01/Sub:"シミュレーション・フライト"
蒼と紅、二つの色が群青の空を貫いた。
「ユーリ! 敵機、方位0―9―0、高度3―4―0! 真っすぐ突っ込んできますわ」
『了解、やる気だな――エンゲージ』
赤いドレスの礼服を着たアンジェリカが、銀竜に跨って空を舞う。天地がひっくり返った中、竜の金色の瞳が群青の中の黒を見出した。急激にピッチアップ。相手の六時方向を奪おうとするも、相手は上昇。こちらに気付いている。ユーリは増速。後方につこうとする。
翼が白い減圧雲を纏った。翼端から流れる飛行機雲。凄まじいGがアンジェリカをフライトユニットに押し付ける。
「ふーっ! くーっ、っか! ふーっ!」
下半身の筋肉と言う筋肉を緊張させ、下腹部に全力で力を入れ、鉛の様に重くなった横隔膜で無理やり酸素を身体に取り込み、真っ暗になりかける視界を無理矢理つなぎとめる。視界に映るHMDの、右端のGメーターがみるみるうちに上がっていく。額を滑り落ちる様に流れる汗の中、アンジェリカは視界の中のターゲットマーカーから視線を外さない。ターゲットマーカーの表示はふらふらと機首ベクトルに近づいたり離れたりを繰り返す。
群青の空に、ぽっかりと欠けたように暗灰色。左尾翼だけが赤く塗られたブラックオウルが、高G旋回でユーリを振り回す。センサーキャノピーに覆われたコクピット内では、咲江が不敵な笑みを浮かべながら追ってくるユーリ達の位置を確認しつつ、操縦桿に細かく力を入れていた。
「やっぱり」
咲江は小さくつぶやいた。試しに大きくバレルロールしつつ、ユーリの視界から外れるように動いてみる。ユーリはすぐさま咲江を再捕捉。180度ロールしてスプリットS、咲江の前方から逃れる。
「アンジェリカちゃん、いい目をしてるわね」
楽しそうにつぶやく咲江。だが次の瞬間に小さく力を込めた操縦桿は彼女の意思を即座に読み取り、機体が弾かれたように旋回。飛行機雲を残しながらユーリの軌跡に絡みついていく。
「ユーリ! チェックシックス!」
『くそっ! 付かれたかっ!』
左右に蛇行するシザーズで相手を前に押し出そうとし、フェイントをかけてハイ・ヨー・ヨーに移る。速度の出ていた咲江の機体はユーリの横にまで押し出されるが、高G旋回をかけてユーリの機動に咲江のブラックオウルが絡みつき、有利位置につくことを許させない。速度の落ちてきたユーリの翼端から、空気が剥がれ始める。180度ロールし、降下。ブラックオウルも追従。
「ユーリ、あと少し……! あと少し……!」
アンジェリカがユーリの斜め後ろにまで来たブラックオウルを見据える。その位置にブラックオウルの姿が収まる、その時を待つ。
「そのまま……そのまま……今っ!」
アンジェリカが叫んだ。次の瞬間、ユーリは急激にピッチアップ。翼から一気に気流が剥がれ落ち、失速。盛大に減圧雲が翼面を覆い、凄まじいGがアンジェリカを襲う。一瞬で視界が真っ暗になり、意識が泥に引きずり込まれるように失われた。対気速度が鋭く低下し、コブラ・マニューバを行ったユーリは失速の空へと飛びこんだ。そうしてブラックオウルを必殺の位置につこうとして――いない?
『しまっ……!』
ユーリはコブラ・マニューバから回復し、急いでブラックオウルの消えた先を探す。上、右、左、後ろ――下。
通信から、無感情な咲江の声が響く。
『残念』
ユーリがコブラ・マニューバを行った瞬間、咲江は同時に急激な機首上げからのコブラ・マニューバを実行。その機首をぴったりと吸い付くようにユーリに合わせつつ、同時にそのまま90度ロールし、その結果、ブラックオウルは空中で横すべりするようにユーリの真下を飛び抜けた。ブラックオウルのレールガンが淡い紫色の光を宿し、咲江のHMDの照準に、彼の姿が重なる。
次の瞬間、光がユーリの視界を染め上げた。
視界が暗転し、再びクリアになってくる。広がるのは以前も見た、真っ白なブリーフィングルーム。後ろに柔らかい感触。振り向くと、霊服姿の咲江がユーリを後ろから抱きかかえていた。
「はい、キル」
咲江が楽しそうに言う。ユーリはやられたな、という感情と共に、後ろから抱き着く咲江のなすがままにされる。
ふと左右を見渡す。すると、真っ白なブリーフィングルームの真ん中に、鮮烈な赤色が一つ。霊服姿のアンジェリカが、尻を上に上げて力なくうつ伏せで床に倒れ伏していた。ユーリがアンジー、と声をかけると、小さなうめき声と共にアンジェリカが立ち上がる。
「しくじりましたわ……」
まだ頭がくらくらするのか、右手で額を前髪ごと抑えながらつぶやくアンジェリカ。見て分かる程度には悔しそうな表情で、苦虫でも噛み潰したようだった。
「さて、ユーリ君、アンジェリカ、今回の敗因は?」
咲江がゆっくりと問いかけてくる。ユーリが言おうとしたら、アンジェリカが片手で彼を静止しながら言う。
「……安易な失速機動」
「うーん、それだけだと60点、って所かしら」
ぴくり、とアンジェリカが眉を動かした。小さな沈黙が流れ、黙ったままのアンジェリカの代わりにユーリが口を開く。
「アンジェリカが、無茶な機動のGでGロックを起こしました。予測できたことで、僕がそれを考慮しなかったことです。自分で、自分の眼を潰した」
「違いますわ、あれは私が――」
アンジェリカが言いかけるのを、咲江が静かに遮る。答えに満足したように小さく頷くと、うん、百点よ、と言ってくる。
「……乗騎について行けないようでは、パイロット失格ですわ」
「そうね、ならついて行けるようになるのが、今後の課題ね」
諭すように言う咲江に、アンジェリカは言い返すことはせずに、黙って頷いた。
「耐Gトレーニングメニューを教えるわ。一緒にやりましょう?」
「あ、教官、僕もやりたいです」
ユーリが言うと、咲江は小さく目を見開いて、それからにっこりと笑う。
「ええ、もちろんよ。ユーリ君も、より高いGに耐えられたらそれに越したことはないもの」
そう言うと、アンジェリカが再び苦い表情を浮かべる。今でさえついていけていないのに、これ以上ユーリの機動性が上がったらどうなってしまうのだろうか。サドルユニットの上で潰れたトマトみたいになるのはごめんだった。
「そうしたらアンジェリカは、身体強化の術式を使った方がいいかもしれないわね」
「やっぱりそうなりますわよね……」
霊服によるアシストがあるとはいえ、ドッグファイト中にそのほかの様々な情報処理を行いつつ術式の制御まで行うのは至難の業だ。それもあって極力身体強化の術式を使用しないようにしていたのだが、こうなってくると流石に厳しい物もある。まだまだ課題は山積みだった。
だが、ユーリが一緒に飛んでほしい、と言ってくれたのだ。それに応えられないのに甘んじるほど、アンジェリカは愚かでもなかった。
「……もう一度お願いしますわ!」
威勢よくアンジェリカが声を上げるが、咲江は小さく天井を見上げると、小さく首を振る。
「いいえ。疲労が溜まった状態で、問題を解決できていない状況で同じことをしても意味ないわ。それに」小さく咲江が黙る。小さく響く、アラームの音。「そろそろ時間よ。続きは今度にしましょう」
景色から質感が消えうせ、辺りが光に包まれていく。乳白色の視界は、いつしかそれが暗闇だと脳が次第に処理を変えていく。
ユーリは、ゆっくりと眼を開けた。
「ふふ、ユーリ君、おはよう」
目の前にある大きなふくらみの向こうから、咲江がひょっこり顔をのぞかせる。そうして、ユーリは今自分が咲江に膝枕されているのだと理解した。白いワイシャツを寝間着代わりにしているものの、彼女の非常に豊かなボディラインがシャツをしたから押し上げて自己主張している。
咲江はニコニコとほほ笑みながらユーリの額を優しく撫でる。怪訝な表情をユーリは浮かべるも、だんだんと甘い匂いに包まれてまたウトウトと眠気が押し寄せてくる。
がばり、とユーリの視界の端で赤色が動いた。薄いレース地の赤いナイトドレスを着たアンジェリカが文字通り飛び起きた。
「って、咲江、ユーリに何をしていますの!? というか自分の部屋にいたはずでは!?」
「何って……膝枕だけど?」
アンジェリカがユーリを咲江から引きはがそうとするが咲江はさも当然の権利と言わんばかりに抵抗する。引きはがされまいと、咲江は正座で組んでいた足を軽く開いて、太ももの間にユーリの頭を挟む。両側から柔らかくも、その下に硬いものを感じる感触に押しつぶされてユーリの頬がつぶれて変な声が出る。
「ユーリを放すのですわっ!」
「あっ、何するのっ!」
「うごごごご」
そんなユーリを咲江の足の間から引き抜こうと前からユーリに抱き着いたアンジェリカが下に引っ張ってくる。胸板にアンジェリカの柔らかいものが当たって潰れるが、首が引っ張られてユーリは天国と地獄をいっぺんに味わうことになった。
力の均衡は永遠には続かず、ユーリの首がじわじわと咲江の両脚の間からずるずると引き抜かれ始める。
すぽん、と子気味良い効果音が付きそうな勢いで、とうとうユーリの頭が引き抜かれる。
「あらら、ユーリ君とられちゃった」
どこか残念そうに言う咲江だが、その表情はまだ余裕といった感じで、息を荒げて咲江を睨みつけるアンジェリカとは対照的だ。咲江はどこか蠱惑的な表情を浮かべながらアンジェリカに抱きしめられているユーリに後ろから抱き着く。彼女の豊かな女性の象徴がユーリの背中で盛大に潰れて、ユーリの脳は一気に熱暴走域に達する。
「ユーリ君、じゃあマ――私と一緒に朝ごはんにしましょうか」
「今ママって言いかけました?」
アンジェリカがピクリと眉を動かすが、咲江は知らずといった顔で、ユーリを後ろから抱えてベッドから降りた。アンジェリカも慌てて続く。自然と、ユーリの両腕を二人が抱えるような姿勢に。ユーリは熱暴走しかけた脳で、昔オカルト系の本でこんな感じで捕まった宇宙人の写真を見たのを思い出していた。




