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青春と幻想のストラトポーズ  作者: 失木 各人
02/Chapter:"母性の人"
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06/Sub:"同じ側"

 重いとは言っていたが、思っていたほど重くはない。丁度いいトレーニングにもなりそうだ。重い段ボールを二つも重ねて持っているものの、彼の体幹は全くぶれていない。歩くたびに、きゅっきゅっと上履きが音を立てた。


「ここですわ」


 しばらく歩いた後、絵理沙が言う。彼女が鍵を開けると、そこは生徒会室だった。オフィスに置いてあるような白いデスクが並べて置いてあり、デスクチェアが備え付けられている。五つ並べられたデスクの一番奥が、おそらく生徒会長の席だろう。どの机にも、デスクトップ型のパソコンと書類が並べられており、学校の一角と言うよりはまるでどこかのオフィスのようだった。

 ユーリは箱を抱えたまま部屋の端に歩いていくと、床に置く。ズシリと重い音がした。重ねていた段ボールをどかして、隣に置く。


「これでいい?」

「ええ。ありがとうございますわ」


 ユーリがぱんぱん、と手をはたくと手についた埃が宙を舞う。絵理沙はそんな彼のことを、不思議なものを見るような目で見ていた。その視線に気づくと、ゆっくりとユーリは彼女の方を向いた。


「どうしたの?」

「いいえ、その、貴方は――」


 そこまで言ったところで、絵理沙は口ごもる。なんて言えばいいのか迷っている様子で、しばらく言葉を脳内で選んだあと、詰まっていた物が取れたようにして口を開いた。


「――ヒト以外の、種族ですの?」


 なんだ、そんなことか、とユーリは少し呆気にとられる。小さく息をつくと、ため息交じりに彼は言った。


「ドラゴンだよ」絵理沙の眼が小さく、丸く見開かれる。「僕の種族は、ドラゴンだ」

「ドラゴン……」


 絵理沙の、青い瞳がユーリの金色の竜の瞳と合う。彼女の瞳は、どこか緑がかった青色で、宝石の様に輝いていた。

 彼女は、ユーリの金色の竜の瞳から目が離せないでいた。瞳孔が縦に細まった、爬虫類や猫の様な瞳。まるで太陽の様に、瞳が輝いているように錯覚した。


「じゃあ、僕、そろそろ行くね」


 ぼんやりとユーリの瞳に見入っていると、唐突に彼からかけられた言葉にはっと我に返る。


「え、ええ。お手伝いいただき、感謝しますわ」

「じゃあ、これで」


 そう言って絵理沙に背を向け、ユーリは歩き出す。ドアを開けると――思った通り、まさに生徒会室に入ろうとしていた、他の女子生徒と目が合った。彼女の足音が廊下から響いてきて、ユーリは早々に立ち去ることにしたのだった。そもそも長居する意味もないし、妙に絡まれるのも面倒だ。

 失礼、とだけ言って彼女の横をすり抜ける。背中に視線を感じながら黙々と廊下を歩き出した。




「会長、今の人は……」


 入れ替わりに入ってきた生徒――副会長だった――が、絵理沙に尋ねる。彼女は、小さく息をつくと答えた。


「穂高ユーリ君ですわ。丁度話をする機会があったので、仕事を少し手伝ってもらっただけですわ」


 彼女はそう言うと、生徒会長席に座る。使い慣れたデスクチェアは、身体によくなじんだ。


「穂高君って、あの穂高君ですか?」

「あの?」


 そう言う副会長の口ぶりに、小さく眉を顰める。


「何か、妙な噂ばかり聞きます」

「噂とは?」

「なんでも、昔いろいろあったとか――あぁ、それと」


 そう言って思い出したかのように付け足す副会長の言葉に、絵理沙は小さく目を見開いた。


「ゲルラホフスカさんと、婚約者だとか」


 絵理沙の口から、漏れ出るように息とも声ともつかぬものが、こぼれた。




 ユーリは生徒会室に背を向けて歩く。図書室に行こうと思ったが、そんな気分も失せて、早く家に帰ろうと思った。教室に向かって、自分の鞄を取りに行こうと進路を変える。

 教室にたどり着くと、自分のロッカーを開けて、鞄を取り出す。弁当も入ってないから、鞄には最低限のものしかない。軽い鞄を肩にかけると、ロッカーを閉めた。金属の扉がきしんで、閉じる。

 人気の減った坑内を歩く。校舎の外の喧騒が壁越しに響いてきて、遠くに聞こえる中、ユーリは黙々と校舎の中を歩いて昇降口に辿りついた。自分の革靴を取り出して履く。アンジェリカに言われて定期的に磨いているせいもあって、表面は綺麗に滑らかな光沢がある。

 靴を履くと、軽くつま先で地面をとんとんとつついて歩き出す。昇降口を出ると、まだ高度の高い太陽がユーリを照らす。思わず目を細めると、目の前に青空が広がっていた。白い雲がまばらに広がっていて、大気は安定している。この空も、もう二カ月もすると梅雨の曇天に覆われて見えなくなるだろう。そうなると、青空を拝むには相当上昇しないといけなくなる。高高度を飛ぶには制約がいろいろ多い。嫌いな空ではないが、嫌いな季節だった。

 ユーリは黙って校門に向かう。とりあえず、帰ったら飛ぼう。そう思って学校の外に向けて歩いていると、不意に耳に音が飛び込んでくる。小さくとも、はっきりとわかる音。

 翼の風切り音。

 ユーリは足を止める。そしてしばし、迷ってそのまま踵をかえした。昇降口に向かわずに、校門に背を向けてグラウンドに向かって足を進めた。石畳がグラウンドのじゃりじゃりと音を立てる砂へと変わっていく。彼はグラウンド端のベンチに腰掛けると、グラウンドの空を眺めた。

 そこにいたのは、空を舞う幾人もの生徒。それぞれのユニフォームを纏い、背中の鳥の様な翼や、コウモリの様な翼、腕と一体化した鱗が輝く竜の翼など、それぞれの翼をはためかせ、空を舞っている。

 飛行部、か。

 翼で空気を受け止めて、空を舞う部員たち。ユーリのそれに比べて遅く、精度も低い。だが数人で一糸乱れぬ編隊を組んで、一斉に旋回する様子は、一見の価値ありだった。

 他人がこうやって空を飛んでいるのをじっくり見るのは、久しぶりだな。

 ぼんやりと部員たちが空を飛んでいるのを眺めていると、いかんせんいろんなものが目についてくる。

 ――違うなぁ、そこ。もう少しロール角を深くとれば高度を維持できるのに。

 ――翼の迎角が大きすぎる。ピッチ、それ以上上げると失速しちゃうよ?

 ――そこ、高度を上げてハイ・ヨー・ヨーのマニューバを取ればもっと狭い旋回半径で旋回できるのに。

 とりとめもなくそんな事を考え続けていたからか、ユーリは彼のそばにその人物が近づいて、声をかけてきたのに反応が遅れてしまった。


「――穂高君?」


 唐突に脳が認識した自分を表す符号に、弾かれたように反応してそちらを見る。驚かされたかのようにバクバクと心拍数が上がり、背中に変な汗が流れる。

 声をかけてきたのは何でもない。吾妻理事長代理補佐だった。タイトスカートのスーツ姿で、パンプスを履いている。特徴的な角はねじれながら伸び、黒い尻尾が後ろに見えた。スポーツサングラスをかけているが、よく見るとARグラスだ。


「吾妻先生」

「穂高ユーリ君よね? 隣、座ってもいい?」


 どうぞ、とユーリが返事をすると、ありがとう、と言って咲江が彼の隣に腰掛ける。


「飛ぶの、見てたの?」


 その問いに、ユーリは小さく頷いた。


「飛行部とか、入ろうとは思わないの?」

「別に。一人で、自由に飛ぶのが好きなので」


 そっか。と咲江が言うと、再び二人の間に沈黙が流れる。

 二人で飛行部の部活風景を眺めていると、再び飛行風景を眺め出す。ユーリだけではなく、隣の咲江も、同じように眺めていた。

 飛行部の部員が編隊飛行を組んで旋回する。一人が編隊を小さく外れ、内側に飛び出た。


「今の」


 ユーリがそこまで言ったところで、咲江がほぼ同時に口を開いた。言いかけていたユーリの口が固まる。


「今の、ロール角が深すぎたわね。ヨー方向の安定が低いから、機体が横滑りしちゃったからあわててピッチ角を上げたのね。もう少し落ち着いて滑らかに空を切るようにして旋回すれば、もっと上手く曲がれるんじゃないかしら」


 そう言う咲江の眼は、どこか懐かしいものを語るかのような、輝いた眼をしていた。そんな彼女を呆気にとられるような目でユーリが見ていると、その視線に気づいた彼女が慌てる。


「ご、ごめんなさい。つい。ああいうのにちょっと興味があって」

「そ、そうですか」


 慌てる彼女にしばし若干驚きつつも、ユーリは空に目を移す。編隊を組み直した部員が再び空を舞う。


「一番右の部員。腕がいい。部長でしょうか」

「そうね。運動エネルギーと高度エネルギーをよく入れ替えてるわ。エネルギーの無駄の少ない、負荷のかかりにくい飛び方をしてるわ」

「でも、少しフライトエンベロープの把握が若干甘い気もします。あと迎角をとりがちな癖がある。時々失速しそうな時もある。本人は気づいているのかどうか」

「でも姿勢回復も手慣れてるわ。姿勢制御は上手いようね」


 ユーリが気づいたことを言うと、それに対して的確な補足をしてくる咲江。ユーリが見えていたことから、ユーリが気づかなかったようなことまで、的確に答えている。それに驚愕した様子のユーリを見て、彼女は少し顔を赤くしてごめんなさい、と言って再び静かになった。

 二人の間に沈黙が流れる。聞こえるのは他の部活の掛け声と、飛行部の部員が空を舞う風切り音、そして二人を穏やかに包む春の風の、静かな音だけ。

 どれだけそうしていただろうか。ユーリは小さく決意すると、恐る恐る、と言った雰囲気で咲江に尋ねる。


「先生は」


 ユーリの頭の中でいろんなものがつながっていく。様々な要素がユーリの感覚で付け足され、一つにまとまって一つの結論へと転がっていく。そのまま、ユーリはその回答とも呼べる疑問を、漏れるようにしてくちにした。


「先生は、パイロットなんですか?」


 咲江の表情が固まった。ユーリの瞳が、淡く金色に輝く。


「……どうして、そう思ったの?」

「判断材料はいろいろあるけど、一番なのは、僕と同じ側の気配がするってことです」

「あなたと、同じ?」

「だって先生、空の人間じゃないですか」


 その言葉に咲江は、衝撃を受けたような表情を浮かべて、それで小さく息をついた。そうしてユーリから目を外すと、ARグラスを取って襟に差す。そうして空を眺めて、深く息を吸いこんだ。ユーリはそんな彼女の表情を横から眺めていると、彼女の髪より少し濃く、深い、桃色の瞳がすう、と深さを増すのが分かった。吸いこまれるような色。

 あの色と同じだ。ストラトポーズの上の、群青の色。吸いこまれそうな、底の抜けたダークブルー。あれが瞳に映っている。ユーリは小さく息をのんだ。

 暫くそうやって咲江が空を眺めていると、小さくため息をついた。そうしてゆっくりユーリの方を向くと、少し困ったような笑顔で、言った。


「ええ。私は、パイロットよ」


 元、だけどね。咲江はどこか懐かしそうな表情で、そうこぼした。


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