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青春と幻想のストラトポーズ  作者: 失木 各人
02/Chapter:"母性の人"
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08/Sub:"コネクテッド"

 夕飯の買い物はあっという間に終わる。肉売り場では鶏肉が半額になっていたので、結果夕飯はタンドリーチキンになった。シーズニングをまぶしてグリルで焼けば、香ばしい匂いが台所に漂うおことになるだろう。二人はスーパーを出ると、屋敷に向かって歩き始める。買ったものを入れたバックは、ユーリが持った。


「そう言えばユーリにぃ、ちょっと気になってたんだけどさ」アリアンナが鼻をひくつかせながら言った。「なんか、甘い()()みたいなのしない?」

「甘い()()?」


 そうしてユーリが腕を鼻に近づけて嗅ぐが、特に変わった匂いはしない。わからない、とユーリがアリアンナに言うと、アリアンナは怪訝な表情を浮かべた。


「そうかなぁ? なんか、ユーリにぃの成層圏の匂いに混じって、ドロッとしたような甘い臭いが混ざってる気がするんだけど……」


 そうしてアリアンナは右隣を歩くユーリの頭髪に鼻を近づける。何してんだこの義妹は、とユーリは思ったが、今更なので黙って嗅がれるのに身を任せた。


「うん、やっぱりなんか違う臭いがする。誰かと会ってた?」


 会っていた? そう直球に聞かれてユーリは小さく目を細めた。犬でもあるまいし、匂いでそこまでわかるものなのか?


「何人かとはしばらく話をしてたけど、そんな匂いする?」

「ユーリにぃが?」


 話してた。そうユーリが言った途端にアリアンナの眼が丸く見開かれる。ありえない物を見た、とでも言わんばかりの表情だった。彼女はしばし驚いたような表情を浮かべていたが、すぐに落ち着いた。


「へぇ……珍しいね」

「それは僕も思ってる。他人と事務的なこと以外を話したのは、なんというか……」


 二人は商店街を歩く。商店街のアーケードの天井は汚れた樹脂で、その先のスカイブルーっが濁って見えた。


「……なんというか、新鮮だったな」

「新鮮、かぁ」


 ユーリの言葉に意外そうな表情を再び浮かべるアリアンナ。商店街を抜けて、横断歩道に。信号は赤だった。歩道の真ん中で立ち止まって、信号を待つ。


「それで、会話してどうだったの? ユーリにぃとしては」


 アリアンナがユーリに尋ねる。彼女の顔には、どこか複雑そうな表情が浮かんでいた。


「どうって……別に……あぁ、でも」


 そこまで言ったところで、ユーリの脳裏に咲江のことが思い浮かぶ。思いがけず出くわした、自分と同じ側の存在。彼女との会話には得るものはあったし、何よりも、他人と会話していて楽しい、と久々に感じた気がした。


「少しだけ、地上の広さを感じた気がする」

「……そう」


 信号機の色が、赤から青へ変わる。屋敷を目指して、二人は歩き出した。

 商店街から屋敷まではあっという間だった。玄関を開けてホールに入ると、誰も帰ってきていない、静かな屋敷がただ広がっていた。


「じゃあボク、部屋にいるね。ユーリにぃは?」


 玄関で部屋履きに履き替えながらアリアンナが言った。玄関脇の靴箱に靴を押し込む。ユーリは持っていた、夕飯の材料が入ったカバンを掲げると、言う。


「僕は夕飯の下ごしらえをしてくる。そうしたら――まぁ、フライトにでも行くよ」

「はいはーい、いつものね。じゃあまた後で」


 アリアンナが後ろ手に手をひらひらと振って二階に上がっていくのを見送りつつ、ユーリは食堂からキッチンへと歩いて行った。キッチンに入ると、調理台の上に買ってきたものを並べていった。それらを一つ一つ丁寧に仕分け、夕飯の準備に必要な下ごしらえをしていく。


「さて、と」


 一通り下ごしらえが済んだところで、ユーリはスパイスの棚から小さな袋を取り出した。タンドリーチキンのシーズニングを鶏肉にもみ込んで、ラップに包んで冷蔵庫に放り込む。これで準備は完了だ。何の気なしにシーズニングまみれの手を嗅いでみると、シーズニングのスパイシーな香りが鼻を刺激した。

 手をよく洗って、キッチンを出る。真っすぐ部屋に向かうと、鞄を部屋の隅に置いて制服を脱ぎだす。上着とズボンを同じハンガーにかけて、消臭剤を振りかけてからハンガースタンドに吊るした。クローゼットを開けて、中から取り出すのは、フライトスーツの入ったケース。

 服を脱いで、下着一枚だけになったユーリはフライトスーツを着込む。ハーネスを調整して、身体にフィットさせる。電子航空免許をセットし、フライトに必要なシステムを起動する。オールグリーン。

 彼の身体からぶわりと白い霊力が舞った。一瞬で人間形態から竜人形態になった彼は、フライトスーツの調子を確かめるように右へ、左へと上体を捻った。問題なし。

 部屋から出る。翼の様子を確かめるように少し伸ばしたり縮こまらせたりしながら、彼は階段を降りてホールに向かう。玄関を出ると、頭上に広がるのはいっぱいのスカイブルー。

 玄関を閉めて、鍵をかける。鍵をフライトスーツの収納ユニット――頑丈なポケットだ――に放り込んで、飛行術式を起動した。彼の身体からドラゴンブレスが舞い、翼を光で包んで飛行術式がブートアップする。低い音が次第に高音になっていった。

 ユーリは屋敷を出ると、道路に出る。この時間、車の通りはほとんどなかった。道路の中央に引かれた白い破線は、滑走路の様に見えなくもない。ユーリはその真ん中で、クラウチングスタートの姿勢を取った。

 飛行術式への霊力流量が一気に増加した。甲高い音を響かせて翼の後端からダイヤモンドコーンを描いて噴射光が伸びる。ぐん、と彼の身体が前に押しやられ、同時に地面を蹴って一気に加速する。翼が大気を掴む。重力の鎖が解かれ、ユーリの身体が浮き、そして空に向かって投げ出された。翼が減圧雲をヴェールの様に纏い、ユーリは一気に空に向かって落ちて行く。

 ユーリは急上昇。推力に物を言わせてハイレートクライム。一気に高度を稼ぐ。この時間に空いている高度帯を思い出し、その高度に向かって空を駆け上っていく。高度計の表示が目まぐるしく動く。1,000フィート、2,000フィート、3,000フィート。5,000フィートを過ぎると、最早同じフライトレベルを飛行している存在はいない。180度ロールし、ピッチアップ。体軸を水平にしてロール、水平飛行に移った。

 モザイクの様な町の彩を眼下に見つつ、ユーリは左旋回。翼端から雲の糸を引きつつ、おおきな半円を描くようにして180度旋回を完遂した。ロール角、ピッチ角ともに自身のフライトエンベロープを把握した、完璧な旋回。高度変化はほぼない。

 ユーリは一気にピッチアップ。ぐん、と身体にかかるG。視界が一気に空色に染まり、まばらに散らばる雲の高度を抜けて、一気に上昇していく。同時に推力を増し、今や自由落下よりも早く彼の身体は空に飛び込んでいく。

 あっという間に10,000フィートを超えた。ここから先は道路で言う車道だ。車の方が優先される、と言うことを除けば、だが。

 高度がどんどん上がっていく。20,000フィート、25,000フィート。マッハ3に達し、稀薄な大気を雷鳴の様なソニックブームが揺らす。噴射光の輝きを瞬かせながら、ユーリは逆向きの流星の様に大気圏を下から上に向かって駆け上っていく。対流圏界面を突破。

 スカイブルーの空がダークブルーへと変わっていく。成層圏の空。高度50,000フィートを超える。ユーリは180度ロールし、緩やかにピッチアップ。クライムレートを緩やかに落としていく。

 高度70,000フィートに到達。緩やかなピッチアップののち、水平飛行に移行した。再び180度ロールすると、上下がもとに戻ってくる。緩やかに弧を描く、青く輝く地平線と、暗く横たわる群青の空。その境界を音速の数倍の速度でとびぬける。この高度の大気の薄さだと、対流圏の濃い大気に適した翼では十分な空気を受け止めることができず、あっという間に気流が翼から離れて失速する。飛ぶためには、巨大な翼か、十分な速度、どちらかが必要な高度だった。

 ユーリは電子航空免許の接近警報に気を付けつつ、巡航に移る。緩やかに左旋回し、成層圏中高度という、HST(極超音速機)のごく一部しか飛ばないような高高度を、飛行術式の白い光に包まれた銀翼で切り裂いていく。

 超音速の気流の中、ユーリは小さく息をつく。超音速で飛行しているが、薄い大気のせいで頬を撫でる気流は亜音速で対流圏を飛行しているかのようだ。息を大きく吸い込むと、オゾンの香りの混じった成層圏の薄い大気が肺に入ってくる。

 ユーリは今日のことを思い返す。アンジェリカと似た少女、絵理沙。そして、自分の同じ側の存在、咲江先生。

 今日一日で、いろんな出会いがあった。そう思い返すと、どっと疲れが湧いてくる。

 ふと、180度ロール。目の前に広がるのは深い、深い群青の空。最早ダーク『ブルー』と言うよりは、黒に青をわずかに混ぜた程度の漆黒の空が目の前に広がる。まるで吸い込まれ、落ちて行きそうな、底の抜けた群青。

 咲江先生も、この景色を見たのかな。

 何となくユーリが思う。鼻から深く息を吸うと、鼻腔をあのユーリの頭を撫でてくれた時に香った甘い香りが大気に混じっているような気がして、そんな香りが実際にするような錯覚を覚えた。

 そうしているうちにどんどん咲江への興味がユーリの中で湧いてくる。どんな空を飛んだのか、どんな空を見たのか、どんな空を描いたのか。次々に湧き上がる疑問に、ユーリは謎の執着心が彼女に向いていることを自覚する。人と関わることを面倒がって、ずっと閉じた世界で生きていた。だがアンジェリカが婚約者となって、生活が大きく変わって、彼女に背中をはたかれて一歩踏み出してみたら、すぐにこの始末だ。

 どうやら、自分は思いのほか『チョロい』人種なのかもしれない。

 交友関係を広げた方がいい、とは言われて一歩踏み出してみたものの、これは幸先が思いやられるかもしれない。ユーリはそう自省するうちに、どんどん気持ちが沈んでくるのを感じた。こうして他人との関りに一喜一憂しなくてはいけないのは、正直面倒だ。

 だけど、アンジーは?

 彼女に振り回され、一喜一憂することに関しては、面倒とは思っても、いやではない。姉妹も同様だ。むしろ、そうやって振り回されることにある種の楽しみすら感じているかもしれない。

 ユーリは苦い顔を浮かべた。成層圏で一人、誰もいない世界を物思いにふけりながら飛ぶのはある種、禅にも似た感覚だ。自分と向き合い、自分を見つめ直し、自分の内側の宇宙を見直すような気分。

 その結果得たのがこの感覚と思うと、ユーリの気持ちがどんどん重くなっていく。積載荷重となって実際に翼の負荷になっているような錯覚すら覚える。そう思っていると、飛んでいる気分もだんだん失せてくる。ユーリは推力を落とし、深くロール角を取って高度を落とした。

 高度が下がっていくにつれ、大気がどんどん濃くなっていく。対流圏に突入する頃には、重く、ヘドロの様な空気に全身が包まれたような気分だった。水蒸気を含んだ分厚い、濃く重い大気はユーリと彼の翼に空気抵抗となって襲い掛かる。彼の、推力をアイドル状態にした自由降下は、重い大気の抵抗のせいですぐに終端速度の壁に突っ込んで、止まった。

 あっという間に5,000フィートまで戻ってきた、モザイクの様な街並みが目に飛び込んでくる。自由降下中に滑空していたが、上昇を始めた空域とほぼ同じ場所に戻ってこれた。街並みの様子と、頭の中に入っている屋敷の周辺の地図を照らし合わせ、効果地点を一瞬で算出、そこへ向けて速度と高度を殺しながら降りていく。

 着陸地点を目視。横風がややある。ユーリは身体を斜めにして進路ベクトルを保ちながら接地点へとふわふわと降りていく。細かく推力を調整し、降下率をコントロール。

 地上まで10フィート。着陸直前で再び正面を向いて、翼の迎角を一気に増やす。降下中にコントロールしていた境界層から一気に空気が剥離。失速。翼自体の抵抗で最後の速度を殺しながら、地面に足が触れる。タッチダウン。水平、垂直速度をほぼ殺しきった、丁寧な着陸。

 久々に丁寧な着地ができた気がする。ユーリは飛行術式を停止させながら肩に触れてぐるぐると回した。こういう綺麗なパフォーマンスを発揮できると、心なしか気分がいい。ただ、どっと沸いてくる疲れはそのままだった。

 ひょっとして、咲江と、同じ側の人間と交流したことが何らかのいい影響でもあったのだろうか。彼はそんなことを思いながら翼を畳む。

 とりあえずシャワーを浴びよう。それから夕飯の支度だ。


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