15/Sub:"採用面接"
高度三千フィートは言われた通り空いている。今日の大気条件でこの高度では雲も出ていないため、良好な視界の中ユーリは巡航した。まばらに散る高積雲に時折太陽が見え隠れする中、ユーリは二〇〇ノットで飛行。一〇分もしないうちに新松代大学が見えてきた。
ユーリは進行方向のクリアランスを確認しつつ、速度と高度を下げていく。新松代大学の南方向からアプローチしつつ、目標のキャンパスのやや東を一度フライパスした。着陸地点の様子を確認しつつ、ユーリは左に一三五度ロールしたのちにピッチアップ、急旋回。一気にユーリの翼が減圧雲のヴェールを纏い、翼端からベイパートレイルがたなびく。全身にかかるG。大気に身体を押し付けられ、翼の表面を流れていた層流が乱流へと変化し、びりびりと翼とユーリの身体を震わせる。スライスバック。急旋回と同時に速度が一気に落ちるが、高度を下げることで増していく速度を相殺していく。オーバーヘッドアプローチをかけたのは、駅前のビルが降下の邪魔になりそうだったからだった。
そうやって大学と川を挟んで反対側の、河原の公園に降り立った。公園は人がまばらで、子供連れの夫婦がこちらを驚愕の表情で見ているのに気づき、ユーリはそそくさと翼を畳んでトイレに走り出す。
トイレの前でユーリは人形態に戻り、飛行用鞄の中から靴を取り出した。無造作にそれを履くと、トイレの個室に入った。
あまりマナーはよくないが、この際仕方はない。ユーリはいったん靴を脱ぐと、フライトスーツを手早く脱ぎだす。ハーネスをてきぱきと緩め、フライトスーツを脱いで下着一枚になるとユーリは鞄の中から制服を取り出す。上着は持ってこれなかったし、飛行用鞄のサイズは限られていたので長ズボンとポロシャツ一枚だ。三月で晴れて暖かいとは言え半袖一枚はまずかったかな。普段高度数万フィートを飛んでいる彼にとって地上の気温差はそれほど問題にはならなかったが、浮いた見た目になっているかもしれない。どうしようか悩んでいると、妙案が浮かんだ。ユーリはフライトスーツのインナーと機関部を外すと、インナーのみを着る。そしてその上からズボンとポロシャツを羽織った。
うむ、おしゃれと言うわけではないが、何とか体裁はごまかせそうだ。幸いにも機関部との接続部はポロシャツに隠れて見えない。スポーツ用のインナーでも着ているように見えるだろう。
ユーリは機関部のみを飛行用鞄に押し込むと、片手に鞄を抱えて靴を履き、外に出た。上空から見た景色を思い出しながらキャンパスに向かって歩き出す。
キャンパスは公園から川を渡ったところにある山全体がキャンパスだった。ユーリは橋を渡ってキャンパスに向かうと、右側に真新しい建物が並んでいるのが目に飛び込んできた。道路を挟んで反対側の、左の森の中に続く道の向こうには、図書館らしき建物が見える。よく見えないが、壁がガラス張りになっている建物の中に本棚が並んでいるのがかろうじて見て取れた。
とりあえず右側のエリアに入ると、左側に『A』から『C』と描かれた四階建ての建物がずらりと並んでいる。建物の前は広場になっていて、反対側には売店とカフェテリアがあった。奥には自転車が並び、テニスコートがある。
「えーと、地球科学系地球科学系は、っと……」
ユーリは広場の入り口にあった案内板を見て、目的の建物を探す。
結論から言うと、ここではなかった。地球科学系のある理学部は山の上らしい。ユーリはとぼとぼと山を登る片側一車線の道路の歩道を歩きだす。あまりきつくはないが、無駄足を踏んだ感覚が強い。これなら山の上のキャンパスに直接着陸すればよかったかもしれない。山の緑はすでに冬から春の模様へと変化し、木々に新緑が芽吹き始めている。原生林なのか、時折桜の木が茶色と緑のモザイクの中に鮮やかな桜色を目立たせていた。
一〇分ほど緩やかな上り坂の車道を登っていくと、木立の間から背の高い建物が急にぬっと顔を出した。どうやらあれが目当ての建物らしい。ユーリの足が心なし早くなる。
キャンパスの前まで来ると、まるで巨岩のように立ち並ぶ建物群が目に入った。そしてキャンパスの入り口の交差点のところに、大きな看板が置いてある。どうやらキャンパスの案内図らしい。地球科学系は入ってすぐのところになるようだ。
交差点の分岐を進み、キャンパス内に入る。坂道だらけで、あちこちに木が植えてあって、なんだか山の中のようだった。ユーリはすぐに目当ての建物を見つけた。建物の前に『地球科学棟』と銘板が置かれている。間違いなさそうだ。
入口の自動ドアから中に入ると、目の前にはエレベーター。左を向くと細長い通路が見えた。そちらへ進むと、階段の入り口を過ぎ、すぐに『事務室』と描かれたドアが左にあった。『御用の方はこちらへ』とも書かれている。ユーリは鞄の中から学生証を取り出すと、二回、軽くノックをする。返事が返ってきたので、中に入った。
「すみません、槍沢中学の者ですが、アルバイトの募集の件でお伺いしたのですが……」
「えっ、もう!?」
ユーリに返事を返してきた化け狸と思われる――耳と尻尾が生えていた――眼鏡をかけた女性が驚いた表情でこちらを見る。彼が差し出した学生証を見ると、メガネの端をつまんでそれをしげしげと眺めていた。十数秒、信じられないと言った顔で学生証を見ていた女性だったが、どうやらようやく理解ができたらしく、今電話をつなぐので待っててくださいねと言ってパタパタと事務室の奥に走っていった。
「はい……そうです、槍沢中学の子です……はい、まだ二〇分くらいしか経ってないですけど来ちゃって……はい、わかりました」
話が終わったのか、女性が受話器を置いてこちらに歩いてきた。
「六階の一番奥の部屋が大気物理学グループ気象学研の部屋なので、そちらに行ってくださいね」
「わかりました」
受付の女性に頭を下げて事務室を出る。エレベーターを使おうとして、やめた。ユーリは階段の方に向き直ると階段を一歩ずつ登り始める。蛍光灯に照らされた階数の表示が薄暗い階段を照らしていた。
六階まで登ると、人気のない廊下が目に入った。左右にドアが並んでいて、講義室と書かれていたり、教授の部屋だったりと表札が書かれている。
一番奥の部屋、だっけか。
蛍光灯が照らすクリーム色の廊下を進んでいく。壁にはその研究室の研究成果なのだろうか、発表で使ったと思われるポスターがずらりと貼ってあった。ユーリはその内容を横目で見ながら一番奥の部屋まで歩いていく。
一番奥の部屋まで進むと、部屋のスライドドアの向かいに椅子が並べて置いてあって、そこに二人、座っていた。座っている誰もが大柄で、腕が翼になっていたり背中から翼が生えていたりした。どうやらユーリと同じようにバイトの面接に来たようだ。生憎六つほどずらりと椅子が並べてあって、そこに二人が椅子の間を一つ開けて座っている。ユーリも隣の背中から羽が生えた大柄な男性――多分天狗だろう――と、一つ席を開けて座った。
ユーリが座ると、奇妙な静けさが辺りを包む。視線を感じてちらりと横を見ると、椅子に座っていたほかの二人が物珍しそうにこちらを見ていた。ユーリの視線に気づくと、さもこれまで見ていなかったとでも言わんばかりに目をそらす。
どうでもよかった。ユーリは小さく息をついて正面のドアを向く。膝の上に鞄を置いて、両手を組んで待ちぼうける。中からは面接のだろうか、声がかすかに聞こえてくるが内容は聞き取れない。
ふと待っているとドアが唐突に開いた。中からがっしりとした体格の男性が出てくる。オレンジ色の瞳は縦に細くなっている。ユーリの金色の瞳を見た瞬間、男性はぎょっとした表情ですぐ目をそらした。ワイバーンか。ユーリは一瞬向けられた霊力からすぐに相手の種族を判別する。まるでロックオンレーダーのように霊力が向けられるのを感知した。
男性はそそくさと廊下を立ち去っていく。いらだっているのか、歩調が体格に対して広いなとユーリは冷静に観察していた。体幹もブレている。力はありそうだから加速はいいだろうが、あまり長距離を高速で飛ぶのはきつそうだな、とぼんやりとユーリは思った。
「次の方―……って。うわっ、ほんとにもう来てる!」
中から顔を出してきた若いヒトの女性が、ユーリのことを見た瞬間にギョッとした表情を浮かべた。
「ごめんなさい、ちょっと待っててください」
次の方―、と女性が言うと、隣の天狗の男性が立ち上がり、部屋の中に入っていく。一〇分ほどだろうか、男性が出てきて若干肩を落としながら階段の方に向かって歩いて行った。続けて女性が入っていくが、同じように出ていった。
何だったのだろうか。若干不安になる気持ちを抑えつつ、呼ばれてユーリも中に入る。
「失礼します」
一言言ってから頭を下げて入ると、研究室の黒い机の向かい側に先程の学生と思われる女性と教授と思われる人がほかの生徒と合わせて四人、並んでいる。教授と先程の女学生は人間だが、他の二人はそれぞれ額に角が生えている女性と、頭の上に狐の耳が生えた男子学生だった。
「どうぞ、お掛けになってください」
そう初老の教授がこちらに言うのに、ユーリは小さくうなずいて座った。
「えーと、穂高、有理君で合ってますか?」
「はい、槍沢中等学校三年の穂高ユーリです。四月から高等学校一年生になります」
なるほど、と教授が言うと、手元の書類に目を落とした。
そのあとはごく普通の会話だった。仕事内容の確認と、掲示通りに働けるかどうかの確認。それらの問いに順番に答えていく。
「では、どうしてこのアルバイトにしようと思ったのです?」
その言葉を聞いて、ユーリはふむん、と一息考える。なんて言おうか。さすがに『チラシを見てピクリと決ました』では通じないのはさすがに分かっている。さてなんて言おうか――。
だが、そんなユーリの思考とは裏腹に、彼の本能は、本心は。答えを口から出力していた。
「空が好きだからです」
「――ほう?」
ピクリと教授の眉が動く。心なし嬉しそうだ。
「空が好きだからです。空を飛ぶのが好きで、普段空をよく飛んでいます。その時に巡り合う様々な大気現象を研究していると聞いて、その研究がどんなものか、関わってみたかったからです」
「なるほど。ほぅ」
ほうほうなるほどなるほど、とやや嬉しそうに手元の紙に目を下ろす教授。心なし周りの学生も苦笑いをしている。自然と口から出てしまったが、なにやら好感触だ。よかったかもしれないとユーリは小さく息をついた。
「では、さて」
教授が先程までの調子とは打って変わって、真剣な目でこちらを見てきた。ユーリの背筋も自然と伸びてきた。
「君、飛行性能はどれくらいだい?」
「へ?」
「具体的には、限界高度とか、最高速度とか、上昇速度とか」
ユーリはどう答えようか一瞬悩んで、正直に話すことにした。
「最高高度は十万フィート、速度はマッハ一五までは出せます。上昇速度も垂直上昇で四G出ると思います」
「なるほど十万フィート……じゅうまん!?」
綺麗な二度見を見たな、とユーリはなんとなく思った。
「え、そういえば、君、今日どうやってここまで来たの?」
「飛んできました」
「槍沢高校からここまで!?」
人間の女学生が聞いてきたのに答えると、狐の男子学生が驚く。そのあと、『ちょっと待っててね』と本日何度目かの『待ってて』を言いながら、何やらごそごそと後ろを向いて四人で話し合っていた。神経を集中させれば聞けなくもないが、別に他人の話を盗み聞きする気もないので黙って座っている。
話し合いが終わったのか、四人がユーリの方を向いてきた。
「と、とりあえず飛んでみてもらってもいい?」
「いいですよ」
即答するユーリ。
この後、ユーリは大学の外の広場から垂直上昇し、十万フィートまで上昇して戻ってきたのちに再び同じ場所に降り立って教授から真っ先にかけられたのは、『採用』の一言だった。




