05/Sub:"友好関係"
「縁、かあ」
そうなると、吾妻先生と出会ったことも何らかの縁であるのだろうか。どこか自分と同じような気配を漂わせる彼女を、ユーリはどうしても気になってしまっていた。
ユーリはハンバーガーをかじる。シャキシャキとレタスが子気味良い音を立てる。
「でも、相変わらずあんたの行動原理は変わらないのね」
アリシアがフォークの先でレタスの小片を弄びながら、黙々とハンバーガーをかじり続けるユーリに話しかける。彼は口の中のハンバーガーを十分咀嚼してから飲み込むと、その言葉に返す。
「それって?」
「だってユーリ、結局何だかんだ言って空に近い人しか興味ないじゃん」
「……」
ユーリは黙り込む。別に否定するつもりもないが、肯定するつもりもない。正直言って、『それの何が悪い』が彼の答えではあったが、それが『正しくない』のも十分理解している。だからと言って、早々言い放つこともできない。
そうして黙り込んでいると、アリシアがため息をついた。
「ユーリ、別にアンタが友達や話す人、興味のある人をアンタの基準で選別しようと、それは別に何も悪いことじゃないわ。だけど――」
アリシアがユーリの眼を見据える。彼女の紅い瞳は、ボンヤリと輝いているようにも見えた。
「アンタはここにいる。空に住んでるんじゃないでしょ? 足があって、地面を踏みしめてるなら、もう少し周囲と、そして何よりも自分を見なさい」
でないと。そう、アリシアは付け足して。
「己を知らない者に、限界なんて越えられないわよ」
ユーリは、小さく頷いた。
「己かぁ……」
ユーリがぼんやりと天井を見上げると、金属の骨組みが幾何学的に組まれた天井の梁が目に入る。灰色の天井の向こうにある空が、ひどく遠く感じた。
「まぁ、ユーリにぃはユーリにぃらしくすればいいんじゃないかなぁ」食べ終わったのか、アリアンナが口の横を紙ナプキンで拭きながら言った。「空に夢中じゃないユーリに、正直言ってユーリにぃじゃないよ、そんなん」
「むぅ」
「あら、悩むようなことではありませんわ」
アンジェリカがすました表情で言うと、一斉に三人が彼女の方を見る。彼女は、さも当然とでも言わんばかりに言い放つ。
「ユーリが、わたくし達を背負って飛べばいいだけですわ。そうして、滑走路から離陸して、滑走路に帰ってくればいい。それだけですわ」
自信満々に言い放つ彼女に、ユーリは苦笑いで返すと同時に、それもそうか、と思った。滑走路から離陸して滑走路に帰ってくる。ごくごく当たり前の、空を飛ぶものの常識。トビ立てる場所があって、帰ってこれる場所がある。当たり前だが、重要なこと。
「いいなぁ。次はボクがユーリにぃに乗りたいなぁ」
「アンタ、その言い方だけだと大分きわどいわよ……」
ふざけて言うアリアンナに、じっとりとした目でアリシアが言う。
「ふふ、でもユーリのパイロットはわたくしですわ」
アンジェリカが自慢げに言うと、ユーリは頬を紅くして、ハンバーガーにかじりついた。
授業の時間が終わり、終礼のチャイムが鳴る。全員で一様にあいさつをして、時間は授業中から放課後に移った。
ユーリはてきぱきと荷物を片付けると、バックに放り込む。やることはない。早く帰って自由に時間を過ごすのもよいだろう。そう考えていると、アンジェリカがつかつかと彼の席まで歩いてきた。それに気づくと、彼は顔を上げる。
「アンジー?」
「ユーリ、少々いいですの?」
いいえ、些細なことなのですが、と少し身構えたユーリに対してアンジェリカが言う。
「いいえ、少し学校に用事があるので、先に帰っていてくださいまし」
そう言うと、平然を装いつつも、少し残念そうな顔をするユーリ。その様子に小さくぞくりとした愉悦にも似た感情がわいてくるのを抑えつつ、アンジェリカは大丈夫ですわ、と続ける。
「少し長くかかりそうなので、夕飯の支度をお願いしますわ」
「……わかった、今日は僕が当番だもんね」
じゃあ先に買い物して、帰るとするか。ユーリはそう思って席を立つ。そうして別れを言って教室から出ようと歩みを進めようとしたところで、手を掴まれた。
「ん? アンジー。どうしたの――」
そう言う次の瞬間、彼の唇に温かい感触。すぐに、だけどどこか名残惜しそうに離れる感触に、理解が追いついたのは目の前に意地悪そうに笑うアンジェリカ。
「大丈夫ですわ、ユーリ。温かいご飯を用意して、待っていてくださいまし」
人差し指をユーリの口にそっと当てて、どこか悪戯そうにほほ笑む彼女。滑らかな手袋の感触が唇に触れて、その下の熱が伝わってくる。顔に熱が上がってくる頃には、彼女は指を離して小さく手を振りながら教室を後にしていた。
一人、ユーリだけが教室に残される。彼は、口元にそっと手を触れて先程の感触の残りを探る。自分の唇に触れると、さっきの温かい感触がまだ残っているようで、甘い香りの様な錯覚を覚える。彼女がいつも使う、薔薇の香りのシャンプー。
どれだけ立ち尽くしていただろうか。何の気なしに歩き出そうとして、足元がじゃりじゃりと音を立てた。ふっと下を見ると、彼の立っていたところが霜に覆われている。あわてて、ユーリは教室を飛び出した。
――初めて同じクラスになったけど、穂高君ってあんな顔するんだ。
――アンジェリカさんだよ。穂高君、アンジェリカさんと彼女のお姉さんと妹さんと一緒にいる時だけ、あんな表情豊かになるの。
――ウッソ。あの無表情無関心、『空っぽの穂高君』が?
――アンジェリカさんが婚約者って言ったけど、相当深い仲なのかしら。
――へぇ……なんだか意外だなぁ。
教室を出ると、既にアンジェリカの姿はなかった。ユーリはほんの小さく肩を落とすと、どこかとぼとぼと廊下を歩く。図書室にでも行こうかな。そうしてあてもなく廊下を歩く。これから部活に行くのだろうか、運動着を着た集団とすれ違って、階段を降りると見知った顔と出くわした。
「あら。穂高君?」
声をかけられて、ユーリは初めて存在に気付く。彼が声のかけられた方を向くと、そこにはいつか声をかけてきた生徒会長、絵理沙がいた。
「皐月院さん?」
「どうしたのです? こんなところ、一人で」
こんなところ、と言われてみると、周囲に人の気配はない。どうやら生徒会室の方にまで来てしまったらしい。そうなると彼女はこれから仕事に向かうところなのだろうか。
「別に。ただ歩いてただけ」
「そうでしたの? あら、そうしたら――」
そう言うと、名案を思い付いた、とでもいうかの様に小さく目を丸くさせる。
「少し重いものがいくつかありますの。手伝ってくださいまし」
「……わかった」
彼女の提案に、正直な所あまり乗り気はしなかった。だが、同時にこの、見た目も雰囲気もアンジェリカとは別物の彼女になぜかアンジェリカと似たような何かを感じてしまうのに対し、妙な好奇心を抱いていることも事実だった。
数瞬の思考ののち、ユーリは彼女の頼みを聞くことにしたのだ。やることもなかったし、ちょうどいいかもしれない。
「では、ついてきてくださいまし。倉庫にありますわ」
「了解」
そう言って歩き出す絵理沙の後ろを、ユーリは黙ってついていった。
ぼんやりと前を歩く彼女の後姿を見る。丁寧にシニヨンにしている髪は金色だが、金糸や月の様なイメージを抱くアンジェリカと違って、絵理沙のは太陽のような、どこか明るい印象を受けた。歩く背筋はぴしりと伸びていて、重心はぶれてはいないが体幹がどこか通っていない。真っすぐと言うよりはどこか曲線的な体幹は、まるで一本の槍の様に鋭く、一本通ったアンジェリカのそれとは違う。押せば転んでしまいそうな危うさすら、どこか感じた。
「……穂高君は」
黙って廊下を歩いていると、沈黙に耐えかねたように絵理沙がユーリに話しかけてきた。ユーリはどこか平坦に返すと、彼女は口を続ける。
「どういうものが好きなのですの?」
「空を飛ぶこと」
彼女の問いに、ほぼ反射的に返す。やや食い気味に答えたのに絵理沙はたじろぐ。今までどこか静かな印象だったのに、急に豹変したのに驚いていた。
「そ、そうなんですの。では穂高君は、飛行部に入ってますの?」
「ううん。一人で飛んでる」
「あら、折角だから入ればよろしいのに」
「別に。興味もないし」
そうぶっきらぼうに返すと、言葉に詰まったようにして絵理沙が黙った。再び沈黙が流れ、遠くの喧騒がわずかに響く静かな廊下に、二人分の足音が響く。
あっという間に倉庫についた。絵理沙は制服の上着のポケットから鍵を取り出すと、鍵を開けて中に入る。中には様々な雑貨が山積みになったり、棚に置かれたりして、静かにその役割が来る時を待って居た。独特な臭いがユーリの鼻をつく。わずかに眉をひそめたが、すぐに嗅覚が慣れて何も感じなくなった。
二人で倉庫の中に入ると、絵理沙が積まれた段ボール箱の前に行く。
「これですわ」
段ボールは未開封で、大型のホチキスと紐で厳重に閉じられている。段ボールの側面を見ると、『A4用紙』の印字があった。
「これだけ?」
「いいえ、これがもう一つ。なので、二回にわけて運びましょう」
そう言って隣の段ボールを指さす絵理沙。なるほど、とユーリは思い、しゃがみこんだ。
「中には用紙がぎっしり詰まっているので重いと思いますわ。何回かに分けて――」
「よっと」
そう言ってユーリは軽々と段ボールを持ち上げ、もう一つの上に重ねる。そしてそのまま、下の段ボールを抱えて二つまとめて持ち上げた。軽いな、とユーリは思った。
「え? え?」
「生徒会室までだっけ?」
混乱している様子の絵理沙に対して、ユーリがあっけらかに言う。目を丸くしたまま少し固まっていた彼女は、ようやく状況が理解できたのか、ハッとして言った。
「そ、そうですわ。ついてきてくださいまし」
そう言って倉庫から出ると、ユーリも後につづいた。




