EX/Sub:フライヤーズ・ハイ
「楽しかったですわ!」
ぼふりと音をたててアンジェリカがベッドに飛び込むのを、カーテンを開けた窓の窓際でユーリは苦笑いしながら見ていた。彼女はいつもの暗い赤色の薄手のベビードールのみで、上に羽織るネグリジェは、今日はつけていなかった。そのため彼女の身体の線が時折はっきり浮かび上がり、そのたびにユーリは恥ずかし気に視線をそらしていた。
「まだ興奮してるの?」
「しばらく冷めそうにないですわ。この興奮は」
興奮冷めやらぬ、と言った感じでアンジェリカがうつ伏せから仰向けに寝がえりをうつ。二の腕まである、薄手のレースの手袋に包まれた右腕を持ち上げると、天蓋にかざして開いたり握ったりを繰り返す。とにかくじっとしていられるような気分ではないのだろう、とユーリは彼女の様子を見て何となく思った。
「さっきまで大空に触れて、高度十二万フィートにいたなんて信じられないくらい」
空に触れる、とどこか情熱的に言う彼女。そこまで特別なものだろうか、とユーリが訝し気な目で見ていると、その視線に気づいたアンジェリカがユーリの方を向いてムッとした表情で言う。
「それはいつも空を飛びまわっている貴方にはきっとわかりませんわ」
「新鮮さ、ってやつ?」
「……まぁ、そんなものですわ」
アンジェリカがお手上げ、といった風に言い、ユーリは小さく肩をすくめた。
「そういえばアンジー、消耗はどうなの?」
思えば飛行中の生命維持術式でだいぶ消耗したはずだ。飛行術式こそユーリが駆動させていたが、それでも少なくない霊力を使っただろう。肉体的な疲労は大きいはずだった。
「そうですわね……少し、興奮気味なのもあってあまり気になりませんが、少し疲れたような、そんな気もしますわ」
そうアンジェリカが言うのを聞いて、ユーリはなるほど、と小さく一人で納得した。そうしてしばし考えた後、開けていた窓のカーテンを閉じ、ユーリは左の首筋を左手の人差し指で小さくとんとん、と叩きながら言った。
「吸う?」
アンジェリカが目を丸くしながらユーリの方を見ると、彼は彼女を見つめながら小さく頷く。しばし呆気にとられていたが、アンジェリカは小さく微笑むと、ベッドの自分の左隣を手で軽くたたいた。そういうことね。ユーリは小さく苦笑いを浮かべると、窓際の席から立ち上がってベッドに腰を下ろした。スプリングが小さくきしんで、彼の身体がベッドに小さく沈み込む。
「汚さないようにね――」
ユーリが言いかけた次の瞬間、アンジェリカがユーリの右から滑り込むように彼に身体を重ねてきた。まるで押し倒されるようにベッドに倒れ込むと、素早く、しかし丁寧に彼の寝間着の作務衣の首元をはだけさせる。ユーリの眼前には、自分に馬乗りになったアンジェリカと、夜の闇の中、紅に妖しく輝く彼女の吸血鬼の両目。
「いただきますわ」
そう、短く宣言する。蠱惑的に笑う彼女は、静かにユーリの左首筋に口元をうずめた。一瞬だった。鋭い牙が彼の首筋に滑り込み、肉をかき分けて血管に穴をあける。痛みはなく、ただじわじわと広がるような熱をユーリは感じた。
小さくアンジェリカが喉を鳴らし始める。あー飲んでるんだな、と呑気にユーリが思った次の瞬間、ぞわりとユーリの心臓のあるあたりに、まるで優しく撫でられたか、はたまた無邪気にくすぐられたかのような感触が走った。魂に触れられる感覚。
「……随分、深く吸うんだね」
ユーリが小さくつぶやくと、首筋に口元をうずめたままのアンジェリカが左手でユーリの胸元をそっと撫でる。そのいつもとは違う感触に、思わずびくりと身体をこわばらせる。ひょっとしてもう酔ったのかと思ってユーリが彼女の手を掴もうとすると、彼女はユーリの手を逆につかみ、指を絡ませてきた。その本能的ながらもはっきりとした意思を感じられる行動に、彼女は別に血に酔っているわけではないと悟った。
まるで請うのか、またまた飢えているのか、乾いているのか、そう言った風にユーリの身体をかき抱くように撫でまわすアンジェリカの様子にただならぬ何かを感じた彼は、思わず霊力を込めようとする。冷気のドラゴンブレス。頭が冷えるかな、と思って血にそれを流し込んで、血を啜るアンジェリカに間接的に流し込んだ。
するり、と牙が引き抜かれる。効いたようだ、と思っていると、アンジェリカが傷口を一舐めした。舌先でなぞるように舐められていると、時折唇で甘噛みをしてきた。
様子がおかしい。
「ねぇ、アンジー――」
そう言いかけたところで、ゆっくりとアンジェリカがユーリの首筋から顔を離した。上気した頬に、妖しく、紅く輝く瞳。その双眸はどこか、蕩けているようにも感じる。
只ならぬ気配を漂わせるアンジェリカに対して、ユーリが何か言おうとした瞬間、唇を強引にふさがれた。甘い香りが鼻腔内を駆け抜け、ユーリの脳がアイドルからフルスロットルまで一気に引き上げられた。ねじ込まれた舌が彼の口腔内を蹂躙し、ほのかに血の味を漂わせる。しばらくそうやって蹂躙されていて、そこで血の味が自分の血だったということにぼんやりと気付いた。
どれだけそうしていたのだろうか。アンジェリカがゆっくりと口を離す。ゆっくりと、名残惜し気に絡めていた舌を引き抜き、最後に小さく自分の舌の先端をユーリの舌の先端にちょん、とつけて離す。
こうやって貪られるのって何回目だっけ、と纏まらない思考の中ぼんやりとユーリが思っていると、アンジェリカが小さくつぶやいた。
「ねぇ、ユーリ」アンジェリカがぽつり、と言った。「わたくし、もう我慢できそうにありませんわ」
「それってどういう――」
アンジェリカに問い返そうとしたとき、ユーリは彼女の表情をまじまじと見る羽目になった。
捕食者の、顔だった。今から目の前の獲物を食らいつくす、という覚悟と欲望の渦巻いた表情。
フライヤーズ・ハイ。
夜空の光がわずかに差し込む部屋の中、二つの影が重なった。
「ゆうべはおたのしみでしたね、とでも言えばいいのかしら」
翌朝、起き抜けにアリシアにそんなことを言われてユーリはとび起きた。隣には一糸まとわぬ姿のアンジェリカがシーツにくるまって静かに寝息を立てている。彼の姿も言わずもがなだった。
「あ、あ、アリシア姉さん、これは」
「あー。いいのよいいのよ、時間の問題だと思ったし。計画的にね」
うんざり、といった様子でアリシアが言う。ユーリは赤面して横になる。横で寝ているアンジェリカに背を向けて寝転び、両手で顔を覆う。穴があったら入りたい気分だった。
「うわあ、『もうお婿にいけない……』ってセリフが似合いそう」
部屋の入口の方からアリアンナが声をかけてくる。その声はどこか楽しそうにも、どこか不機嫌そうにも聞こえる。ジャージ姿のアリシアに対して、アリアンナはワイシャツ一枚だった。すらりと長い彼女の脚が、部屋に差し込む朝日に照らされて白く輝く。
「なに、アンタも聞こえてたの?」
「そりゃあね。すごかったもん。屋根裏のボクの部屋まで聞こえてきたし」
「わー! わー!」
こっぴどく打ちのめされたユーリはただ情けない叫びをあげるしかできない。そんなユーリの声に反応したのか、もそりと横のアンジェリカが動く。ユーリに後ろからゆっくりと絡みつくように抱き着き、ユーリがびくりと身を震わせて動きが止まる。
妹と姉を前に、アンジェリカはゆっくりと目を開ける。彼女の瞳はぼんやりと紅く輝いており、得意げに細められていた。
「わたくし、ユーリに他の女が付いても構わないと思っていますの」アンジェリカはそっとユーリの後頭部に顔を寄せる。「だって、最後にユーリが戻ってくるのはわたくしの隣なのですから」
そう言うと、ユーリの頬をつつ、と撫でた。
次の瞬間、アリアンナがベッドに飛び込んだ。アリシアも一瞬ためらったのち、ベッドに飛び込む。ユーリは三姉妹に挟まれてもみくちゃになる。
「ユーリにぃ! ボクだってしっかり女の子なんだよ!? 行くとこまで行ってもらうからね!」
「むー! むー!」
アリアンナの豊満な胸に頭を挟み込まれてユーリが抗議の声を上げるも、息苦しくなっただけでくぐもったうめき声が漏れるだけだった。
「あ、あたしだって!」
アリシアが寝そべったユーリの上を這いあがって自己主張してくる。小さな体を懸命に押し付けるもユーリは三姉妹にもみくちゃにされてそれどころではない。その様子を見てアンジェリカが不敵な笑い声をあげる。
結局日が空の中央に来るまで、四人はそうしてもみくちゃになったままだった。




