07/Sub:"代替案"
やっぱり。ユーリは自分の勘が当たっていたことに、どこか安堵に似た感情を覚えると同時に、妙な違和感を覚えていた。正解ではあるのだが、核心ではないような、そんな違和感。
「やっぱり、分かるものなのね。いいアビエイターになるわ、貴方」
そう言ってそっとユーリの頭を撫でてくる咲江。柔らかい手の感触がユーリのさらさらとした髪を撫で、ふわりと甘い香りが漂う。小さく鼓動が早くなるのを感じて、ユーリは小さく肩をすくめた。
さて、と咲江は立ち上がる。ぱんぱん、とタイトスカートの埃を叩いてはらうと、伸びをする。綺麗な弧を描いた背中がピン、と伸びる。
「そろそろ仕事があるから、ごめんなさい。そろそろ行くね」
「すみません、時間を取らせていただいて」
そう言うと、咲江は一瞬きょとんとした表情を浮かべた後、少し困ったように微笑んだ。
「別に生徒がそんなこと、気にしなくていいのよ。それに先生が好きでしたことだから」
また話しましょう。そう言ってこちらに小さく手を振りながら、咲江理事長補佐代理は後者に向けて歩いていって、角を曲がったところで見えなくなった。後に残されたのは、グラウンド横のベンチに一人黄昏る、ユーリ。
ふと鼻をひくつかせる。甘い香りが鼻腔をくすぐった。
これが咲江先生の匂いかぁ、なんて当たり前の感想を抱くと同時に、だんだんとやっていることが恥ずかしくなってくる。何をやっているんだ僕は。犬か何かか。
ユーリはベンチから立ち上がると、校門へ向けて早足で向かう。校門を抜ける時に校舎の方を見たが、先程の桃色の髪は見えなかった。
校門を出て家に向けて歩き出す。下校する生徒も下校し終わり、部活をする生徒が残っている時間帯もあって、学校の周辺の人はまばらだった。登校は一緒だが、下校は別々。それがユーリ達のサイクルだ。アリシアは同好会があるし、運動神経のいいアリアンナは毎日いろいろな部活に助っ人のように呼ばれていて、引っ張りだこだ。そうなると必然的にユーリと一緒に帰るとするならアンジェリカだったのだが、彼女は何か用事があるらしい。
結果的に、ユーリは独りで家に向けて歩くことになった。
静かな下校路を黙々と歩く。かすかに校舎から響いていた部活の喧騒もすっかり消え、閑静な住宅街の中を歩いていく。時折温かい風が頬を撫で、そのたびに空を見上げる。決まって広がるのは、白い雲が散らばる、濁ったスカイブルーの空。
早く帰って、飛ぶかなぁ。
折角だから新潟辺りまで飛んでいこうか。夕飯の食材を買いに、少し遠出するのもいいかもしれない。そんなことを思いつつも、どこかとぼとぼとした足取りで歩みを進める。
横断歩道を渡って、商店街を横目に見る。ふと、『このままここで買い物して返って、それでいいかな』なんて考えが浮かんだ。商店街の入り口で立ち止まって、商店街の続く道の奥をみやる。屋根のついた古めかしい商店街には、さまざまな店が並んでいた。全国チェーンのドラッグストアから、古くからやっている肉屋までさまざまだ。立ち止まるユーリを気にもかけず、時折主婦と思われる女性や仕事が早く終わったのか、スーツ姿の男性、大学生と思われる人々が時折ユーリの横を通り過ぎて商店街に出入りした。
どれだけそうしただろうか。しばらくの思考の後、やっぱり早く家に帰ってフライトに行こうと思い立って踵を返した。
「あ、ユーリにぃ」
「ううんっ!?」
肩甲骨の上から肩にかけてあたりに、ぐにゅう、と押し付けられる柔らかい感触。慌てて一歩前に出ようとした次の瞬間、するりと蛇の様に腕が彼を捕まえてがっしりと抱え込む。この無駄に洗練された動きは、間違いない。
「アンナ、こんな時間にどうしたの?」
「うーん、ユーリにぃを吸ってる、かなぁ」
ユーリの後頭部に小さく何かが触れるような感触。次にすぅぅ、と大きく息を吸い込む音が響く。そのたびにユーリを後ろから抱える腕がユーリの胸板や腹部を撫でるかまさぐるように動く。何してるんだ、とユーリはなんとか逃れようともがくも、ユーリが身を捻らせるたびに絶妙な位置に腕が動いて彼を確実に確保する。逃れられないことにようやく気付いて、ユーリはアリアンナのなすがままにされた。
「……ふぅ、ごちそうさま」
アリアンナの手がしゅるりとユーリから引き抜くように解かれる。ようやく拘束から解放された彼は、少し恨めしそうな目で後ろを振り向くと、満足げな表情を浮かべるアリアンナがにんまりとした笑顔を浮かべて、こちらを見下ろしていた。
「で、アンナ、どうしたの? 部活の助っ人は?」
「今日は気分じゃないし、特にお呼ばれもしてなかったからねぇ」
アリアンナはかぶっていたつばの広い、紅いリボンのついた黒い帽子を指でくるくる回すと、再びかぶり直す。指先で端を軽くつまんで軽く角度をつける仕草は、どこか様になっていた。これは女子に人気がでるわけだな、とユーリは一人で納得する。
「それこそユーリにぃは一人でどうしたの? アンジー姉さんは?」
「アンジーは用事があるんだって。僕は先にかえって夕飯の支度」
そう言ったところで、アンナの顔を見る。すぐに、状況を説明してしまったことを後悔した。
「へぇ―……」
目を細めてユーリを嘗め回すように見るその視線は、蠱惑的そのものだった。獲物を狙う野獣の眼光と言うべきか、抵抗できない獲物を今まさに捕食せんとする捕食者の眼と言うべきか。
逃げるべきか。そう思ってユーリが右足を後ろにそっとずらしたその瞬間、彼の右腕に絡みつくようにアリアンナの左腕が絡みついた。強制的に腕を組む形になってユーリを引きずり出す。
「あ、アンナ!?」
「ふふぅん。今日はデートだね!」
そう言って組んでいた腕を外すと、ユーリの反対側の肩に手を回して抱き寄せるアリアンナ。そうしながらずんずんと商店街の奥に向けて歩いていく。ユーリの抵抗むなしく、抱き寄せられているせいで彼女の豊満な胸元に横から顔を押し付けられる。
「アンナ、夕飯、夕飯の支度があるから!」
「……ちぇー。ならまた今度かぁ。残念」
そう彼女は言うものの、ユーリを開放する気配はない。商店街に並ぶ店の店員が、何事か表を見てはユーリ達を見て生暖かい表情をする。アリアンナに連れられている最中、ユーリは商店街のケバブ屋の、黒髪のダークエルフの女性店主と目があった。どこかほほえまし気にユーリ達を見ているその表情を、ユーリは超音速飛行にも対応しうる動体視力ではっきりと捉えてしまった。
「あ、ンナ、ちょっとっ……」
無理矢理彼女の腕から逃れる。技ではアリアンナに分があるなら、出力で抵抗するまでだ。ユーリが竜としての力を使って無理矢理抜け出ると、さすがにアリアンナも抑えきれない。彼女は残念そうな表情を浮かべる。
「なーんだ。せっかくいいムードだったのに」
「特定の意味で『いい』ムードではあったろうね……」
げんなりした様子で言うユーリ。ふと顔を上げると、どこか残念そうな表情を浮かべるアリアンナが目に入る。
しばし、逡巡。
この表情自体も演技かもしれない。甘やかすとつけあがる、そういう可能性だってある。それでも。ユーリは小さくため息をついた。
「……ほら、行くよ」
ユーリは右手で、腰に手を当てていたアリアンナの、黒い長手袋に覆われた左手を取ると、手を握ってそのまま歩き出す。一瞬きょとんとした表情を浮かべていたアリアンナだが、すぐにうれしそうな表情を浮かべてユーリに身体を寄せる。彼女の方が頭半分ほど背が高い分、半ば上からかぶさるような恰好。
こういうところは、本当に年下っぽいんだよなあ……。
ユーリは軽く見上げるようにして、自分より大きな義妹の嬉しそうな表情を目にすると、小さく苦笑いを浮かべた。
「今度、ちゃんと一緒に出掛けてあげるから、今日は買い物だけだよ」
ユーリはそう、わざとらしくぶっきらぼうに言うと、アリアンナは満面の笑みで頷いた。
「えへへぇ。楽しみだなぁ。ユーリにぃとのデート」
「デートって……」
大げさだよ、と含んだようにユーリが言うと、少しムッとした表情でアリアンナが言う。
「ユーリにぃ? 女の子と男の子が二人っきりで出かけたらそれはもうデートって呼んでも差し支えないんだよ?」
「友達同士でも?」
「少なくともボクとユーリにぃはもっと進んでる、と思うなぁ?」
ぐっ、とうめくユーリを満足げな表情で見下ろすアリアンナ。一本取られた気分だった。
二人は商店街を進む。商店街のほぼ真ん中にあるのは、この地域にだけ展開する地元のスーパーマーケット。ユーリは繋いでいた手を離し、籠を取る。アリアンナの手が名残惜しそうにユーリの手の指の隙間から滑り落ちた後、物欲しげに数回握ったり開いたりを繰り返した。
籠を持って店内を回る。夕飯を何にするかは特に決めていない。値引きの物を探して、それを中心に献立を考えよう。ユーリはそう考えて肉のコーナーへ向かう。
「で、いつデート行く?」
「直近、はどうなの?」
ユーリがそう言うと、アリアンナはあー、と頬を書きながら、ひどく残念そうに言った。
「ボクとしてもそれが好ましいんだけど。もうすぐ武装登録の更新があって……」
アリアンナが持つ『深緋』に『銀朱』。アンジェリカが持つ『ブラッドボーン』、アリシアの『イリスロサイト』。彼女たちが武器を何らかの形で所持していいかどうか。それの登録更新の日付が迫っていた。
「あー……もうそんな季節かぁ……」
「いつもの如くユニオン日本支部の基地でやって、これまたいつもの如くすごく混みあいそうだから、今度の連休どうしても離れなきゃいけなくて……」
アリアンナがそうなら、アンジェリカとアリシアも同じだろう。ユーリはため息をつく。一人寂しく屋敷で留守番が確定したらしい。
「まぁ、折角だし僕は実家にでも顔出しに行くよ」
ユーリが少し寂しげな表情を浮かべてそう言うと、ぞくり、とした感触がアリアンナの脳髄から背骨にかけて走った。彼女はユーリを思いっきり抱き寄せて抱きしめると、彼のサラサラの頭髪に頬をこすりつける。
「むーっ! むーっ!」
「大丈夫だよユーリにぃ! 返ってきたらいっぱい可愛がってあげるから!」
よもやスーパーの真ん中でこんな痴態をさらす訳にはいかない。無理やりアリアンナの抱擁を引きはがすと、彼女の眼はうすぼんやりと紅く輝いていた。
「早速デート不安になってきた……」
「『いのち短し、恋せよ乙女』ってね。ためらわないのがボクの信条なのさ」
アリアンナが自慢げな表情で見下ろしてくる。ユーリは心の中で、吸血鬼が『いのち短し』ってどういうことなのさ、と疑問符を浮かべたが、言葉にせずに飲み込んだ。




