10/Sub:"夢/後"
群青の空。平原の様に水平線まで続く雲海を、黒い四つの影が駆けていく。
「ライトキーパーより各隊へ。タリー、レーダーコンタクト、ボギーが4、いや5。高度350、方位2―5―0、速力マッハ0.8。コンタクトまで120秒」
「ステラ1からライトキーパーへ。ボギー4
5、了解。マスターアームオン。ステラ2、3は、長距離ミサイル準備。合図と同時に発射。ステラ4はESMの準備を。おそらく三機は仕留めきれない。各機、格闘戦の準備を」
「ステラ2、ウィルコ」
「ステラ3、ウィルコ」
「ステラ4、ウィルコ。ESMレディ」
「こちらライトキーパー、ステラ1、コンタクトまで一五秒」
「ステラ1、シーカーオープン……ライフル」
機体の胴体下部ウェポンポッドが開き、AAM―35“サンダーバード”長距離空対空ミサイルが二機から一斉に四発、空へ向けて放り出される。ミサイルのCPUには機体の複合センサーからの情報がインプットされ、機体から放り出されて一秒も経たないうちにロケットモーターに点火。一気にマッハ4にまで加速して目標へ突き進む。ステルス性を意識した角ばった、断面が非点対称な形状はロックオンされた対象のミサイルアラートを直前まで鳴らさせない意図を持つ。ミサイルはパッシブモードで空中を突き進み、着弾直前に内部のフェーズドアレイレーダーをアクティブ。強烈な電波のパルスを放って標的のレーダーエコーを探し出す。同時にAWACSライトキーパーが指向性のレーダービームを発射、対象を走査する。その結果、相手のステルス機の低RCSを破って、ミサイルシーカーがレーダーエコーを補足。推力偏向操舵が動いて、燃焼の続くロケットモーターの推力を強引に捻じ曲げ、ミサイルが対象に向かって急旋回を行う。同時に被ロックオン機のコクピット内にはけたたましいミサイルアラートが鳴り響き、10Gをかけた急旋回を行った。旋回を行いながら、チャフとフレアをディスペンサーから空に向かってぶちまけた。
ミサイルが突き刺さった。五機のボギーのうち、三機はチャフの雲の影に隠れてミサイルを回避した。しかし残りの二機は回避が間に合わず、ミサイルの近接信管が作動する。弾頭に込められた十数キロの電子励起爆薬が起爆。大量の破片を極超音速でぶちまけた。機体を大量の破片が貫き、一瞬で二機は文字通り蜂の巣の様に穴だらけになる。エンジンや燃料系統が破損し、引火。内部から炎が機体を食い破った。空に赤い花が咲き、大小さまざまな破片が黒い雲の糸を引きながら白い雲海の下へと消えていく。
残った三機――エンテ型のカナード付きデルタ翼で、フェリス迷彩を施したSu60――はすぐさま反撃体制に移る。大出力の機首レーダーで捕えた三機の位置情報をミサイルシーカーに入力。同時にアフターバーナーに点火。まばゆい高温の炎をたなびかせながら、一気に増速。目標への距離を一気に詰めようとする。同時に相手の三機は散開。アークフレアをばらまきながら急旋回し、同時にステラ4がESMを起動。ミサイルに対して強烈なジャミングをかけた。パッシブモードで目標を見失ったミサイルは内蔵されたフェーズドアレイレーダーをもって、自ら目標を探し出すも、ステラ4のESMによりレーダーの画像に大量のノイズが混ざる。目標をクリアに補足できずに迷走するミサイルを、三機は難なく回避した。
三機のSu60は雲海のすぐ上を飛び、雲海のクラウドスキャッターのレーダーエコーに紛れながら三機に急速に接近する。ソニックブームが雲海を叩いた。レーダー画面には、三機の敵機。
「――ステラ1、エンゲージ」
雲海を閃光が切り裂いた。まるで水中の鯱が海鳥を襲うかの如く、雲海下から大気を貫いて飛翔してきた極超音速の砲弾が、青いイオンの弾跡を引きながらSu60のコクピットを下から貫いた。近接信管すら起動しないクリーンヒット。まるでホワイトボードの絵をクリーナーで拭きとったかのように、Su60の機首が文字通り消え去る。一瞬、機体は自分の首が無くなったことを認識できないかの様に直進した後、一瞬でバランスを崩して強烈な空気抵抗に晒され、紅い炎と黒煙をまき散らしながら空中分解した。
咄嗟の出来事に一瞬で二機に減ったSu60が反応する。即座に散開。片方は急上昇、片方は9Gをかけて左旋回。攻撃に対する緊急回避を実施した。
それは、雲海を貫いて群青の空に舞い上がった。
のっぺりと質感のない表面。角ばって、鋭くとがった、鶴首の様に緩やかに斜め下を向いた機首。キャノピーはなく、機首は黒い装甲板で覆われていて、スリット状のセンサーが機首全体にちりばめられ、不気味に太陽光をギラギラと反射している。流れるように続く胴体は、ステルス性を意識しつつも空力を求めた角ばった、先端がギザギザとノコギリ状になった異様な形のクリップドデルタ翼。ステルス性を意識した二枚貝状のベクタードノズルからは青く透明な炎が瞬き、内側に傾いた台形の垂直尾翼には星空に羽ばたく黒いフクロウのエンブレム。
ユニオンの主力戦闘機、F/A―M28“ブラックオウル”が、残ったSu60に襲い掛かった。一瞬で空に高く上昇を試みていたSu60に照準を合わせる。
雲海のすぐ上を滑るように飛んでいたSu60は、雲海の上に飛び出したブラックオウルを視認し、目標に向けて急旋回を行う。ブラックオウルは、そのまま上昇。急上昇し、速度と高度を入れ替えたSu60に襲い掛かった。距離を一瞬で詰め、シーカーオープン、フォックスツー。ウェポンベイが開き、短距離空対空ミサイルが空中にリリースされる。機首の複合センサーの情報は発射前にミサイルに入力され、ミサイルはその情報に従って目標へ向けて飛翔する。
Su60のコクピット内にミサイルアラートが鳴った。しかし急激なピッチアップ方向への急旋回で失われた速度を、急上昇により回復できないでいた機は、とっさに180度ロール。推力を最大にしたままピッチアップ。ダイブして速度を稼ごうとする。同時にフレアを射出するものの、その判断は少々遅かった。ミサイルはフレアに反応したものの、即座に近接信管が作動、空中で大量の破片を高速でばらまき、回避機動を行っていたSu60の尾翼と左エンジンに破片が飛び込んだ。エンジンが火を噴き、コントロールを失う。キャノピーが火を噴いた。明後日の方に飛んでいくキャノピーと、パイロットを縛り付けるコクピットシート。即座にベイルアウトしたらしい。制御バランスを失った機体は、速度を落としながらくるくると反時計回りにきりもみに陥って降下していく。
残ったSu60がブラックオウルに襲い掛かった。シーカーに目標をとらえ、赤外線誘導ミサイルを発射する。ブラックオウルの反応は一瞬だった。ミサイルを発射した後、180度ロールしてもう一機のSu60を視界にとらえていたステラ1は、ミサイルアラートが鳴るより早く敵機が放ったミサイルの接近に気付く。スロットルレバーを押し込み、一旦引っかかったところで小さく左にずらしてさらに力を込めて押し込む。カチリ、と小さく何かが嵌る音と同時に、二機のエンジンのオーグメンター内に燃料が供給され、火が灯る。ドン、と背中から蹴られたような衝撃と、シートに押し付けられる強烈な加速G。機体が弾かれたように加速し、操縦桿を握りしめて機体を、炎を上げて墜落中のSu60に向かわせる。
ブラックオウルは滑り込むようにしてSu60の横に並び、そしてまるで高速道路で前方を走っていた車を追い越すかのように前に陣取った。熱源を追いかけていたミサイルの標的が、変わる。
主を失ったSu60にミサイルが突き刺さった。半壊していた機体が今度こそ完膚なきまでに破片の雨に食い破られ、空中で爆炎の炎をまき散らしながら小さな破片に分かれ、黒煙をたなびかせながら雲海へと落ちて行く。攻撃の外れたSu60は、再度攻撃位置につこうと旋回、弧を描きながら加速していくブラックオウルを捉えようとする。
ブラックオウルはオーグメンターを停止させ、機体を降下させる。スプリットSを描きながら残ったSu60と同じ高さまで降りてきた。加速を続けるSu60との距離が迫る。ブラックオウルはアークフレアを発射。機体下部の放電索からアーク放電が行われ、空に大量の球電が瞬いてミサイルシーカーの眼を焼く。Su60のHMDでは、ロックオンカーソルがふらふらと迷走し、ブラックオウルに食いつかない。そうしているうちに急旋回され、再びシーカーの外にブラックオウルが外れる。Su60はブラックオウルの後方を占有しているはずなのに、決定打が決まらない。シザーズ機動を繰り返した結果、お互いの速度がどんどん落ちて行く。ブラックオウルが急上昇。Su60もそのあとを追う。
――閃光が、パイロットの眼を貫いた。
一瞬、何の光かと混乱し、それがすぐに太陽だと気付く。成層圏の、大気で減衰していない太陽光を見たパイロットの網膜は強烈な光に焼かれ、一瞬でブラックアウトする。
そして、パイロットはその光の中に、フクロウの影を見た。
空中で上下逆さになったブラックオウル。ステラ1は、Su60が太陽に目を焼かれた瞬間、急激にピッチアップした。同時にブラックオウルはその翼を広げる。人工筋肉で出来た翼は伸び、広がり、後退位置で小さくすぼまっていたそれから急に、まるで本物のフクロウの翼の様に大きく横に広がった。ノコギリ状に分かれていた翼の先端が分かれ、一つ一つが機体のフライトコントロールシステムの演算によって最適な空力へと変形し、風を切る。
翼から空気が剥がれ、揚力という魔法が消えて重力と慣性の鎖がブラックオウルに絡みつく。だが二枚のベクタードノズル、そして人工筋肉製の可変翼は失速下においても機体を完全に制御し、機体は進路ベクトルを維持したまま滑らかに、そして素早く空中で後方に半回転した。太陽をバックに、逆さに見下ろすようにSu60を捉える。ヘルメット内のHMDに投影された、仮想全天周モニタに表示された照準に、一瞬で目標を収める。
胴体下部の武装がゆっくりと――実際は瞬きする間もない出来事であったが――口を開いた。巨大な、角ばった紡錘形の、馬上槍の様な武装が中央から綺麗に裂けて縦に小さく開く様子は、まるで肉食獣が顎を開くそれのようだった。
ACW―03ELG“アスカロン”多目的電磁投射砲が、その砲身に淡い紫色の光を宿したのが、Su60のパイロットが最期に見た光景だった。
電磁投射砲から対空目標用のHE弾が、秒速40キロという猛烈な速度で発射された。数百メートルと離れていないところから放たれたそれは、Su60の胴体の中央を寸分たがわず貫く。ほぼ真正面、やや斜め上から放たれた投射体は、斜め上ほぼ真正面から着弾。弾体の運動エネルギーは機体の構造体を食い破り、破壊を伝播させていく。その結果、扁平な形状のSu60の機体は、中央にそって真っ二つに引き裂かれた。泣き別れになった左半分と右半分は、断面から炎を吹き出しながら慣性の法則に従って上昇。同時に、空力を受けてくるくると不規則に回転。放物線を描きながら上昇し、その上昇も止まったころ、空中で炎の花を咲かせた。
「ピクチャークリア。ステラ1、帰投します」
失速姿勢から難なく回復し、水平飛行に戻ったブラックオウルのコクピット内でステラ1が静かに無線機に告げる。翼がすぼまり、後退位置に収まると、エンジンから青い炎を瞬かせて黒いフクロウは水平線の彼方へと消えていった。
後には、静かに、白くどこまでも続く雲海と、深い、底の抜けたような群青の空。それを、無機質に輝く太陽が延々と照らし続けていた。
――懐かしい、夢を見たわね。
咲江はベッドの上でゆっくりと瞳を開けた。ステラ1。懐かしい呼び名だ。
ゆっくりとベッドから体を起こすと、カーテンの隙間から月光が差し込んでいるのに気づく。まだ夜中のようだ。枕元の情報端末を確認すると、時刻は午前二時三〇分。妙な時間に起きてしまった。
ベッドから降りる彼女は、裸にワイシャツ一枚のみを着ていた。皺の寄った、白いシャツを豊かな胸部が下から押し上げている。誰に見られることもない生活。もう寂しさにも、慣れたものだった。
窓辺まで歩いていき、カーテンを開ける。雲一つない夜空と、そこに浮かぶ、半分に欠けた上弦の月。ちりばめられた星は時折かすかに瞬いて、月の光に塗りつぶされてしまいそうな淡い光を夜空に輝かせている。
久々に、昔のこと思い出しちゃった、か。
小さく息をつくと、吐息が窓ガラスを曇らせ、すぐに消える。
夢の余韻はまだ身体に深くしみわたり、記憶の中で身体を押さえつけていたGや、マスクから流れてくる生暖かい酸素の感触まで、今体験したばかりの様にはっきりと思い出すことができた。もう十年以上前の記憶。今更、どうして。
思い出すのは、昼間に会った竜の少年。穂高ユーリと言ったか。彼は、自分と同じ匂いがした。群青の空を飛ぶ、『あちら側』の存在。立ち振る舞いや観察眼でわかる、彼は良い航空士だ。
彼に触発でもされたのか? 空を降りて、ずっと経った今更?
彼女の胸の奥に小さくちりり、とした感情が浮かぶ。そして同時に腹の底から上がってきたのは、マグマの様な、熱い、情欲にも似た衝動。
もっと、彼と話をしてみたい。
もっと、彼がどんなものを見ているか聞いてみたい。
もっと、彼を知りたい。
好奇心か、はたまた、恋慕ともとれるような感情。長らく感じたことのないその感情に、咲江の頬に小さく朱が差す。
――何考えてるの咲江、相手は生徒よ!?
つかつかとベッドに戻り、シーツで身体をくるむようにして布団にもぐりこむ。小さく甘いと息が漏れ、再びゆっくりと眠りに墜ちていく。
瞼を閉じたその暗闇の中に、銀色の閃光が走った気がした。




