28/Sub:"サージング"
訝し気な目で見るアリシアの先でアンジェリカが剣呑な目で肩を震わせている。不安定だとは思っていたが、それが最悪の方向に転がっているらしい。
「ユーリが帰ってきませんわ。もう夕方にもなってるのに、なんの連絡もなく、なんの書置きもなく」
「アンジェリカ、落ち着きなさい、落ち着きなさい。どうせユーリのことだから長い間離れるならワンチャン親に連略してるはずよ」
そう言いながらアリシアはアンジェリカに見せるようにしながら携帯端末を取り出し、連絡をユーリの実家に入れる。目の前でどんどん『ヤバげ』な雰囲気を漂わせ始めているアンジェリカを前にしながら端末から呼び出し音が流れてくる。コールが終わって出るまでの時間が永遠の様に感じられ、小さな電子音と共に電話が繋がる。
『はい、どうした?』
ユーリの父親に電話が繋がる。安堵の息をつきたい気持ちを抑えて、目の前の剣呑な様子のアンジェリカから目を離さないようにしながら電話口の向こうに話しかける。
「あー、ごめんなさい。なんかユーリが帰ってきてないみたいで……」
『本当か? ちょっと待っててくれ』
ガタゴトと電話口の向こうから音。早くしてとアリシアは心の中で焦るが、目の前のアンジェリカはどこか苛立っているように右足をコツコツと小さく踏み鳴らし始めている。
『……お待たせ。どうも先生の家に行っているらしい』
「え? 先生?」
アリシアは思わず驚いたような声を上げた。視界が一瞬、アンジェリカから逸れた。
『あぁ、吾妻理事長補佐代理の所に、習い事をしに行ってるとか。ったく、玉江の奴、連絡確認をサボってたな』
わかったわ、ありがとうございます。そう言って電話を切ると、アンジェリカに向き直る。
「あー、吾妻先生の所にいるみたい」
「……吾妻先生。理事長補佐代理の、あの方ですの」
あっ、と自分の発言をアリシアが後悔する間もなく、アンジェリカの眉間に皺が寄る。
「そういうことだから、大丈夫よアンジー。どうせ夕飯までには帰ってくるわ」
「……」
どこか納得していない、と言った表情のアンジェリカ。そんな彼女をアリシアはなだめようとするが、上手い単語が思いつかずに押し黙る。
「……迎えに行ってきますわ」
「えっ」
アンジェリカが霊服を解除しながら背を翻し、コツコツと足音を鳴らして部屋から出ていこうとする。アリシアは思わずその背中を見つめながら呆けていたが、部屋のドアが閉まる音で思わず我に返った。
「ま、待って! 私も、お姉ちゃんも行く!」
ハッとなって端末をポケットに押し込むと、皺の寄った服のままアンジェリカを追って駆け出す。ドアを勢いよく開けて廊下に飛び出すと、急に目の前が柔らかいものに覆われた。
「おっと」
声がする。アリシアが離れて顔を上げると、そこにはアリアンナがいた。どうやら彼女の胸部に突っ込んだらしい。小さく歯ぎしりすると、ごめんねと言う。
「どうしたのアリシア姉さん。急いじゃって」
「アンジーがユーリを迎えに行くそうよ、ついていくだけ」
そう言ってアリシアは横に逸れてアンジェリカを追いかける。アンジェリカの後姿が角の向こう、階段に消えた。
「あー、ちょうどボクもユーリ兄さん迎えに行こうかなって」
アリアンナが言う。ギョッとした表情でアリシアが振り返ると、アリアンナは苦笑いを浮かべて、小さく肩をすくめた。
「それにしたってどうする気よ。第一、咲江先生の家なんてわからないでしょうに」
「あー、ユーリ兄さんの匂いがわかるから、それでなんとなく」
ウソでしょ、とアリシアが愕然とした表情を浮かべていると、アリアンナはスタスタと歩き出す。見ると、いつもは丁寧に三つ編みに結ばれていた後ろ髪はただゴムでまとめられているだけだった。
アリアンナも、参っている。それも下手すると、アンジェリカ以上に。アリシアの顔がどんどん青くなる中、慌ててしまい二人の後を追いかけた。
「あぁもう、どうしてこうなるのよ」
「それにしても意外だなぁ、ユーリ兄さんが誰かの家に行くだなんて。一大作戦みたいだ」
「なら作戦名はオペレーション・ウェザー・ワーニング、かしら?」
呆れたようにアリシアが言うと、アリアンナがニッと笑う。その眼は笑ってはいなかったが。
「いいね、警報。気象警報だ」
「それで、なんか追いかける宛てはあるんでしょうね」
屋敷の門のところで追いついたアンジェリカの背中にアリシアが声をかけると、アンジェリカはさも当然と言った感じで振り向かずに言う。
「ユーリの霊力をたどりますわ」
信じられない、と言った表情でアリシアがアンジェリカの背中を視線で刺すが、彼女は平気な顔で鼻を鳴らす。
「こっちですわ」
そう言って自信ありげにスタスタと歩き出すアンジェリカと、彼女の後を迷いなく追うアリアンナ。そんな二人の背中を、不安げな表情でアリシアは見つめていた。
凄まじいGがかかる。視界が一瞬暗くなり、すぐに戻ってくる。天地がひっくり返り、頭上に地面が巡ってきた。インメルマンターン。追いかけたブラックオウルに引き離されまいと推力を増すが、ユーリがインメルマンターンを終える直前にブラックオウルはバレルロール。安易に加速してしまったユーリを綺麗に前方に押し出した。機関砲が咆えた。
『はい、キル』
「キル了解です……くそっ」
機関砲の雨に後ろから撃たれたと思ったら、次の瞬間にはいつものブリーフィングルームで咲江に抱きしめられていた。これでキル何回目だ? とユーリが思いつつ、肩で息をしつつあがった息を整える。
「大丈夫よ。キルまでの時間は着々と伸びているから」
「結局キルされるなら変わりないでしょう」
不貞腐れたような表情でユーリが言うが、咲江はそんなユーリの頭を後ろから優しく撫でた。
「ふふ、あまり見くびってもらっちゃ困るわ。昔取った杵柄とはいえ、そう簡単に撃墜させてなるものですか」
「大人げなくないですか? まぁ手を抜かれるよかよっぽどマシですが」
そうユーリが言うと、どこか頬を紅潮させて咲江がにっこりとほほ笑む。
やはりユーリは『当たり』だ。才能も、努力も、向上心もある。そもそも、元とは言えユニオンのトップエースである咲江に食らいつけている時点で相当なのだ。そして、一つ、また一つ翼を交差させるたびに、その腕には着々と磨きがかかっている。磨けば磨くほど輝きを際限なく増していく宝石のような才能と、磨かれることをいとわない意思に、咲江自身も深く魅せられている所は大いにあった。そうして、いつしか無意識ではあるものの、ユーリのことを単なる教官と教え子の関係以上に想っていたのだった。
あくまで、無意識ではあったが。
「さぁ、疲れは取れた? 息が整ったのなら、また飛ぶわよ」
無意識。だからこそだったのだろうか、彼女は致命的なまでに至ったそれに、気づかない。
「はい、教官」
視界が切り替わって、ユーリが飛行術式に霊力を流し込む。それはあくまで夢の中の仮想現実であり、実際の彼は霊力を咲江の術式に、論理領域に流し込んでいるに過ぎなかった。しかし、お互いの心理的距離の接近は、セオルスフィアの接近を招き、なおかつユーリの莫大な霊力の供給は、夢の中で思考と肉体をある程度切り離していたとはいえ、咲江の術式に流れ込み、短絡を起こしていた。
その結果、とも言えるだろう、結末は。
「さて、次は超低高度からの進入よ。高度と速度に注意すること」
「りょうか――」
次の瞬間、咲江の姿が『ブレ』た。
「え――きょ――な――」
視界のあらゆるものがブレ、掠れ、崩れていく。自分の思考もぼんやりと、まるで寝ている時に見る夢の様にはっきりとしなくなっていく。時間間隔が消え、視界が桃色の光一食に染め上げられて――。
「っ!」
バシン、と電気ショックを浴びたかのような衝撃で咲江は夢の仮想現実の中から叩き起こされた。目の前に桃色と、うっすら青みを帯びた銀色が火花の様に飛び散る。あまりの衝撃にユーリを膝枕してることも忘れて、大きくのけぞって後ろに倒れた。
「きゃっ!」
思わず後頭部を床にぶつける。ジンジンとした痛みと口の中に広がる鉄の味の錯覚。目の前に火花が飛び散って一瞬視界が暗転した。
「いたた……何が」
上体を起こした咲江の眼は、ボンヤリと桃色に光っている。反射的に実行していた術式回路のチェックを行うと、まるでショートでもしていたかのようにあちこちが破損していた。まさか、と思って咲江が掌を目の前に持ってくると、掌にキラキラと白く光る霜がびっしりとついていた。冷たい、と言う感覚はない。一瞬凍傷でも起こしたのかと思ったが感覚はしっかりあるためそうではなさそうだ。よく目を凝らしてみると、自分の掌から自分の物ではない霊力が染み出していた。冷気のこれは、ユーリの霊力だ。一瞬でそう気づく。
サージした。そう結論付けて、咲江はため息をついた。教え子の霊力を受け止めきれず、自分でも術式の制御が上手く行っていなかったようだ。そのせいでお互いの霊力が逆流し、術式が負荷に耐え切れず焼き切れた、という塩梅だろう。
「ユーリ君? 大丈夫?」
膝枕しているユーリに声をかける。見たところ怪我をしている様子はない。ぼんやりと桃色の霊力が身体にまとわりついているように見えるが、これは自分の霊力だ、と咲江はすぐに気が付いた。頬をぱしぱしと軽くたたいてユーリを起こそうとする。意識が無事かどうかも重要だ。
「ううん……」
小さな声と共にユーリがゆっくりと瞼を開ける。その金色の瞳はぼんやりと輝き、どこか蕩けているようだった。
「ユーリ君起きた? 変なところはない? 動かしづらかったり、頭が痛かったりとかはある?」
まくしたてるように、だけどはっきりとユーリに尋ねる。何かしらの障害が残っていたら急いでユニオンの軍病院に運び込むつもりだった。こういう処置は一歩間違えれば後遺症が残りかねない。生憎咲江の術式は精神干渉のそれだから、外傷を及ぼす可能性は無いが、逆に精神に何らかの異常が残っていたら危険だ。
咲江が心配そうに見つめる中、ユーリが瞳を右へ、左へと動かす。ん? と咲江が違和感に気付いた瞬間、ユーリの表情が崩れる。
「ばばぶぅい」
「え?」
あぶぅ、とユーリはほとんど唸り声の様な、舌ったらずの言葉にもなっていない言葉を漏らすと、自分の右の親指をちゅうちゅうと吸い始めた。
「……あらー」




