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青春と幻想のストラトポーズ  作者: 失木 各人
01/Chapter:"インターシスター"
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17/Sub:"モーニングコール"

 遠雷の様な音で、目が覚めた。

 アンジェリカがゆっくりベッドの上で重い瞼を開けると、ボンヤリと聞こえていた外界の音がはっきりと脳内に響く。隣にあった存在はなく、若干のベッドのくぼみと、ほのかに残った熱だけが存在の跡を残していた。

 飛行術式の高音、翼が大気を叩き切る音。音に気を付けてか、普段よりは抑えているのだろう、いつもより若干静かだがユーリの物で間違いなさそうだ。出力を絞っている様子を見ると、どうやら着陸アプローチをしているらしい。

 朝から元気ですこと。

 アンジェリカが寝ぼけ眼をこすりながらベッドから降りると、カーテンの隙間から差し込む光がちょうど目に突き刺さる。焼けるような錯覚を覚えて思わず目をそらすと、暗い室内が一層暗く見えた。

 彼女は窓際まで歩いていくとカーテンを掴み、勢いよく開け放った。青い空と雲一つない空、そして輝く太陽。いい天気だ。その青空の中を、こちらに向かって降下してくる光を彼女はすぐに視界にとらえた。

 さっきの音が聞こえてから今こうしてアプローチしてくることを鑑みると、どうやら上空をフライパスしたのちに一八〇度旋回、オーバーヘッドアプローチで降りてきたらしい。騒音に気を付けて高い高度から一気に急旋回で速度と高度を殺そうとしたのだろう。確かに静かではあったし、地上ではほとんど聞こえないだろう――アンジェリカが目を覚ますには、十分だったが。

 すっかり彼の飛行音で目が覚めるようになってしまった。アンジェリカは小さくため息をつく。それもこれも、『ユーリが飛ぶのを少しでも目にいれていたい』なんて思っている自分の悪癖でもあるのだろうが。

 小さくため息をつきながらユーリが着陸するのを眺める。滑らかに空を翼で切り裂きながら降下してくる彼は、ゆっくりと翼を広げながら揚力を増していく。揚力と同時に抵抗の増した翼で大気を受け止めながら、目標となる屋敷の正面に向けて、文字通り『空を滑るよう』に滑空しながら、ゆっくりと迎角を増して降下。速度と高度を落としていき――タッチダウン。


「あら」


 着陸の際に軽く小走りになった。普段ならほぼ完璧に速度を落としている所なのに、珍しい。ユーリは翼を軽く翼を動かして畳むと、玄関を開けた。

 わたくしも支度をしないと。アンジェリカはネグリジェを脱ぎ捨ててシャワールームに入る。蛇口をひねると冷たい水が肌を突きさす。はっと目が覚めるような感覚。すぐに蛇口から出てくる水はじんわりと温まっていき、やがて温かい湯が肌を撫で始めた。

 頭からシャワーの湯をかぶった。髪と髪の間にこびりついていた汗が流れていく感触。心地よさに、アンジェリカは色っぽくため息をついた。身体から寝汗が流れていく感触が心地よく、いつまでもこうして湯を浴び続けていたいとふと思ってしまう。だがあまり長く浴びるわけにはいかない。早く出て支度をしなければ。

 手早く頭を洗って、流してシャワーを止める。彼女の豊かな胸の表面を、なぞるように水滴が滑り落ちていった。シャワールームから手を伸ばして、タオルを取って身体を拭く。

 髪を拭きながらシャワールームを出ると、ユーリがフライトスーツを脱いでいた。彼はドアの音に気付いてアンジェリカの方を見ると、一瞬で顔を紅く染めて顔をそらした。


「シャワー、空きましてよ」

「……うん、入ってくる」


 ユーリが顔を真っ赤にするのとすれ違いながら、アンジェリカはタンスを開けた。お気に入りの赤い下着をつけて、ブラを背中のホックで留める。デザインはいいが、こう見えて身体のサポーターとして十分な働きをする高性能品だ。起伏に富んだアンジェリカの身体でも、動きを阻害することなく動ける。必要なものにはきちんとお金をかける。それが彼女のポリシーだった。

 刺しゅうの入った黒いタイツ――繊維はCNT繊維でできていて、非常にきめ細かく、保温に優れ、紫外線反射率が高く、高い防刃性がある――を履き、二の腕まである黒い手袋をつける。これもタイツと同じ生地でできていた。肌触りはまるでシルクのように滑らかだった。

 シャツを着て、ダークグレーのブレザーを羽織る。赤いスカートを履いて、黒いカチューシャを付ける。カチューシャには赤い蝶の飾りがついていた。お気に入りのやつだ。

 ベッドに腰掛けながらユーリがシャワーから出てくるのを待つ。ふと外を見ると、そこには青い空がただ広がっていた。雲は見えない。

 今日の空は、どんな空だったのかしら。

 アンジェリカがぼんやりとそんなことを思いながら窓の外を眺めていると、シャワールームが空く音がする。そちらを振り向くと、ユーリが寝間着を羽織りながら出てきた。


「ユーリ、着替えて朝ごはんにしましょう」

「うん、ちょっと待ってて」


 ユーリはアンジェリカの視界の外に出て服を着替えだす。彼女はユーリの方を振り向いて、彼が着替える様子を眺めた。幼い顔と不釣り合いにも見える、がっしりと鍛えられた身体。腹筋は見事に割れていて、それでいて空を飛ぶために絞られた身体。体脂肪率など一桁前半ではないのだろうか。まるで芸術品の様なそれに思わず見とれる。


「……アンジー?」

「続けて、どうぞ」


 アンジェリカが嘗め回しように見てくるのに気づいたユーリが思わず声を漏らすが、彼女はそれを遮るように言う。しぶしぶ彼は着替えを続ける。ワイシャツを羽織り、ズボンを履く。


「ユーリ、腕を上げてくださいまし」

「え、アンジー……あ、わかったよ」


 ユーリが彼女の方を見ると、上着を持ったアンジェリカが目に入った。彼女がユーリの背中の高さまで上着を持ち上げたのを見て、彼は彼女に背中を向けて彼女が差し出した上着に袖を通す。ダークグレーの上着。


「……なんだか恥ずかしいな、これ」

「ふふ、わたくし的には満足ですわ」


 にこやかに笑うアンジェリカに、思わずユーリもつられて笑い返す。

 二人はスリッパをはいて部屋から出ると、階段下から声が聞こえてきた。階段を降りて食堂に入ると、制服を着たアリシアとアリアンナが食堂で談笑していた。


「お姉さま、アンナ、おはようございますわ」


 アンジェリカがそっとスカートをつまんで背筋をピンと伸ばしたまま左ひざを後ろに引き、右足の膝を軽く曲げた。飾らない、ごくごく自然なカーテシーの動作だった。


「おはよう、アンジェリカ」

「おはよー。姉さんにユーリにぃ」


 二人がアンジェリカとユーリに挨拶を返してくる。


「二人ともおはよう」


 ユーリがそう言いながら台所まで歩いていくと、台所の上にはユーリが朝のフライトに出かける前に作っておいた昼食の入ったタッパーとジャーが置いてあった。

 彼はその隣の作り置きしていた朝食の前に歩いて行った。切ってあった食パンをオーブンに突っ込み、フライパンに油をひいて温める。目玉焼きをひっくり返してオーバーイージーで焼き上げると、小気味の良い音とともに焼き上がったトーストにレタスとハム、手軽にケチャップとマヨネーズを混ぜて作ったオーロラソースと一緒に挟んだ。それをプレート皿の上に乗せた。オレンジを縦に八等分して、中央の筋を切り落とした後、皮と果肉の間に包丁を入れて切ったスイカのようにしたものを横に添えた。


「アンナ、運ぶの手伝ってー」

「はいはーい」


 ユーリの呼びかけにアリアンナが答えて食堂に入ってくる。二人で食堂に皿を持っていくと、アリシアとアンジェリカが行儀よく椅子に座ってこちらを待っていた。


「あら、サンドイッチですのね」彼女が長手袋を脱ぎながら言った。「これなら手袋をつけずに来た方がよかったですわ」

「包み紙用意しようか?」

「結構ですわ。そこまで手間をかけさせるもでもありませんし、冷めると勿体ないですもの」


 アンジェリカがほほ笑むのに一瞬ドキリとしつつも、ユーリは皿を並べると台所に戻る。全員分のコップに牛乳を注ぐと、器用に片手でコップを二つずつ両手に持って食堂へ向かう。食堂ではアリシア、アンジェリカ、そしてアリアンナの三人が席に座ってユーリを待っていた。


「はい、どうぞ、アリシア姉さんはいつも通り多めね」

「わざわざ言わなくてもいいわよ……」

「姉さん、牛乳の摂取量とバストサイズの相関関係は無いって知ってる?」

「うるさいわね! 成長を見込んでのことよ!」


 アリシアがアリアンナをキッと睨む。その様子を見てアンジェリカはため息をついた。


「冷めちゃいますわよ」

「そうだよアリサ姉さん、冷めちゃうよ?」

「冷めちゃうよ姉さん?」

「私の味方はいないのか……」


 アリシアはユーリの制服の下の胸板を眺める。鍛え上げられている彼の胸板は、下手をすればアリシアの胸よりも起伏があった。その事実がひたすらに彼女を傷つけた。


「私も胸筋鍛えようかしら……」


 アリシアがぼそりとつぶやくのを尻目にユーリは席についた。


「では皆さん――いただきます」


 そうアンジェリカが言うのと共に、全員で唱和するように「いただきます」と言う。

 ユーリが出来立てのサンドイッチにかぶりつくと、まだ熱を持った目玉焼きの香ばしさとトーストの香り、シャキシャキしたレタスとハムの感触、そしてオーロラソースの酸味が口の中で混ざり合う。我ながらよくできた、と自画自賛した。


「さて」


 上品にサンドイッチをほおばっていたアンジェリカが口を開く。ほかの三人はサンドイッチにかじりついたまま彼女の方を見た。口は動いたままであった。


「今日から新学期が始まりますわ」


 アンジェリカが言う間も皆はサンドイッチに一心不乱にかじりついている。どうやら好評のようで良かった、次はクラブハウスサンドに挑戦してみるか、と心の中でユーリは考える。


「わたくしとユーリは今日から高等部になりますわ。新しい環境、新しいクラスで、ゲルラホフスカ家と穂高=ヴィトシャ家のつながりを周囲に知らしめるいい機会で――」

「冷めちゃうよ?」

「そうよ、冷めちゃうよ?」

「冷めちゃうよ、アンジー」


 全員から無言の圧力を受けるアンジェリカ。うぐ、と黙り込む。


「……そうですわね」


 そう言って無言でアンジェリカもサンドイッチにかぶりついた。なるほど、温かい方がおいしいだろう、これは。


「ともかく」サンドイッチを完食したアンジェリカが言う。「一族に恥じない振る舞いをするように、いいですわね?」


 一瞬アリシアとアリアンナが「お前がそれを言うか」と言いたげな顔をするのをユーリは見逃さなかったが、心のうちにしまい込んだ。結局尻をぬぐうのは自分の仕事だ。ユーリは小さくため息をついて、サンドイッチにかぶりついた。


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