17/Sub:"ログイン"
最近、ユーリの様子がおかしい。
そうアンジェリカが思ったのは、土曜日の朝、ユーリが横で例のフルダイブ型VRゴーグルをつけて、横になっているのを見たところであった。しかもよく見ると、一旦朝早くに出かけて飛んできた後、シャワーを浴びて横になったようだ。いつものレースのベビードール姿のアンジェリカは、隣で作務衣姿の寝ているユーリを、上体だけ起こした状態で眺めていた。
最近朝、ユーリの起きる時間が早くなっている。日が昇るギリギリに飛んで行って、朝食前に戻ってくる。それもフライトに行くだけではなく、時にはランニングに行ってもいた。
随分と、気合が入っていますのね。
思えば、一時期不安定だと思っていたらある日急にスッキリした表情になっていて、それから妙に空に関わる時間が増えた。日が沈んで完全に暗くなるギリギリまで飛んでいる日も珍しくなくなってきた。もちろん当番などはきっちりこなしてはいるが、それ以外は空のことを考えっぱなしと言わんばかりの状況だった。
最後にしっかり会話したの、いつだったかしら。
横でVRに飛び込んでいるユーリの顔を眺める。顔に張り付いた黒いVR機器の表面に、電子回路とも曼荼羅とも見えるような模様が、淡く虹色の輪郭を描いて輝いている。
「おっはよー……って何してんの」
「お姉さま」
ノックと共にドアが開かれたと思ったら、ベッドを見つめる位置にアリシアが立っていた。寝間着であり部屋着である赤いジャージを着ている。こちらのことを珍しい物でも見るような目で見てくる。
「珍しいじゃない、ユーリが『それ』してるの」
アリシアがベッドのそばに歩いてきて、ベッドに腰掛けながら言った。彼女の軽い身体に合わせてベッドが柔らかく沈んで、シーツに薄く皺が寄った。彼女はVRにダイブしているユーリの前髪をそっと指ですくと、額を軽く撫でる。さらさらとした髪が水の様に指の間を流れていき、くすぐったかった。
「最近、特にここ一週間はこんな感じですわ」
「へぇ……」
アンジェリカが言うのに、アリシアが怪訝な表情で返す。アリシアはじっとユーリを細めで見ていた。
よし、と彼女が小さく言うと、立ち上がった。とてとてと部屋から出ていくのをアンジェリカが見送っていくと、部屋を出てすぐに彼女は戻ってきた。手にはユーリと同じ、幻術を用いたフルダイブ式VR機器のゴーグルが握られている。
「ほら、つけるわよアンジー」
「つけるって、今からですの?」
「覗いてやろうじゃない」
そう言ってどこかうきうきした様子でゴーグルをつけ、ユーリの隣に寝転がるアリシア。アンジェリカは小さくため息をつくと、軽く肩をすくめさせてベッドから起き上がって、タンスの上に置いてあるVR機器を手に取った。
「あれ? なにしてるの?」
アンジェリカがユーリの横に寝そべろうとしたときに、ドアを開けてアリアンナが部屋に入ってきた。裸にワイシャツ一枚で、普段のトレードマークの三つ編みは解いてロングヘアをたなびかせている。
「ユーリが最近ゲームにお熱な様なので、覗いてやるところですわ」
「何それ、面白そう!」
アリアンナが軽やかに部屋から出ていくと、トットットットッと階段を駆け上がる音が小さく部屋に響く。しばらくして、同じように階段を駆け下りてくる音。急いでいる割に足音が静かなのが彼女らしい。
「お待たせ! ボクも行く!」
そう言ってアリアンナはVR機器片手にベッドに這い上がってくる。だが彼女の視線の先にはアンジェリカがいた。
「言っておきますけど、譲りませんわ」
アンジェリカが彼女の視線に対してきっぱりと言う。するとアリアンナは残念そうにちぇーと口を尖らせた。
「せっかく寝てるユーリにぃにいろいろできると思ったのに」
「わたくしの眼が黒いうちはさせませんわ」
「赤いうちの間違いでしょ」
ユーリの横でゴーグルをつけて寝そべっていたアリシアが言う。ギョッとして二人でアリシアの方を見ると、ゴーグルをずらしながら彼女がじっとりとした目つきで二人を見ていた。
「早くしなさい、ユーリ、起きちゃうわよ?」
「それもそうですわね」
そう言うと、アンジェリカもゴーグルをつけてユーリの横に寝そべった。
「うーん、じゃあボクは、っと……」
しばし状況を見渡していたアリアンナは、ふと思いついたようにユーリの足に手をかけた。軽く脚を開かせ、その間に仰向けに寝そべる。丁度下腹部を枕にするようにして寝そべった。VRゴーグルをつけているユーリが小さく眉をひそめた。
「うん、これで良し」
そうしてアリアンナはVRゴーグルをつける。起動すると、真っ暗な視界の、目の前にOSの起動画面。起動が終わると、目の前にゴーグルの向こうの景色――まるでゴーグルが外されたように錯覚する――が広がった。その視界にいくつかのアイコンと電源スイッチが並ぶ起動画面。彼女はゴーグルの表面に触れるように手を伸ばし、起動アイコンに触れた。『起動しますか?』の確認画面で、『はい』を選択。周囲は大丈夫か、安定した姿勢か、等の注意事項が流れる中、彼女はゆっくり胸のやや下で両手を組んだ。
目の前に出るカウントダウン。5、4、3、2、1、と数字が減っていき、ゼロになった瞬間、彼女の視界は一気に真っ白になった。同時に身体の感覚がなくなる。いや、厳密には感覚はあるのだが、感じる感覚としてではなく、情報としてそう言う感覚があるような、そんな不思議な感覚。夢のそれに近い。
真っ白な視界が広がる中、一面の白が形を成してくる。ホットミルクのカップに間違えて沈めてしまった白いスプーンを引き上げたような、そんなイメージ。無秩序な白に統一性が産まれ、規則性を見出していく。
そうしてできたのは、真っ白な部屋。目の前には同じく真っ白な丸テーブルと、規則正しく九〇度ごとに並べられた、背もたれ付きの無機質な椅子。これが姉妹たちのホーム、言うなればホーム画面やロビーの様なものだった。
ポコン、と軽やかな音と共に目の前にメッセージウィンドウが浮かび上がる。
『ようこそ アデーラ・ペイルブラッド さん』
そうしていると、ポコン、ポコン、とメッセージウィンドウが流れる。
『親しいフレンド キラーホエール・ヒートマンス さん がアクセスをリクエストしています』
『親しいフレンド ポラリア・ゾディアック さん がアクセスをリクエストしています』
リクエストを承認しますか? の下のY/Nに『はい』を選択した。
仰々しい虹色のエフェクトがアリアンナの右前と左前に柱の様に現れ、それが収まったころにはそこには霊服を着たアンジェリカとアリシアが立っていた。アリシアが『キラーホエール・ヒートマンスさん』で、アンジェリカが『ポラリア・ゾディアックさん』だ。
「さて、無事にログインできたわね」
アリシアが具合を確かめるように右手を握ったり開いたりしている。数回すると、満足したのかすう、と虚空を撫でた。彼女の目の前にウィンドウが表示され、その表面を撫でるようにいじる。『現在オンラインのフレンド』から、『アレクセイ・ローンフルフさん』を選択。『フレンドのゲームにパーティーで参加する』を選んで触れた。
「ユーリにぃ、気づくかなぁ」
アリアンナが腰に手を当てて言った。
「気づくわよ、だって」
そう言った次の瞬間、アリアンナの目の前に『パーティーのホストと一緒に参加しますか?』の表示。
「あいつ、私たちは自動認証設定にしてるもの」
アリアンナは、苦笑いを浮かべながら『はい』に触れた。




