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青春と幻想のストラトポーズ  作者: 失木 各人
02/Chapter:"母性の人"
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14/Sub:"翼の記憶"

「背負うものが増えすぎると飛べなくなるってのは、空も地上も変わらないのね」

「背負ってでも飛ぶべきものも、あると思います」


 咲江が言うのに、思わず言ってしまう。すると、少し驚いたような表情を浮かべて咲江はユーリを見下ろしてきた。


「……それもそうね。いつだって、パイロットは何かを背負って飛んでいたのに」


 忘れちゃった、かな。そう言って咲江は再び空を見上げる。空はどこまでも青く、頭上に横たわっていた。

 そうして無言でしばらく過ごしていると、再び眠気がせり上がってくる。それに気づくと、あら、と咲江が小さくこぼした。


「そうだ、ユーリくん、貴方の飛ぶ姿、折角だから先生に見せて?」


 そう言って彼女がユーリの額に触れると、途端に眠気が増してくる。引きずり込まれるようにして眠りに落ちて行く中、こちらのことを優しい表情で見下ろす咲江が目に入った。

 大丈夫よ、夢の中で逢いましょう?

 そう聞こえた気がして、直後吸い込まれるようにユーリの意識は眠りに落ちた。

 ――遠くで、ジェットエンジンの音が聞こえる。

 頬を撫でる風の感触。鼻腔を突くジェットエンジンの燃料の着臭された臭い。視界が戻ってくる。ミルクの中にいるように乳白色の視界だが、足元が平らな地面だということだけははっきりとわかった。風が吹いた。ふわりと温かく、ジェット燃料の臭いに混じって、どこか甘い匂いの乗った風。空を向くと、乳白色の向こうに青い空が見えた。外なのだろうか。

 遠くから遠雷の様な音が響いてくる。音の来た方をとっさに向くと、音はどんどんと近づいてくるが、そちらの方向から目を離せない。そうしている間に音はどんどん大きくなってくる。低バイパスターボファンエンジンの音だ。そう気づいた瞬間、影が頭上をとびぬけた。

 のっぺりと質感のない表面。鶴首の様に傾いた機首からつながる、滑らかに覆われたセンサーキャノピー。流れるように続く胴体の腹部には、極超音速の気流の中でも、発生する衝撃波によるコンプレッサーストールを回避するための、『ひれ』のついた歪んだ五角形のエアインテーク。ステルス性と空力を両立させた、人工筋肉で空力的に最適な位置に変形するクリップドデルタ翼。失速中でも機動を可能にした、二枚貝状のベクタードノズルと、内側に傾いた台形の垂直尾翼には星空に羽ばたく黒いフクロウのエンブレム。

 ユニオン軍の主力戦闘機、F/A―M28ブラックオウルが、ユーリのすぐ頭上をとびぬけた。手を伸ばせば届きそうなほどの超低空フライパス。一瞬遅れて、翼が起こした後方乱気流が周囲をかき乱す。爆風とでも呼べそうなほどの風が吹き荒れる中、周囲を覆っていた霧が左右に切り裂かれるようにして消えていく。霧が吹き消え、目の前に景色と空が広がっていく。白く濁っていない、どこまでも透き通った青空が、まるで霧のカーテンが開かれるようにして目の前に広がっていった。そうして霧が吹き消えると、次第に自分が立っていた場所がようやくわかってきた。

 一面の平らな、アスファルトに覆われた地面。規則的に白や黄色の線が引かれ、網目の様に走っている。橋の方には角ばった管制塔が立ち、その横に一列に並んだハンガー。

 空軍基地だ。そうユーリが気づくと、背後からコツ、コツ、と足音が聞こえた。思わず振り向くと、その人物に呆気にとられる。

 そこにいたのは咲江だった。しかし恰好が異様だ。一言で言えば、やや紫がかった漆黒のウェディングドレス。ただ、普通のウェディングドレスよりも肌にぴっちりと張り付いていて、彼女の女性的なラインを浮き彫りにしている。脇腹の刺繍から、まるで咲いた花びらの様に分かたれたスカートは滑らかに後ろに流れ、アンジェリカの霊服のドレスの様にコックステールとなっている。しかし前方は完全に開かれ、黒いインナーの様などこか光沢のあるボディストッキングの上に、どこか競泳水着やバニースーツの様にも見えるハイレッグの胴体部とそのラインを露わにしている。黒いヴェールとヒールの靴には、黒いバラの飾り。そして見え隠れする黒く光沢のある細長い尾と、側頭部から天を突いて生えた角、二対のコウモリの翼が、ウェディングドレスという本来神聖なはずの服と正反対の印象を与えてくる。

 咲江が、彼女の霊服を着て、そこにたたずんでいた。

 妖しく、どこか淫靡な雰囲気を漂わせる彼女からユーリが目を離せないでいると、彼女は気にもせずにユーリに話しかけてきた。


「どう? 感覚におかしい所はない?」


 ハッとしたようにユーリは手を握ったり開いたりしてみる。いつの間にかユーリの姿は学生服から、先日アンジェリカ達と日食を追いかけたときに着た、プロトタイプのフライトスーツに変化していた。いつも着ているよりも心なし白いそれは、着たときの感触までそっくりだ。


「感覚は問題ありません」ユーリは困惑した表情で咲江に尋ねる。「先生、これは一体」

「端的に言うならば、これは夢よ」


 咲江は周囲を見渡しながら言う。その表情はどこか懐かし気だ。

 夢。夢にしてはやけにリアルだ。通常夢と言うのは自分でコントロールのできない、無意識が形を成したようなものだ。脈略もなく景色や登場人物が変化し、不連続である。だが今見ているのが夢だとすると、まるでVR機器でもつけているようだ。


「正確には、術式で処理した仮想現実を、夢としてあなたの脳に投影している、という表現の方が近いかしら」

「それって、幻術を使ったVRの……」

「あら、知ってたのね。あれの元になった技術、と言うべきかしら。これは」


 そう言う咲江の角が、淡く桃色に光る。周囲の景色が変化し、夕方、夜と時間が変わる。煌々と誘導路や滑走路のランプが輝く景色が、色とりどりの光のカクテルとなってエプロンに立つ二人を闇夜の中に照らした。その光景に、思わずユーリは見惚れた。

 それにしても、とユーリは思う。この幻術の出力は異常だ。以前、幻術を用いたフルダイブ型のVR機器を使用した時は感覚へのフィードバックが荒く、どこか『夢』の中に、『幻』を見ている、と感覚的に分かるようなものだった。それが咲江の見せている夢は、まるで現実そのもののように感じる。肌を撫でる風が起こした乱流の渦一つ一つまで感じられるほど高解像度のこの幻術は、そんじょそこらの幻術使いでは無理だろう。

 ふと、ユーリは咲江の方を向いた。彼女はユーリと同じように光景に見とれていた。彼女の横顔、角、尾、コウモリの翼が目に入る。


「先生は」


 ユーリが咲江に話しかけると、なあに? と彼女は彼の方を向いた。


「先生は、夢魔なんですか?」


 そうユーリが尋ねると、うーん、と少し困ったような表情を彼女は浮かべる。


「夢魔、でもある、って感じかしら」

「……?」


 ユーリが首をかしげていると、咲江は説明を続けた。


「私、自然発生なの」

「それって」


 自然発生型の霊的存在、ユーリが思わず父親から習ったことを思い出した。アンジェリカの曽祖父や玉江さん、ユーリの父の母親、そして母親の祖父がそうだったと聞く。ユーリや咲江、アンジェリカなどの、『ホモ・サピエンスではない人間』『おおむね、ヒト』の存在は、はじめは人の認識により発生する。つまり、人が『こういう存在が存在する』という認識を持ち、それが広まることで、文化や神話といったミームにより、指向性を持った霊力が『こういう存在』を作り上げて認識と世界のずれを埋めるのだ。そうしてその存在が自意識を得た瞬間、自らが自らを認識することによりその存在は固定化される。

 しかし、そういう存在は、得てして認識によりその存在が揺らぐことも多い。神の、それも多神教の神なんていい例だ。存在を忘れられた瞬間、そこに残るのは『一人分』の存在か、消滅のどちらかだ。

 だからこそ、咲江が自然発生で、これほどの力を持っているということは周囲の認識による付加ではなく、自己の確立の後に、彼女が自分で積み上げてきた歴史の重さ故、と言うことになる。その事実にユーリは背筋にうすら寒いものと、それ以上に尊敬の、敬愛の念を覚えた。


「もう400年も前かしら。ある時焼けた教会の中でふっ、と目が覚めたら、その瞬間からこの世界に存在した。体験した覚えのない知識だけの記憶が、私がどういう存在なのか、って言うのを語っていた」


 周囲の景色が変わる。地平線から日が昇って、空が黒から橙の境界を経て、再び青空が戻ってくる。太陽が、真上から二人を照らした。


「長いこと生きて、あちこちを放浪して、いろんなものを見て。それである時聞いたの、人が空を飛ぶようになったって」


 咲江の声はどこか熱と湿り気を帯びていて、まるで恋をする乙女の様な、そんな雰囲気を漂わせていた。そんな彼女を、ただユーリは見つめる。


「私も自分で飛ぶことはできたけど、それもせいぜい小鳥ぐらいだったから。どこまで高く上がれるのかなって思って、自分の存在に抗ってみたくなって――気が付いたら、操縦桿を握ってた」


 遠くから遠雷の様な音が響いてくる。音の方を見上げると、ブラックオウルのシルエットが青空に小さく浮かんでいた。翼端から細い、糸のような白い飛行機雲をたなびかせながら弧を描いて頭上をとびぬける。ブラックオウルの二基の低バイパス比ターボファンエンジンの響かせる音が、平らに広がる空軍基地に残響の様に響き渡り、空に吸い込まれていく。


「操縦桿を握って見えた景色は、それまでの想像もつかないような景色で、どこまでも美しくて――恐ろしかった」


 空の色が抜けていく。空気中から余計な散乱を引き起こすものが消えて行って、空が本来の色を取り戻していく。


「どこまでも続く、底の抜けたダークブルー。あの中を飛んでいるとき、自分は今生きたまま死の世界にいるんだ、って。そんな気分がした」

「……」


 彼女の語る空の感覚。それは決してユーリも他人ごとではなかった。高度を上げるたびに感じる、この世ならざる領域へと踏み込む感覚。


「だから成層圏を飛べる、ってあなたのことを聞いたときに、少し興味が湧いたの。あなたはどんな飛び方をするんだろう、って。どんなものを見るんだろう、って」


 どこか自分に言い聞かせるように、自分で得た答えを再確認するかのように咲江はゆっくりと言葉を口にする。その瞳は、どこか妖しく桃色に輝いていた。彼女の頭上に、細い、糸のような、桃色に輝くホロウ・ニンバスが浮かぶ。


「ユーリ君、理解したいのよ、貴方のことを」


 次の瞬間ユーリの四肢は光に包まれ、そこには一人の少年ではなく、空を舞う竜の姿があった。


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