31/Sub:"竜殺しの槍"
咲江はスロットルレバーを最奥に叩き込んだ。オーグメンターが起動。バーナー内に燃料をぶちまけ、青い炎が煌めくとともにエンジン出力が跳ね上がる。ぐん、とシートに押し付けられる身体。機体が弾かれたように加速をはじめ、周囲の景色が一気に後ろに押し流されていく。緩やかに広がっていた人工筋肉製の可変翼が後退位置にすぼまっていき、機体の周囲に、一瞬白いベイパーコーンが瞬いた。
HMDに表示されたターゲットまでの距離が瞬く間に減っていく。距離を開けられていた機体はすぐに、上昇を続ける銀色の竜の下を追い越した。
咲江がフライトスティックを握りしめた。スティックの圧力センサーが反応。彼女の意思が機体のフライ・バイ・ライトシステムにより動翼に作用し、水平尾翼と推力偏向ノズルが瞬時に動く。ぐん、と機首が持ち上がり、翼が白い減圧雲を纏った。翼端から細く、白い飛行機雲をの曲線を描く。まるでロケットか、はたまた目標に向けて放たれた対空ミサイルの様に、ブラックオウルの機体が空を超音速で垂直に上昇していく。蒼穹の銀竜との距離が、見る見るうちに減っていく。
RDY―GUN。
HMDに表示された機関砲の照準と竜の姿が重なった瞬間、咲江はトリガーを引いていた。機関砲が咆える。曳光弾が混じった直径25ミリの砲弾が一秒間に40発という凄まじい勢いで発射された。発射された時間はほんの数瞬。三秒にも満たない時間であったが、鼻垂れた百発を超える砲弾は超音速で銀竜の腹部に弾幕を成して襲い掛かった。
盛大に火花が散った。まるで花火の様に着弾した砲弾が竜の鱗で跳弾し、破砕し、時には竜の鱗の一部を削り取って空に火花の花束を描き出す。まるで思いっきりボディーブローを食らったかのような衝撃に、竜は姿勢を崩した。その横を、ビームアタックを終えたブラックオウルが下から交差する。180度ロールし、天地がひっくり返った。高Gをかけながらピッチアップ。機首を地面に、見下ろす銀竜に向ける。
「ちっ、やっぱり硬いわね」
コクピットで咲江が小さく漏らす。視線の先では姿勢こそ崩したものの唐突な敵の出現に困惑するように機動が乱れた竜の姿。機関砲は竜の体表の鱗を軽く削れた程度で、致命傷、撃墜には至らなかった。竜は外敵を排除せんと、その口に淡い青色の光を宿し始める。咲江は左に急旋回。射線から逃れる。ブラックオウルの遥か後方を、レーザーの様なドラゴンブレスが貫いた。
身体にかかる凄まじいGの中、咲江は残っている兵装を確認する。機関砲はさっきの通り有効打になりえない。ミサイルは赤外線誘導だ。きっと熱を放たない銀竜には画像追尾モードでないとロックオンできないだろうが、そうなると誘導性能は限られたものになるだろう。そうなると、彼女に残った切り札はただ一つ。
竜狩りの槍、か。随分と因縁浅からぬものだ、と彼女はマスクの下で小さく笑みを浮かべた。電磁投射砲のカートリッジには、対空用の榴弾が三発のみ。エアバーストによる破片のダメージには期待できない。直撃を狙うしかないだろう。
「上等じゃない……!」
マスクの下で不敵に笑う。左にロールしたのち、ラダーを踏み込みながらピッチアップ。機体を横滑りさせながら鋭いバレルロールを描く。竜との距離をじりじりと詰めながら、攻撃位置に、滑り込むその一瞬の隙を伺う。そんな咲江の狙いに向こうも気づいているのか、時折ドラゴンブレスを放ってくるが、そもそも射線から大きく離れた咲江にはかすりもしない。竜の口から吐くというモーションが挟まる以上、あまりビームの偏向はできないようだ。
しかし、どうも違和感がある。咲江と夢の中で飛んだ時とは、どうも違うような雰囲気。その差異がどうも目の前の光景と繋がらない。そうしている間にもHMDに投影された照準が銀竜に吸い寄せられていく。
小さく息を吸う、そして吐く。そうして一定間隔で小さく息を繰り返す。上下に揺れるシザーズ運動を繰り返したせいで、いつしか銀竜はその六時方向を咲江に差し出していた。
機体下部に懸架された電磁投射砲がその砲身を開く。縦に分かれた砲身の間にうっすらと紫色の輝きが宿る。
すぅ、はぁ、すぅ、はぁ。規則的に、短く繰り返される咲江の息。HMDの視界。シンプルな、スナイパーライフルのスコープの様な照準が表示され、クロスヘアにゆっくりと銀竜が近づいていく。
姿が、重なった。
「っ!」
思わず息が止まる。照準の、やや左上の未来予測位置に捉えた銀竜。トリガーにかける指に力が加わり、引き金が引かれる。レールガンに莫大な電流が流れ、ローレンツ力によりプロジェクタイルが加速され、秒速40キロメートルという猛烈な速度に加速された弾頭は空気をイオン化させながら銀竜までの距離の数百メートルを一瞬でとびぬける。それは吸い込まれるように銀竜に直撃――するはずだった。
「なっ……!」
銀竜の機動が変わる。急旋回から急激なピッチアップ。速度を一瞬で失い、後方の敵に攻撃のチャンスとなる自殺行為。普段の咲江ならそこを撃ち抜いていただろう。しかし、レールガンの砲弾は未来予測位置を貫き、銀竜には掠めもしない。急激なピッチアップののち、大推力による旋回で強引に機動を捻じ曲げた銀竜は、速度を大きく失ってそのコントロールを失いつつも、そのまま咲江の後方につこうとしてくる。
「くっ!」
咲江は180度ロール。同時にスロットルレバーのフレア放出ボタンを押し込んだ。機体下部の放電索が空に大量の球電を瞬かせた。それが銀竜の眼を眩ませ、ドラゴンブレスの発射方向をずらした。咲江は右のスロットルをアイドル位置に。推力バランスが崩れ、機首がぐい、と見えない手でつかまれたように右に逸れる。強烈な横Gの中、ラダーペダルを踏みしめて機体のスリップに制動をかける。
さっきの動き、ユーリ君じゃなかった。
すぐそばを掠めた、レーザーの様なドラゴンブレスをバレルロールで余裕をもって回避しながら咲江は考える。さっきの動きは定石からあまりにも離れすぎている。事実、あのマニューバ後は失速してコントロールを失っていた。ポストストールマニューバと言うには、あまりにも稚拙なそれ。
「……まさか」
フライトスティックを握りしめる。機体は即座に反応。急上昇し、そのまま180度ロールして降下。なんてことはない基本のマニューバだが、銀竜はその6時方向を即座に差し出した。今度は予測射撃ではなく、目標に向かって引き金を引いた。機関砲が咆える。
砲弾の雨は、真っすぐ銀竜の背後に降り注いだ。
やっぱり、あれはユーリではない。
正確には、誰かがあのユーリの姿をした幻――心中のユーリとでも言うべき存在を『操縦』している。そして生憎、この場でそれを操縦できる存在がいるとすると、それはたった一人。
「アンジェリカ、貴女なのね」
なかなかよく飛ばすじゃないの。咲江はマスクの中でにやりと不敵な笑みを浮かべる。
だがやることは変わらない。墜とすだけだ。
咲江は90度右にロールし、シザーズに入る。銀竜は急旋回しながら振り切ろうとするが、先程の失速を恐れているのか、フライトエンベロープギリギリを攻めない、比較的余裕のある旋回をしているがゆえに咲江のブラックオウルは正確にその背後についたままだ。兵装選択スイッチを押し、空対空ミサイルを選択。シーカーオープン。翼の付け根の胴体下部横にあるウェポンベイが開き、アーム先のパイロンに懸架された空対空ミサイルが露わになる。その冷たい赤外線シーカーが空を睨む。
「来い、来い、来い……」
HMD内のシーカーの表示が揺れ動く。やはり戦闘機に比べて熱が弱いのでロックオンがしにくい。だがそれでも画像認識機能もある赤外線シーカーはその姿を着実に捉えていく。小さな子気味いい電子音が鳴り響く。ロックオン。
フライトスティックの発射スイッチを押し込んだ。パイロンの赤外線ミサイルの固体燃料モーターに火が灯り、輝きながら銀竜へと放たれた矢の様に真っすぐ突き進んでいく。急上昇して逃れようとするが、遅い。
ミサイルが真っすぐ突き刺さった。近接信管が作動し、大量の破片が超音速で銀竜の身体を打つ。爆炎と黒煙が空中に咲いた。
煙を抜けて、銀竜が空に飛びだした。
「ミサイルでも、駄目か……!」
わかってはいたが、硬い。しかしダメージが全くなかったというわけではなさそうで、身体の表面には無数の焦げ跡と傷が刻まれていた。数発撃ち込めば飛行不可能な程度の損傷は与えられるかもしれないが、生憎とミサイルは残り一発だ。
だとすれば、切り札となる兵装は、レールガンのみ。
銀竜が急加速。ミサイル攻撃を警戒したのか、速度でブラックオウルを振り切ろうとするが、咲江もスロットルを押し込んで追いすがる。薄い大気の中、ソニックブームが群青の空を揺らす。
HMDに表示されたレールガンの照準。さっきは当たらなかったが、次は当たる。その確信を持ちつつ、咲江はじわじわと照準を合わせていく。
ただ、一抹の不安もあった。ミサイルの爆風と破片での損傷を見るに、艦船の装甲ほどはあるかもしれない銀竜。浅い角度でレールガンを当てても、跳弾するかもしれない。徹甲用の装弾筒付翼安定徹甲弾ならその心配はなかったかもしれないが、生憎装填されているのは対空用のHE弾だ。だが当てる。それができる自分の腕があると知っているし、それに信頼を置いていた。
なら、するだけだ。咲江は180度ロールし、急降下。ロー・ヨー・ヨー・のマニューバで更に速度を増し、一気に銀竜の腹側に踊り出た。胴体中央に、照準が重なる。
レールガンが煌めいた。青いイオンの弾跡を描きながらプロジェクタイルは銀竜の腹部のど真ん中に着弾。運動エネルギーが構造を食い破り、破壊していく。
「やっぱり、硬い、か……!」
まさか、と思って発射後左に急旋回していた咲江の眼に映るのは、腹部を大きく損傷させながらもかろうじて空を飛ぶ銀竜。大きくえぐれた腹部の内側にあるべき肉はなく、暗い青色のノイズの様なものが満ちていた。あれでよく飛べたものだ、と思ったが、ノーダメージではなさそうだった。
レールガン、残弾、残り一発。
そこで初めて銀竜が明確な敵意を抱いてきた。上空から急降下し、咲江に追いすがる。レーザーのように細く絞られた、ドラゴンブレスが空を切る。回避したブラックオウルの機体が、衝撃で小さく震える。
縦方向のシザーズにもつれ込む。交差するたびに放たれるドラゴンブレスを、咲江は難なく回避していく。残っていた一発の空対空ミサイルを選択。シーカーオープン、ロックオン。
「フォックスツー」
機械的に告げる咲江。ミサイルが空に放たれ、吸いこまれるようにして手負いの銀竜に飛び込んでいく。銀竜は急旋回。ミサイルは淡い赤外線のその姿を何とか認識し、動翼と推力偏向ノズルが動いて機動を修正。近接信管が作動した。爆炎が空に咲く。黒煙の中を、さらに傷を負った銀竜が突き抜ける。ブラックオウルの姿を探すが、見当たらない。
混乱の中、唐突に銀竜の身体を機関砲の雨が叩いた。全身に伝わる衝撃。咄嗟にそちらの方を向いた瞬間、銀龍の眼を、光が焼いた。
太陽を背に、真っすぐ銀竜に襲い掛かるブラックオウルの姿が、光の中にあった。
銀竜が急上昇。太陽に、ブラックオウルに向けてドラゴンブレスを発射。咲江はわずかにロールし、ドラゴンブレスのビームを紙一重で回避する。左垂直尾翼が余波に巻き込まれて消し飛んだ。
咲江の視界の中には、照準の中央に収まった銀竜の姿。
レールガンが、煌めいた。
秒速40キロ。流星とほぼ同じ速度で放たれた砲弾は、空力で青く輝きながら竜までの距離を一瞬で飛翔。
竜の頭部を、青い閃光が貫く。
首が消し飛び、そこからボロボロと崩壊していく銀竜。背中合わせで、咲江のブラックオウルが超音速ですれ違った。竜は崩れながら太陽に向かってしばらく飛び上がっていく。ボロボロと崩れながら空を目指す首なしの竜。しかし、重力の鎖がそれを引きとどめる。ゆっくり上昇が収まっていき、次第に進路が地上に向かいだす。
そうして放物線を描いた上昇も止まったころ、限界を迎えたように完全に砕け散った。
世界が暗転する。




