくれって言われたよ」

「台風……あぁ、今来てるやつだっけ」

「そ。圏界面より上空を飛行しながらドロップゾンデを放出、台風の目の中をぐるっと回れるようなら回って、それで帰ってくる。それだけだ」


 それだけって。アリアンナは苦笑いを浮かべるが、ユーリはどこか不思議そうな表情を浮かべるだけだった。


「ユーリにぃ一人で飛ぶの?」


 アリアンナが聞いてくるが、ユーリは黙って、それから口の中で情報を反芻して、観念したように口を開いた。


「……いいや、アンジーがパイロットだ」


 そっか。どこか納得したような、そんな声をアリアンナは漏らす様につぶやいた。沈黙が二人の間に流れる。

 ユーリは、黙ってアリアンナのタルトの皿を引き寄せる。フォークで小さく切って、フォークを刺す。リンゴのコンポートを貫く、柔らかい抵抗。それを目の前に差し出す。


「アンナ、はい、あーん」


 アリアンナが目を丸くしてユーリをじっと見つめる。彼女の視線がユーリとタルトの間を行ったり来たりを繰り返す。そうしているうちに、意を決したようにアリアンナが恐る恐るタルトを口に入れた。

 口の中でしゃくしゃくと音を立てて崩れ、甘いリンゴのさわやかな香りで口がいっぱいになる。タルト生地のしっとりとしたスポンジの食感が、口の中を柔らかに広がる。


「どう、美味しい?」


 ユーリがアリアンナに尋ねる。彼女は満足げに、頷いた。

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