EX/Sub:"テイク・オフ"
「吾妻咲江大尉、入ります」
ユニオン基地。日本支部がある基地内の一角のオフィスの端、窓のない、小さな応接室。ドアをノックすると、中から入室の返事が返ってきたので従い、中に入る。
「わざわざご苦労、それと」応接室の、机の反対側。横長のソファーに腰掛けた黒い男が立ち上がりながらラフに敬礼をする。「息子が、世話になったな。すまなかったな、大尉」
思わず咲江も敬礼を返しながら言う。穂高大佐の横で腕を組んで立つ白い女も、腕組を解いて敬礼をする。
「い、いいえ、とんでもありません、穂高大佐」
思わずそう返すと、穂高大佐――ユーリの父親は、苦笑いを浮かべながら反対のソファーにかけるように促す。一礼し、咲江がソファーに座ると反対側に穂高大佐が座り、その横に白い女――ヴィトシャ大佐、ユーリの母親が座る。
「まずは先日の件は改めて感謝しよう。息子が世話になったな」
「いいえ。あくまでプライベートな付き合いでしたので。それに生徒の希望にこたえるのは教職の義務ですので」
隣のヴィトシャ大佐から放たれる威圧感に気おされながらも、冷静さを保って言い切る。穂高大佐はそんなヴィトシャ大佐に気付いているのか、苦笑いを浮かべながら持っていたファイルから書類を取り出す。
「で、復帰願い、と」
穂高大佐がパラパラと書類をめくる。
「先の大戦中は空軍特殊作戦飛行部隊ゼータ7、“ステラ”隊に所属。事件後の混沌の中とはいえ有人機62機、無人機256機、そのほか落下中の弾頭を多数撃墜……すごい戦果だな、これは」
「昔取った杵柄です。腕も、随分落ちてます。鍛え直す必要があるかと」
「まぁ常に人材不足のウチとしては、ありがたい話ではあるのだが、いいのか?」
その問いに、咲江はニッと笑って返した。
「ええ。飛ぶ理由を、見つけましたから」
その言葉に、穂高大佐は少し目を丸くして、それからどこか楽しそうにほほ笑む。満足した、と言わんばかりに書類をファイルに納めると、そうか、とつぶやく。
「なら私から言うことはない。帰還を歓迎しよう、吾妻大尉」
そう言って立ち上がると、ああそれと、と続けた。
「妻――おっと、ヴィトシャ大佐が、君に話があるそうだ」
「えっ」
「じゃあ、ごゆっくり」
そう言ってどこか早足で部屋から出ていく穂高大佐。その背中に咲江は見覚えがある。具体的には、撤退する敵機のような。
ずん、と席の向かい側から増すプレッシャー。ぎぎぎ、と油をさしていない古びた蝶番の様に正面に向き直ると、そこにはヴィトシャ大佐が金色に薄く輝く竜の瞳で、咲江を睨みつけていた。
あ、ユーリ君と同じ目してる。暴風の如きプレッシャーに晒されながら、咲江はぼんやりとそんなことを思った。
「さて、吾妻大尉」
びくりと咲江の肩が跳ねる。あ、これ業務とかのことじゃない、私的なことだわ、と咲江のファイターパイロットとしての勘が叫ぶ。
「ユーリが、お世話になりましたね」
「あっはい」
違う。『世話になったな』のニュアンスがさっきの穂高大佐のそれと全然違った。
「なんでも、ユーリを――赤ちゃんにして、遊んでいたとか」
「えっ」
だいぶ事実と異なる認識をしている上官に対し、思わず声が漏れる咲江。キッとヴィトシャ大佐が睨みつけてきて、小さく肩をすくめる。
「そのことについて、なにか弁解はありますか? 吾妻大尉」
どうしよう。何を言ってもドツボに嵌る気がする。完全に眼前のヴィトシャ大佐は怒り心頭、と言う感じである。子持ちの竜は気性が荒くなるのは当然なのだろうか。予想外からの方面の攻撃に、キャパシティオーバーを起こした咲江の脳は、唐突に、理性を分離させた。真正面からヴィトシャ大佐、いや、ユーリの母親を見据え、咲江は叫ぶ。
「お義母様、ユーリ君を私にくださいっ!」
「――ほぅ?」
その場に第三者がいたら、部屋の温度が絶対零度まで冷え切り、直後に鉄すら溶ける高温になった様に感じられただろう。しかし生憎、この場にいたのは怒れる竜と理性の吹き飛んだ悪魔だけ。
「ユーリ君は、ユーリ君は私の、翼を並べて飛んでくれるかもしれない、私の帰ってこれる場所になってくれるかもしれない存在なんです! 私の息子になってくれるかもしれないんです!」
「ユーリが、息子……?」
あのユーリが幼児退行した瞬間、咲江の心の奥底に宿ったもの。あの幼児退行したユーリを見て、お世話をしてあげたい、抱きしめてあげたい、お風呂に入れてあげたい、寝かしつけせてあげたいと思った自分も、まぎれもない自分自身だった。
ならば、押し通すまで。
「実の母親を前に、よくもぬけぬけと……!」
「母親になっちゃいけないなんて、道理が通る訳ないでしょうに!」
びりびりと二人の霊力が衝突し、部屋が揺れる。壁に一瞬黒い、結晶化した枝葉の様な文様が現れたが、すぐに砕けて消える。部屋の外から、退避、退避と穂高大佐が叫ぶ声がする。
「……どうやら、誰を敵にしているか、教える必要があるようですね」
「空戦にルールはない、ただ、相手を墜とすのみ――!」
白と桃色が衝突する。世界が裏返る。
この日、ユニオン基地は大規模な地震に見舞われることになった。
「吾妻大尉、お待たせしました――って、どうしたんですか、それ」
「名誉の負傷よ。作戦に支障はないわ」
整備主任がブリーフィングルームにいた咲江を呼びに来て、咲江の頬や瞼の上に貼られた絆創膏に気付く。しかしそんな彼女の表情はどこか晴れ晴れとした様子で、満足げであった。
「戦術的勝利、ってやつかしら」
「何か言いました?」
「いいえ、気にしないで」
整備主任について廊下を歩く。分厚いドアを開いて、対爆ハンガーの中に。
ハンガーの中に静かに駐機されているのは、黒い戦闘機、ブラックオウル。ハンガーの中に静かにたたずむそれに、作業服や白衣を着た技術者が群がり、機体各所に差されたケーブルに繋がる端末を睨んだり、お互い意見を交わしたりしていた。
真っ黒なブラックオウルの機体。ただ、その左垂直尾翼だけが、鮮やかな赤に塗られている。
「一応要望通りにしておきましたが、また珍しい塗り方ですね」
技術主任が言うと、咲江は小さく笑ってその赤色を見つめた。
「いいえ。私の、人生の好敵手とも、肩を並べる戦友とも呼べる子に対して、敬意を、ね」
あなたほどの人に? そう言わんばかりの眼で技術主任は、咲江を見つめた。
「いや、しかし、まさかあのトップエースがうちに来てくれるなんて」
技術主任が言う。
実際、咲江が予備役から復帰後、配属されたのは技術開発部だった。そこのテストパイロットとして、咲江の配属先が即座に決まり、トントン拍子でかつての愛機の前に咲江は戻ってきた。
「平和な空ですもの。エースパイロットの仕事は、機体を虐めることくらいよ」
「大尉のかつての機体ですが、様々な試験的技術が盛り込まれています。せいぜい擦り切れるまで使いまわしてやってください」
「この、パイロットスーツも?」
咲江は自分が今着ているパイロットスーツについて尋ねる。現役の頃着ていたそれとは違って、ぴっちりとしたインナーの上にパワーアシストスーツの様な簡素な外骨格を取り付け、その上にハーネスやポケットなどが付いたズボンやジャケットを付けるそれも、『試験的技術』と言うやつなのだろうか。
「ええ。機体とパイロットのブレイン・マシン・インターフェイスの一環ですね。ヘルメットやグローブだけだったウェアラブルコンピューターを、全身まで拡張してみた形になります。扱いづらい点もあるでしょうが、大尉なら十二分にその性能を引き出せると予想していますよ」
望むところよ。そう言って咲江はコクピットの横にかけられたタラップを上がる。コクピットに座ると、懐かしい感触が身体を支える。
戻ってきた。
咲江はヘルメットをかぶり、ケーブルをヘルメットに差す。コントロールパネルを操作し、機体のメインコンピューターを作動、小さな冷却器の作動音と共に、メインディスプレイが起動。キャノピーの裏側、コクピット側に外の景色が一瞬映るが、コンピューターがヘルメットを認識し、キャノピーの表示が消え、バイザーのHMDに景色を映し出した。機体がフライトスーツを認識し、ディスプレイに人型の表示がされたのちに、各所との接続、自己診断を実行する。フライトスーツ、オールグリーン。心拍数や血圧、その他身体データがメインディスプレイに表示された。咲江はHMDバイザーを上げる。
『よし、通信は良好。大尉、聞こえていますか?』
「こちらステラ1。感度良好」
機体からケーブルが次々に外されていき、メンテナンスハッチが閉じられていく。APUを起動すると、小さな駆動音と共に機体が内部電源に切り替わる。整備兵が機体下部の電源ケーブルを外した。
牽引車がブラックオウルの前脚を掴み、ハンガーから引き出していく。ハンガーの外に広がる、青い空。
飛行日和だ。
牽引車が駐機位置で止まり、離れていく。両手を上に上げ、兵装スイッチやトリガーに触れていないことを示した状態で、見えるように待機していると整備員が兵装の安全ピンを次々に引き抜いていく。機体から整備員が離れたのを確認し、咲江はチェックリストを進める。エンジン始動。APUの動力を受け取って、ブラックオウルの二基のエンジンに炎が灯る。唸り声の様な低音が、速やかに甲高い高音に変わる。表示されるエンジンステータスに異常はない。機体の兵装アームがウェポンベイ内に引き込まれていき、兵装ハッチが閉まる。
キャノピーが降りてくる。隙間なくキャノピーが閉まり、小さなロック音。暗いコクピット内で、咲江がHMDバイザーを下ろすと、外の景色が360度全天周表示された。描画モードで自機を投影する、を選択。まるで装甲で出来たキャノピーが透けているような表示に。咲江は後ろを振り返りながら、フライトスティックに前後左右へ力を加える。連動して水平尾翼とエルロン、ラダーが動くことを確認。HMDの自機投影をオフに。
タキシング許可が下り、ブレーキをリリースしてタキシングし出す。誘導路を通り、滑走路へ。視界はクリア。ブレーキをかけ、人工筋肉製の翼がぐぐ、と両側へ広がった。
『タワーよりステラ1へ。離陸を許可する』
咲江はスロットルを最奥に押し込んだ。一旦小さく引っかかり、そこで軽く横にずらしてさらに押し込む。オーグメンターに青い炎が灯り、機体が一瞬前に沈み込み、そして弾かれたように滑走路を駆けだしていく。翼が気流を受け止める。景色が後ろに流れ、ブラシでこすったようにかすれる。咲江が操縦桿を軽く引くと、そこに広がるのは、空。
足を納め、ブラックオウルが翼に減圧雲のドレスを纏い、翼端から白い雲の糸を引いて急上昇していく。青い空の中へ、放たれた矢の様に。
どこまでも続く青い空。白い飛行機雲をたなびかせながら、鮮やかな赤色を背負った黒い翼が、真っすぐ突き抜けていった。




