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青春と幻想のストラトポーズ  作者: 失木 各人
01/Chapter:"インターシスター"
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21/Sub:"戦術的敗北"

 ユーリは廊下を奥に向かって歩き出す。小さく床をきしませながら歩くと、見知った扉の前へ。襖を開けると、なんてことはない、三月まで彼が使っていた、六畳ほどの自室が広がっていた。ユーリは部屋に入ると後ろ手に戸を閉め、畳の上をすべるように歩いて部屋の真ん中に歩いていく。すっかり物が運び出された彼の部屋。部屋の真ん中に座り込むと、彼は小さく息をついた。鼻を通って喉から肺へ、流れ込んでくる畳や木の建材の匂い。慣れ親しんだ匂いだった。

 ごろりと寝転んで天井を見上げる。木目が流れる天井をじっと見つめていると、まるで動いているように錯覚してくる。子供の頃から眠れない夜は、どうもこうして天井を眺める癖があったとユーリはぼんやりと思う。


「ユーリ、帰っていたのですね」


 急に声をかけられ、身体が跳ね上がるような感覚。慌てて声の来た方を見ると、そこにはスーツ姿の母親の姿がいた。

 気配もしなかった。いつのまに?


「うん、ただいま。母さん」


 ユーリがのそのそと起き上がる。ぼんやりとしていた所を急にたたき起こされた形になるが、スリープモードになりかけていた脳はすぐに通常モードになった。


「調子はどうですか? 生活は上手くいっていますか?」


 母親はユーリの向かいに正座すると、柔らかい表情で彼に問いかけてきた。綺麗な、背筋の芯が通っているような正座。自然と、胡坐をかいていたユーリの背筋も伸びる。


「うん。大丈夫だよ。何だかんだ上手く行ってる……と思う」


 ユーリが苦笑いしながら言う。頭の中に思い浮かんだのはアンジェリカの笑顔だった。彼はそれを消そうと努力するが、彼女が浮かんでは消えてくれなかった。その様子を見ていた母親は、ふっと口元を小さく緩めてほほ笑んだ。


「元気そうで何よりです。安心しました」


 金色の竜の瞳が柔らかそうに微笑んでいた。ユーリはそういえば、と言葉を繋げた。


「今日来た理由なんだけど、いい?」

「構いませんよ。まぁ、大体の察しはついてますが」


 そう言うと、母親の表情が少し硬くなった。一方のユーリは。来る事情が察せられているのは想定の範囲内だったので、特段の驚きはなかった。

 ――過保護、ねぇ。

 アンジェリカに言われたことを何となく思い出しながら、彼は脳内で整理していた今回の要件を言い始めた。


「まずは今度の十一日、皆既日食があるのは知ってるよね」

「おおかた、飛びに行きたい、って所でしょうね」

「うん、正解。問題は」ユーリはいったん目をそらして、そうしてもう一度母親の瞳を見据えた。「僕らだけで、フライトをしたい」


 それを聞いた母親は一瞬目を丸くした後、静かに目を閉じて小さくため息をついた。


「駄目です。そもそもコパイロットはどうするつもりなのですか」

「アンジーがやる。彼女はその努力をしてるし、僕も手伝ってる」


 母親が言葉に詰まる。彼女の才能と爆発力、バイタリティは母親も認めるところがある。彼女のことを信用している方だろう。


「……それでも駄目です。子供達だけで、海上でのフライトなんて」


 ユーリはそこで、ポケットから携帯端末を取り出した。手元で軽く操作をして、再びポケットにしまい込む。


「フライトプラン」ユーリは母親を真っすぐ見据えながら言った。「僕らで、立てたんだ。書式も行政に提出できる奴を、みんなで、考えて。今母さんの端末に送ったから、見て」


 母親がスーツの内ポケットから携帯端末を取り出す。手元で操作して、そこに表示されたフライトプランを見て、彼女は目を疑った。


「これを、貴方たちが?」


 フライトプランは完璧だった。ウェイポイント、巡航高度、気象条件による代替ルート、そのほかの飛行に必要な情報が精密に書き込まれている。あとは定形フォーマットに入れればすぐにでも受理されるだろう。巡航高度も旅客機と競合しない高度だ。超音速飛行も海上で、速度制限に関しても問題ない。

 ――あとは、私のサインがあれば、完成する、ということですね。

 母親は、自分の息子が自分の想像より成長していることに驚きつつも、うれしく思っていた。あの子が、よもやここまで。幼いころからゆくゆくは、とゲルラホフスカ家と母親の実家であるヴィトシャ家の伝手をたどって、二人を引き合わせたのはやはり正解だった。思ったよりユーリとアンジェリカを婚約させたのは、彼とその周りに良い影響を与えたようだ。

 だが、しかし。親としての最低限の義務と言うのも、果たさせてもらおう。


「駄目です。やはりあなたたちだけでフライトするというのは危険すぎます」

「だから、綿密なフライトプランと、十分な準備を――」

「――では、貴方に単独での海上飛行の飛行時間は?」


 そこまで言われて、ユーリは一瞬黙ったのち、十五時間、とつぶやく。


「その通りです、いくら技能が高いとは言え、経験がなければ素人と変わらないのは、よく知っているでしょうに」


 それはアンジェリカの考えと共通することだっただけに、ユーリは返す言葉がなかった。そんな彼の様子を見ながら、しかし、と母親は続ける。


「……このフライトプランは見事なものです。このプラン通りに飛行をすることは、許可します」


 ユーリは、苦笑いを浮かべた。こういうのを、戦術的敗北って言うのかな。残念がるアンジェリカの顔も浮かんだし、まぁそうですわね、とその感情を抑える彼女の様子も、どちらも容易に想像できた。


「第一、サドルユニットはどうするつもりだったのですか? 前回アンジェリカを乗せて飛んだ時のように、ユニオンから借りるつもりだったのです?」

「僕も一応、まだ『特別民間技術協力員』だからね。そこは」ユーリは母親をしっかりと見据えて、小さく笑みを浮かべる。どこか、彼の婚約者と似た笑みだった。「使えるコネクションは、使うつもりだったよ」

「最後には親頼りですか。まだまだ甘いですよ、ユーリ」

「使うものは使う。そう、教わったから」


 そう言って静かにほほ笑むユーリを見て、母親(リリア)は一体誰に似たんでしょうか、と苦笑いを浮かべた。きっと私と(理人さん)の、両方に違いない。良くも――悪くも。


「わかりました。もうすぐ理人さん(お父さん)が返ってきますから、話を通してもらいましょう」


 どこか嬉しそうな、そんなため息とともに母親が呟くのに、ユーリは小さく頷いた。

 部屋を出て静かに廊下を歩く。ユーリが歩くたびに小さく床をきしませるのに対して、母親は踏み出す時にほんの小さな音を立てるのみで、廊下を滑るように歩いていく。そういう足運びなのだろうか。アリアンナもできるのか、今度聞いてみようとユーリは何となく思った。

 大広間にまで来ると、母親はお茶を作ってくると言って台所へ向かっていった。ユーリは独り、畳の上に腰を下ろして大広間の中央に置かれた長い机に手を投げ出す。そっと自分の両手の掌を眺める。なんてことはない、傷一つない掌。ぼんやりと掌を眺めたまま、握ったり開いたりを繰り返す。


「おっ、帰ってきたのか」


 急に左から声をかけられたのでびくりと肩を震わせると――さっきも経験した。両親は僕に急に声をかけて驚かせるのが最近の趣味なのか?――そこにはスーツ姿の父親が上着を脱いで腰掛けていた。脇に脱いだ上着が畳んで置いてある。


「父さん、いつのまに」

「今、ちょうど現れたところだな」


 そういう彼の右手には、今脱いだばかりなのだろう、革靴がぶら下がっていた。


「母さんに怒られるよ」

「いやいや、ユーリが帰ってきてるって聞いたら、いてもたってもいられなくてな」


 どうやら玉江経由で連絡が行っていたらしい。父親は靴をまとめて持っていた右手を軽く持ち上げた。

 音もなく、その先に黒い、まるでそこだけ世界が何かで塗りつぶされているかのような空間が、見えない点から木が枝葉を茂らせるようにして空中に現れる。父親はそこに靴を放り込むと、空間は音もなく消えて、黒い領域は跡形もなくなった。


「また横着して」

「いやはや、耳が痛い」


 そう言って苦笑いを浮かべる父親。母親もそうだが、六〇歳近いはずなのに見た目は完全に二〇代半ばのそれだ。こうして並んでいると兄弟か何かと間違えられることもあった。


「仕事のことは聞かないよ」

「ん? 今日は別に()()()()()()仕事だったのに」

「別に。興味ないし」

「つれないねぇ」


 二人の間に沈黙が流れる。父親は両手を後ろにつき、上体をのけぞらせて天井を見つめる。ユーリは手を開閉させるのをやめ、だらりと机の上に投げ出しながら眺める。腕は引き締まっていて、筋肉の形がはっきり分かる。もう少し筋肉をつけた方がいいかもな。なんとなくそう思った。


「……技術開発部から、依頼があってだな」


 父親がぼそりと言った。ユーリは父親の方を向いた。


「竜族用の新型可変式フライトスーツを作るのに、壊すつもりで限界まで酷使したデータを集めたいらしい。母さんと俺に話が回ってきたよ」

「酷使って……と言うより、可変式ってことは、母さんの『コルディス』と同じようなものってこと?」

「いや、運用コンセプトや基本的な仕様は同じだが、あそこまで複雑怪奇でゴージャスなものじゃないさ――作りたがっては、いたがな」

「うへぇ」


 たびたびこうして仕事の話を聞いていると、時々出てくる技術開発部。一応ユーリもそこの特別民間協力員ということにはなっているが、基本変な人ばかりだった思い出しかなかった。


「そういえば、ユーリは今日急にどうした? 親父の胸板が恋しくなったか?」

「胸は間に合ってるよ――いや、今度、アンジー達と一緒に遠乗りでもしたいなって」


 ほほう、と父親は興味深そうに声を上げる。だがどこか、やっぱりか、とでも言いたげな雰囲気を纏っていた。


「で、母さんに交渉してあえなく撃墜、と」

「なんでわかったの?」

「そのションボリした背中を見りゃ誰だってわかるさ」


 そう言ってケラケラ笑う父親に、そんなにわかるものなのかな、と疑問符を浮かべるユーリ。しかしあまり深く考えても無意味そうなので、考えないことにした。


「で、どんなプランを立てたんだ?」

「信州空港から離陸、奄美沖まで成層圏をハイパーソニックで飛んだあと、日食の本影と同期して飛行、本州南で離脱して帰投。フライトプランも、コパイとしてアンジーの訓練もしてた」

「……わぁーお。そいつはなんというか」


 ヘビーだな。そう父親が苦笑いを浮かべると、ユーリはやっぱりかとつぶやいた。


「それを子供だけでやろうとした、ってところか」

「無謀だ、って言われたよ。自分で今考えても、そうだと思う」


 そうか、と父親は言った。ユーリの声に、後悔か、悔しさがにじむ。


「だが、お前はそれをやりたいと思って、自分でできることはやったうえで、それを俺たちに持ってきた。自分でできることとそうじゃないことがはっきりわかっていたんだ。それは立派で、無謀じゃない点だ」

「でも計画自体は無謀だった」

「それを判断するのは責任を取る側の仕事だ。お前が気にすることじゃない」


 ただ、と父親は付け加える。


「責任を取る立場に回るってことだ。そこはまだ課題だな」

「……うん」


 そう言って、父親は黙ってユーリの頭をわしゃわしゃと撫でる。硬い掌。その感触がいやに心地よかった。


「あら、理人さん、お帰りなさい」

「あぁ、ただいま。話はユーリから聞いたぞ」

「ならば話は早いですね。サドルユニットの使用申請、話を通しておいてください」

「はいよー……って、ちょっと待て」


 そう言って父親はしばし考えを巡らせる。そしてしばしののち、ユーリの方を向くと、ニッと笑った。


「丁度良かった、かもな」


 ユーリと母親は、同時に疑問符を浮かべた。


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