24/Sub:"試験会場"
参考書を読んだり、携帯端末をいじったりして駅のホームのベンチで特急を待っていると、ホームにアナウンスが流れる。特急しなの到着のアナウンスに、四人はぞろぞろとベンチから立ち上がった。アリアンナが飲み物を買ってくるよと言い、ユーリもそれについていく。結局五〇〇ミリペットボトルの冷たい緑茶を四本、抱えてアリシアとアンジェリカの所に戻った。
四人で車内に入ると、指定した席までぞろぞろと歩く。土曜日とはいえ、連休でもない日の朝早くの特急の車内は空いていた。二列ずつのシートが、通路を挟んで左右に並ぶ。進行方向向かって左側の二列シートが縦に二つ。指定した席はそこだった。よく見ると、荷物棚につけられた番号札の横のランプが赤く光っている。
アンジェリカがシートの背もたれに手を置くと、シートの根元のペダルを足で踏む。そのままぐるりと横に回転させると、四人で座れるボックス席が出来上がった。進行方向に向かう席には窓側からアンジェリカとユーリ、進行方向と反対側に向かう席には窓側からアリアンナとアリシアが座った。
「ふぅ。やっと一息つけるわ」
アリシアがペットボトルの緑茶を開けながら言った。先程温かい立ち食いそばに七味を入れたせいなのか、うっすらと喉元に汗の雫が浮かんでいる。彼女はそれをくすぐったそうにハンカチで拭った。
「松本駅までは一時間弱ですわ。復習なりなんなりする時間は十分でしてよ」
「どうしよっかなぁ。ボク、この電車の景色結構好きなんだよね」
アリアンナが心なし楽しそうに言うと、アンジェリカは小さくため息をつく。ユーリは苦笑いを浮かべながら、そっとペットボトルの緑茶に手からドラゴンブレスをゆっくりと流し込む。急に冷えていく緑茶。軽く振りながら冷却していくと、緑色のペットボトルの中に小さな氷の結晶が急成長していく。軽く窓から差し込む光にかざすと、まるでラメでも入れているかのように煌めいた。うん、こんなものか。
「はい、アンジー」
「ありがとう、ユーリ……ふむ、ちょうどキレのある冷やし具合ですわ。流石ですこと」
アンジェリカがユーリから受け取ったペットボトルのお茶を開けて静かに口をつけて一息つくと、彼に感謝の言葉を述べる。
「あー、ずるーい! ボクもそれやってよユーリにぃ」
そう言って開けかけていたペットボトルをユーリに差し出してくるアリアンナ。ユーリは二つ返事で受け取ると、同じようにドラゴンブレスを流し込みながらボトルを軽く振り続ける。
「あ、『冷ため』でお願い」
「はいよー」
そうアリアンナから注文が来たので、心なしアンジェリカの物よりも氷の結晶を成長させて、アリアンナに渡した。彼女は嬉しそうに受け取ると、ボトルを開けて一気に飲んだ。
「……くぅーっ! やっぱりこれだね」
ごきゅごきゅと喉を鳴らし、半分ほど中身をのんだ後にアリアンナが気持ちよさそうに声をあげる。オッサンかアンタはと横でアリシアがツッコミを入れた。
「わかってないなぁ。『冷ため』にしておくと、ユーリにぃのドラゴンブレスが氷にちょっと残ってて、それがいいんだよ」
「でも冷たいのを一気に飲むと、頭が痛くなりませんの?」
「それも『醍醐味』ってところかな」
ニッとアリアンナが笑うのに、アリシアは苦笑いを浮かべた。
「そういえば、アリシア姉さんはしなくていいの?」
「あー……私はいいかな。頭痛くなるのやだし」
今度は、アリアンナが苦笑いを浮かべる番だった。
そうこうしているうちに、ホームから発車ベルの音が車内に微かに響いてくる。『ドアが閉まります』のアナウンスが流れ、ドアの閉まる音。少し後、滑るようにして特急がホームから動き出した。駅のそばの切り替えポイントを通るたびにガタンゴトンと揺れる車内。全員が、窓の外をぼんやりと眺める。新幹線の高架下を、沿うように走る特急。車内アナウンスで、松本駅への到着時刻がアナウンスされた。前日に計画したプラン通りの時間。技能試験会場には、時間的余裕をもって到着できるだろう。
アンジェリカが参考書を鞄から取り出して開くが、少し眺めているうちに本を再び閉じた。案の定、と言った目でユーリが彼女を横目で見やる。
「意外と、目がきついですわ」
「出発してからすぐは切り替えやらカーブやらでよく揺れるからね。本を読むならもう少し後がいいよ」
「そう、させていただきますわ」
そう言って彼女はため息をつきながらお茶を再び口に含む。結露して、まるで雨に打たれていたかのようにボトルの表面は濡れていた。
後ろの通路のドアが開く。車掌が入ってきて、荷物棚のランプを確認していった。前のドアの前で一礼すると、車掌は静かに出ていった。
特急は揺れながら緩やかな上り坂を登っていく。乗っている人にはわからないほどの緩やかな登りを登り続けていると、いつしか新幹線の高架は消え、山の中を走っていく。心地よい揺れと、窓から差し込む光、そして横に座るアンジェリカから伝わってくる熱で、ユーリはいつしかウトウトと船をこぎ出した。
「わぁ。すごい景色」
アリアンナが感嘆の声をあげた。ウトウトしていたユーリが目を開けて横を見ると、アリシアとアンジェリカも窓の外の景色を見ていた。窓枠に肘をつきながら優雅に車窓の景色を楽しむアンジェリカは、とても様になっていた。
肩越しに外の景色を見ると、川が削り、谷底に土砂が堆積してできた平野が広く、山の間を縫って地平線まで続いていた。山には積雲がちらほらとかかり、なるほどよい景色だ。
「フライト日和だ」
「ええ、ほんとに」
ユーリが呟くと、アンジェリカもほほ笑んだ。
アナウンスの通り一時間ほど特急に乗っていると、松本駅に到着するとのアナウンスが流れた。四人はぞろぞろと席を立つと、忘れ物がないことを確認した後に車両のドアの前で待つ。滑るようにホームに列車が入っていき、わずかな揺れと共に停車。この特急は名古屋まで行く。四人が降りて少しして発車ベルが鳴ると、ドアが閉まって特急はホームから出ていった。車輪がレールとレールの間の溝を超える音をガタンゴトンと鳴らして、ホームから特急が出ていくと駅のホームは静けさに包まれた。
四人は改札を通って外に出る。松本駅は多少人がいるものの、ひっそりとしていた。バスターミナルへ向けて歩く。駅からは徒歩五分ほどだ。バスターミナルの建物内に入ると、空調の聞いた細長い通路に沿って、自動ドアが並んでいた。自動ドアの上には番号と、どこに行くバスが停車するかが書いてある電光掲示板が光っていた。一番、新松本空港行き。これだ。
「えーと、バスは……一〇分後か」
時刻表を見たユーリが腕時計と時刻表を見比べながら言う。三人はバスターミナルのベンチに並んで座っていた。
「待ち時間がどうしても多くなりますわね」
「市街から離れると、どうしても利用者も減るからねぇ」
アンジェリカがため息をつきながら言うと、肩をすくめながらアリアンナが返した。それもそうですわね、とアンジェリカはもう一度ため息をついた。
参考書を眺めたりしながら各々バスを待っていると、周囲に同じようにバスを待つ人が並び始めた。少しすると、バスがバスターミナル内のロータリーに入ってくる。目の前のバス停に留まると、自動ドアが開いた。四人はぞろぞろバスに乗り込んで、最後尾の席に四人並んで座った。バスは空港まで直行の便だ。ぞろぞろと列をなしながらバスに乗り込んでいく。料金は後払いだった。二五〇円。
バスの中には駅前の閑散とした状況とは裏腹に、かなりの人数の人が乗り込んでいた。ふと見ると、天狗であったり、ワイバーンであったり、龍であったりと、なるほど飛行種族が多かった。おそらく同じように検査を受けに行くのだろう、とぼんやりとアンジェリカは思った。
バスが走り出すと、アンジェリカは参考書を取り出そうとして、やめた。さっきの電車よりも揺れる。目が余計疲れるだけだろう。
バスは市街地を抜け、橋を渡って水田と家が混ざり合う中を走る。田は起こされたばかりなのか、まだ凸凹とした土の表面をさらしていた。
バスに揺られること二〇分ほど。ふと、小高く盛り上がった土手の様なものが目に入る。桜が混じった並木が植えられ、新緑の黄緑に混じって時折桜色が花開いていた。バスはしばらく並木道に沿って走ると、交差点で左折、並木道の切れ目から坂を上る。視界が開けると、急に空港のターミナルが広がった。ターミナルのロータリーにバスは入ると、細長いひさしのあるバス停の前に止まった。アナウンスで到着が流れると、ぞろぞろとバスの中の人が降り出す。最後尾に乗っていた四人は、一番最後に降りた。
「県警察航空隊本部は……あっちか」
空港のターミナルの前に立て看板が並んでいる。そこに『航空免許(飛行種族用)、更新技能検査会場』と記された看板が置いてある。
「じゃあ、終わったらターミナルで集合にしましょう」
アンジェリカが言った。ユーリは空港の案内図を思い浮かべ、どこで待ち合わせにするか悩んで――そうだ、ここにしよう。
「送迎デッキ」ユーリが言うと、姉妹がユーリの方を一斉に見る。「屋上の、滑走路が見えるデッキで、集合にしよう」
「いいねぇ」
アリアンナが言う。アリシアも同意で返す。
「では、終わり次第送迎デッキで集合、と言うことで。いいですわね?」
三人が頷く。
「じゃあアンナとお姉さま、わたくし、そしてユーリの三つにここからは分かれるということで――行きますわよ!」
四人で円陣を組み、右手を出して重ね合わせる。上下に数回振って、手を振り上げて花開くように離れた。
「ここまで気合入れること?」
アリシアが苦笑いを浮かべながら言った。アンジェリカは胸を張りながら、当然ですわ! と声を上げた。
「『どんな時も全力で』、わたくしの座右の銘ですわ!」
「まぁ、これで検査引っかかったらおじゃんだからね」
ユーリが返すと、その通りですわとアンジェリカが言った。
「まぁ、私とアンナは、ただの講習だから気楽なもんよ」
「二人とも頑張ってね。ボク応援してるよ」
二人の声援を受けながら、四人は航空隊本部の建物前まで歩いてくる。扉の奥には、それぞれの免許の技能試験の場所が記された看板が立っていた。
「ユーリは、別枠でした?」
「うん、向こうの本部の方で、検査官が待ってるから」
ユーリの免許は計器飛行や超高高度への上昇、極超音速飛行が許可された極めて特殊なものだ。免許の技能検査はユニオン――両親が所属している国際組織――の施設か、こうして県警本部であらかじめ連絡を入れて、特別枠で受けることになっていた。
生憎ユニオンの施設での検査はユニオンでの試験日程とかぶってしまったので、こうして一般人として警察で受けることになった、と言う形になる。
ユーリはバックからユーリのフライトスーツを取り出すと、腕に抱える。そこでふと、アンジェリカを真正面から見据えた。
「……なんですの?」
「アンジー――ユー、クリア、フォー、テイクオフ!」
いつもとは逆の、アンジェリカに向けた、彼なりの激励。一瞬ぽかんとした表情を浮かべたアンジェリカは、すぐにその意図に気付くと、ニッと笑った。
「ユーリ、ユー、クリア、フォー、テイクオフ!」
二人で拳をこつんとぶつけて、ユーリはアンジェリカにバックを渡すと背を向けて歩き出した。
県警察航空隊本部の、裏手の出入り口。受付のある方ではなく、来客用の入り口。ユーリはインターホンを鳴らすと、スピーカーに口を近づける。
「穂高、ユーリです」
インターホンの向こうから返事があった。鞄から学生証を取り出して待っていると、航空隊のスカイブルーの制服を纏った天狗の男性が階段を駆け下りきて、ドアの鍵を開ける。学生証を差し出しながら、ユーリは言う。
「穂高ユーリです」
「はい、話は聞いています。どうぞこちらへ」
天狗の航空隊員についていって建物内を歩く。通されたところはロッカールームだった。
「検査員はハンガーで待ってます。フライトスーツに着替えたら、ロッカールーム出て右の階段を降りて、ハンガーに来てください」
「わかりました」
「ここのハンガーは開いてます。使ってください」
天狗の航空隊員がロッカーを開けたのに、ユーリは頭を下げて礼を言う。隊員はそれだけ言うとロッカールームを出ていった。
ユーリはフライトスーツをベンチの上に投げ出すと、鞄から電子航空免許を取り出す。鞄をロッカーに放り込んでシャツを脱ぐと、鍛えられた細身だが筋肉質の彼の身体が姿を現す。下着一枚になり、フライトスーツを着込む。フィットしているかどうか軽く関節を動かしながら確かめて、ハーネスを締める。最後に左腕に電子航空免許を左腕に巻いて、小さく息をついた。
「……やるぞ、僕」
脱いだ服を畳んでロッカーに放り込んだ。ロッカーを閉め、ロッカールームを出ていく。彼が出ていったあと、ロッカールームには静けさと、しばらくしてから遠雷の様な音がかすかに響いているだけだった。




