25/Sub:"エプロン"
ユーリとアリシア、アリアンナはアンジェリカを屋上の展望デッキで待つ。時折、タキシングしたり、離着陸したりする旅客機が響かせるターボファンエンジンの音が周囲にこだまする中、展望デッキにはかすかに航空燃料の着臭された特徴的な臭いがうっすら漂っていた。アリシアとアリアンナはどこかそわそわした様子で一番時間がかかっているアンジェリカを待っている。
ユーリに不安はなかった。彼女の力量はユーリが一番よく知っていたし、彼女なら間違いなく技能検査を通るという確信があった。
彼女は間違いなく凱旋する、そう信じていた。
ユーリ達意外人気のない展望デッキに、ターボファンエンジンの高音がどこか遠くのそれのように響き渡る。離陸していった飛行機のエンジン音は、青空に吸い込まれてやがて聞こえなくなっていった。
きぃ、と音を立てて展望デッキのドアが開いた。三人がそっちの方を見ると、アンジェリカがいた。いつものように、自信満々な笑みを浮かべて。
つかつかとユーリ達の方に歩いてくる。ユーリは立ち上がって彼女の方を向くと、彼女は彼の目の前で仁王立ちした。
「お疲れ様」ユーリがそう言うと、彼女はニッと笑う。「どうだった?」
アンジェリカは右腕を持ち上げた。中指と人差し指を立てて、Vサイン。ユーリはほほ笑むと、左腕を持ち上げてVサインを作り、彼女の指と重ねて触れ合わせる。
「やったね、アンジー」
「優秀なコーチのおかげですわ」
Vサインを解いてアンジェリカが指を絡ませてくる。ユーリもVサインを解き、彼女と手を組む。
「フライトは振替休日の金曜日ですわ、さあ皆、気合入れていきますわよ!」
小さな窓から光が入る、どこか薄暗いロッカールームの中で、ユーリはそんなことをぼんやりと思い出していた。目の前にあるのは、サドルユニットに変形する機構を備えたドラゴン用のフライトスーツ。人間形態から着て、竜人形態、竜形態にそれぞれ適した形に変形する機能があった。肩の所にユニオンのマークが小さく書かれている。
基本的な形状としては普段ユーリが来ているフライトスーツとあまり変わりはないが――ユーリが着ているのがユニオン軍のお下がりだから当然と言えば当然だが――、ダークグレーの普段のフライトスーツと違って、色が心なしか明るい色だった。着方は普段のフライトスーツと変わらない。足元から着て、霊力を流して生地をフィットさせ、ハーネスを締める。電子航空免許を腕に巻いて、準備完了。
ユーリの周りに霊力が舞う。ジワリと彼の身体から霊力が立ち上った瞬間、光が翼と手足を竜のそれに変え、ユーリの頭部から双角が生える。竜人の姿になったユーリは翼を伸ばしたり縮めたりして具合を確かめると、ロッカールームの外に出る。
「ユーリ、具合はどうですか?」
出たところのベンチに、母親が足を組んだ状態で座っていた。薄暗い廊下で、彼女だけがまるで発光しているのか、はたまたハイライトされているようにはっきりと見えた。
母親の恰好は、白いドレス、と言える恰好だ。胴体のラインがはっきり出る、竜の鱗の様な模様がところどころに入った、ホルターネック型の競泳水着や一体型のインナーの様なボディースーツ。脚部と腕部をサポーターの様に覆う、つま先が開いていてサンダルの様にもなっている、軽いヒールのついたサイハイブーツや、中指で留める長手袋の様なアーマー。腰部にはアンジェリカの霊服の様な、表面の質感が何ともつかめない布地でできた滑らかな表面のコックステールスカートになっていて、前面には膝ほどまで長さの、紡錘形の前垂れが伸びている。そして、質感のつかめない白いのっぺりしたアーマーが腰や鎖骨、首元についている。頭の双角の間には、竜の角の様にも冠の様にも見えるセンサーユニットが乗っていた。
どこか女王のようでもあり、騎士のようでもある恰好。柔らかい滑らかな線ではあるが、その下にしっかりと鍛えられた筋肉の輪郭を浮かび上がらせている四肢や胴体も合わせて、どこか神秘的な雰囲気を母親相手にユーリは感じた。
――XAArm00/『Cordis』mark:ANIMA
霊服を着た母親は、部屋から出てきたユーリに声をかけた。
「いいや、大丈夫だよ。いつも着てるのよりも若干着慣れないだけで、着心地自体は良いよ」
「そうですか。正直な話、そのフライトスーツはあなたに合わせて調整した面もありますので」
ユーリは疑問符を浮かべた。わざわざ、僕のために?
「そのフライトスーツは、データ取り用でもあるのです。あなたの全力に耐えられるように、そしてその状態でのフライトスーツのデータを収集できるように」
「と言うことは、今もデータ取ってる、ってこと?」
「察しがいいですね。飛行中は取る、とのことです。心配ありませんよ、飛行に関するデータのみですから」
別に心配するつもりではなかったが、そこら辺の配慮はしっかりしてくれているらしい。それは関係者の家族とはいえ一般人を巻き込むことへなのか、それとも母親や父親の息子だから、と言うことなのか。何となく、ユーリは前者であって欲しいと思ったが、母親が立ち上がって廊下の先へ歩き出すと、どうでもよくなって思考をやめた。
母親が立ち上がるもドレスのすそには皺ひとつない。まるでベンチや地面を貫通して垂れえていたように、彼女のスカートは滑らかに腰から垂れていた。母親の、鍛えられていることがわかる背中には、ユーリと同じように肩甲骨のやや下あたりから力強く生える銀色の鱗に覆われた翼と、臀部の上から伸びる太い尾。歩くたびに、滑らかに小さく揺れる。同じように、ユーリの尾も揺れていた。
廊下の奥のドアを開けて母親に続いて外に出ると、日光が網膜を刺す。一瞬ホワイトアウトした視界が光に慣れると、空港のエプロンが目の前に広々と広がる。日に照らされて、アンジェリカ達の三姉妹がこちらに向けて手を振っている。
姉妹の横に立っていたのは、父親だった。同じようにこちらに向けて手を振っている。真っ黒なフード付きのマントの下に、同じく真っ黒なタクティカルスーツと、黒いボディーアーマー、足と左腕だけについた同じく真っ黒なボディーアーマーは、ユニオン軍のパワードアーマーと同じ規格のはずなのに、まるでそこに穴が開いているかのように一切の質感を感じさせない違和感と不安感を見る者に覚えさせていた。
――XAArm00/『Oculus』mark:ANIMA
霊服を着た父親は、ユーリと母親に対して声をかける。
「調子はどうだ、ユーリ?」
「ばつぐん」
父親に対して親指を立てて見せると、彼は同じように親指を立てた拳でこつんと正面からユーリの拳を小突いてきた。まるで乾杯みたいだな、とユーリは思う。
「で、お前にはアンジェリカちゃんが乗るのか?」
「うん、アンジーが僕のパイロットだから」
そう言うと、脇腹に衝撃。そちらの方を見るとアンジェリカが顔を真っ赤にしてユーリの脇腹を肘でどついていた。その様子を見て両親は愉快そうに笑った。
「おし、じゃあとっとと始めよう。日食の陰はもう落ちている。あまり時間はないぞ」
「うん、わかってる」
ユーリはアンジェリカの手を引く。母親も父親と並んで歩き出した。それぞれエプロンにある円形の模様の中に歩いていく。ユーリは『01』、母親は『02』に。黄色い線で書かれた模様はざっと直径一〇〇フィートほどもあって、その丁度中央には中央で途切れたバツ印が書いてある。ユーリがその円の真ん中に歩いていくと周囲が開けて見えた。アンジェリカは、黄色い線の外側で待機する。周囲を指さしながら見渡し、黄色い線の内側に誰もいないことを確認。よし。
『準備は良いですか?』
左の円内にいる母親が短距離霊力通信で話しかけてくる。ユーリは頷いた。拳を頭上に高く上げて、四回時計回りに回す。『変身する、周辺に注意』の合図。
ユーリはすぅ、と息を吸って小さく吐く。全身にドラゴンブレスをかけ巡らせる感触。じわり、と彼の身体から霊力が立ち上る。彼の全身がドラゴンブレスの輝きに覆われた。
変化は急激に起こった。ユーリのシルエットが急に膨れ上がる。身長一七〇センチもないような少年のシルエットが、光に包まれて急激に形を変えていく。長い首、大きく後ろに向かって伸びた角、地面を強く踏みしめる四肢、真っすぐ伸びた太い尾、そして屋根ほどもありそうな、大きな翼。彼の変化に合わせて彼が着ていたフライトスーツが溶けて歪むように変形していく。
光が収まると、そこにいたのは三〇メートルほどもある一匹の銀色の竜の姿だった。フライトスーツは鞍となって、彼の頭部の後ろ、首の上にちょこんと小さく乗っかっていた。
『変身完了。アンジー、大丈夫だよ』
ユーリがアンジェリカに向かって短距離霊力通信で語り掛けた。アンジェリカはそれに声ではなく拳を握った腕を掲げることで答えた。彼女はユーリの視界に常に入るようにぐるりと回りながら、彼の首の後ろにかかっているサドルユニットに近づいた。ユーリがそれに合わせて小さく喉を鳴らしながら――低い、肉食獣の様な音だったが――首を下げると、アンジェリカは変形したサドルユニットの足掛けの所を掴んで腕力で身体を持ち上げる。
フライトスーツから変形したサドルユニットは、アーマーパーツが変形してできた装甲部がなければ、まるでバイクのサドルのようだった。人体工学に基づいて設計されているのか、跨っていて『しっくりくる』形をしている。上体を大きく前に倒して、ほとんど寝そべるような姿勢になると、手の所に丁度握るためのハンドルがあった。ハンドルを握ると、身体がサドルユニットに吸いつくような感覚。霊力で発生した力場が彼女をシートベルトの代わりにサドルユニットに固定する。目の前の機関部に、ユーリの電子航空免許がはめ込まれていた。
左から光が差す。母親がドラゴンに変身し、彼女のサドルユニットに父親とアリシアとアリアンナが搭乗した。父親が腕を上げた。『準備完了』の合図。
アンジェリカはユーリとの霊力リンクを繋げた。彼から応答があり、思考の部分共有が始まる。慣れない感覚で、ユーリの思考が流れ込んでくるような感覚がして気恥ずかしいが、彼女の理性はすべきことを見据えたままだ。彼女は腕の電子航空免許端末を操作。チェックリストが表示される。
『ユーリ、タキシング前チェックリスト。固定位置』
『停止位置、セット』
『飛行術式霊力流量』
『アイドル』
『飛行術式駆動状態』
『カットオフ』
『電子航空免許端末バッテリスイッチ……オン。端末画面……オン』
アンジェリカがユーリと協力しながら、時には彼女一人でチェックリストをこなしていく。ユーリはそんな彼女に、粛々と従う。
『翼面動作確認――ユーリ、翼を動かしてくださいまし』
ユーリが首を動かして自分の翼を見やる。アンジェリカも上体を起こして彼の翼を見る。翼を伸ばしたり、縮めたり。上に動かしたり、軽く羽ばたかしたり。それを右、左と行う。問題なし。
『翼面動作確認、気象状況確認……チェック』
アンジェリカは自分の腕に巻かれた電子航空免許端末を操作。送られてきた空港の気象条件を確認する。新松本空港、情報ロメオ。一〇時〇〇分JST現在、滑走路36LにILS方式で進入中の着陸態勢機あり。風は方位四〇から五ノット。視程は三〇キロ。クラウドカバーは四割から五割ほど、雲底は四〇〇〇フィートで積雲。気温は一八度で露点温度三度。海面気圧一〇一五ヘクトパスカル。アンジェリカが電子航空免許端末に指定された空港の高度と、気象条件の海面気圧を入力すると、自動で高度計規正値が計算されて高度の補正が行われる。GPS確認、正常。
ここまでは順調。アンジェリカは電子航空免許端末を操作し、次の入力を行う。
『こちらフライト番号EXIRU20372A、IFRクリアランスを要請する』




