09/Sub:"触れ合う"
「手伝ってくださいまし」
アンジェリカがもぞもぞ動きながら言う。ユーリは頷いて膝をついた。上半身を脱がすために、彼女の背中側に回って、上体を起こさせる。
「で、どうすればいい?」
「服を、ひっぱって、ください、ましっ!」
アンジェリカはなんとかこの状況から抜け出そうとしながら言うが、霊力を大量に消費して力の入らない身体では体にぴったりとフィットするスーツから出るのは至難の業だった。はじめは何とか自分で脱ごうとしたが、片腕を出そうとしたところで引っかかり、この有様だ。
「こういうのは無理に脱ごうとすると摩擦で余計脱ぎにくくなるよ。ゆっくり脱いでいこう」
「お願いしますわ……」
動くのにだいぶ疲れた様子でアンジェリカが言う。
ユーリはアンジェリカの服を引っ張る。彼女の着ているフライトスーツはユーリの着ているスーツと同じように繊維が着用者の体形を覚えていて、霊力が流れると伸び縮みした形から『元の形』に戻る、いわば形状記憶合金の繊維版だ。その上からハーネスで細かい調整をしなければいけないユーリのそれに比べて、アンジェリカのスーツは身体に完全にフィットするオーダーメイドだ。
ユーリが布を引っ張ると、それに合わせて彼女の服が少し伸びる。何度か引っ張ると、緩くなるのを感じてユーリは服を脱がせにかかった。外してある首の固定リングを持って、広げながらゆっくり首筋か下ろしていくと、すぐに白い肌の肩が露わになる。肩紐が見えて、ユーリはそれから意識をそらしながらゆっくり服を下げていく。
ふと、服が引っかかった。
「んっ」
アンジェリカが小さく息を漏らす。ふと見ると、彼女の豊かな胸のふくらみが引っかかっていた。
「っ!?」
そうだ、これがあった。ユーリは今更ながらその事実に気付いた。普段から押し付けられることはままあるが、こうやって触れるとなると話は別だ。しかも緩やかな普段着とは違ってぴっちりと肌に張り付くスーツを着ているため、かなりしっかり触れることになる。ユーリの手が止まった。それにいち早く気付いたのはアンジェリカだった。
「構いませんわ。見ず知らずの他人ならともかく、ユーリになら触られても構いませんもの」
「……アンジーはすぐそういうこと言う」
ユーリが頬を紅潮させながら言うと、アンジェリカは優しく微笑んだ。ユーリはゆっくりとアンジェリカの胸元に手を滑らせる。すぐに掌が柔らかい感触に触れる。アンジェリカが小さく声を上げた。
ぴったりと肌にフィットしている服と肌の間に手を入れ、押し広げて伸ばし、緩めていく。柔らかく、温かい海の上を滑っていくような感触。すぐに布に触れると、それが、彼女がつけていたスポーツブラだと気付いた。滑らかな布で覆われた柔らかさ、そして布越しに伝わってくる熱に、否応なしに鼓動が早まる。
何とか生地を伸ばし、上半身からゆっくりとスーツを脱がしていく。胸元まで下がったところでアンジェリカが両手を引き抜いた。彼女の汗で湿った上半身が露わになり、ふわりと彼女の甘い匂いがユーリの鼻腔に突き刺さる。腰のあたりまで脱がしたところで、ユーリは弾かれるようにアンジェリカから離れた。尻餅をつくようにして床に座り込む。
「ユーリ?」
「ごめん、ちょっと待って」
ユーリは顔を抑えながら言う。無意識にずっと息を止めていたせいで肺が酸素を求めて激しく動くが、そのたびにアンジェリカの香りが鼻の奥を流れていく。それのせいでユーリの鼓動はさらに早くなる。
ユーリは咄嗟に霊力を放出。自分に纏わせるように放出するドラゴンブレス。構うものかと空気が液化する勢いで身体を冷却する。一気に火照っていたからだが冷えていく感触。ユーリの皮膚に霜が浮かび、白い湯気が彼の身体を床に向かって流れ落ちていく。
「はぁ、はぁ……おーけ。やろうか」
「随分気合を入れ直しましたわね……」
反応されないのも嫌だが、オーバーリアクションされると困りますわ。そうアンジェリカがつぶやくのを聞き流しながらユーリはスーツの下半身に触れる。上半身と違って下半身は足で一直線のため、脱がしやすいだろう。ユーリは横着してスーツの足の部分を持つ。
「アンジー、足、このまま引っこ抜ける?」
「やってみますわ」
アンジェリカがもぞもぞと動くと、じわじわと脱げては行くが、彼女の力が弱まっているせいか、なかなか脱げない。ユーリは彼女の滑らかな足がどこか艶めかしく動くのから目をそらし、焦点を合わせないようにする。先程の冷却はすぐに効果をなくし、彼の体表には霜が溶けた水滴が張り付いている。
少し動いて、再びアンジェリカの動きが止まった。
「駄目ですわ。引っかかっているようで、脱げませんわ。ユーリ、先程と同じように内側から広げてくださいまし」
「わ、わかったよ」
ユーリは彼女に促され、アンジェリカの腰に触れる。
「きゃっ!」
唐突にあがる悲鳴。ユーリがとっさに手を放す。するとアンジェリカはムッとした表情でユーリを見据える。
「ユーリ、冷たいですわ」
「え……あっ」
ユーリが自分の手を見ると、先程の急冷のせいでついた霜が溶けた露がべったりとくっついていた。
「ご、ごめん」
「氷みたいでしたわ。ユーリの手」
アンジェリカがムスッとした表情でそう言うのを尻目に、ユーリは慌ててタオルで自分の手を拭いた。
「ごめん、じゃあ、今度こそ」
「……まだじんわり冷たいですわ」
ごめん。そう言いながらユーリはアンジェリカの太ももの部分に手を入れていく。先程と同じように生地を伸ばしていき、服を緩めていく。太ももと生地の間にほぼ隙間はなく、結果的に彼の手がアンジェリカの太ももを撫でまわすような形に。
「んっ……」
アンジェリカが小さく声を漏らすのに思わずドキリとしながら、くっついたままの生地と服を丁寧にはがしていった。
「これで抜けると思うよ」
「わかりましたわ……えいっ!」
そう言うのと同時に、アンジェリカが勢いをつけてスーツから足を引き抜いた。彼女の健康的な両脚が露わになり、床の上に投げ出される。
「ようやく脱げましたわ!」
「お疲れ。下着はできる?」
「それくらい問題ないですわ。ありがとう、ユーリ」
そう言いながらアンジェリカが目の前で下着を脱ぎだすのをとっさにユーリは目をそらして見ないようにする。パサリと、ブラとショーツが選択籠に投げ入れられる音がしずかな浴室に響いた。
「ありがとう、ここからはわたくしが――きゃっ!」
よろよろと立ち上がったところでバランスを崩し、転びそうになるアンジェリカをユーリは咄嗟に抱きかかえた。
「大丈夫?」
「すみませんわ。まだ体に力が入りそうにありませんわ……」
アンジェリカがユーリに体重を預ける。ユーリはごく自然と、彼女を支えた。
「ユーリ、重ね重ね申し訳ないのですけれど、一緒にシャワー。浴びてくださる?」
「わかった、いいよ――え?」
反射的に返事をしてしまった後に、彼は自分が今何を言われて、何を言ったのか思い返す。
うそでしょ?
「え、え、アンジェリカ。それは」
「身体を洗ってくださいまし。このままだとシャワールームの中で転びそうですわ」
「あ、うん。そうだね」
目を白黒させながらユーリが言う。わかっている。こうなるまで訓練をしてしまったのはユーリの落ち度であるし、そこは彼がフォローするべきだろう。そうだ、服を脱がせるまでやったのだ。何をいまさら――。
この時、ユーリの頭の中から完全に『アリシアかアリアンナを呼んでくる』という考えは吹き飛んでいた。
せめて、せめてどうにかならないのか。彼の頭の中で意味不明な思考が流れては消え、流れては消えを繰り返す。ようやく頭の中で棒に引っかかった思考をユーリは反射的に口に出した。
「み、水着着てくる!」
そう言ってユーリは静かに、一糸まとわぬ産まれたままの姿のアンジェリカを床に降ろすと、慌てた様子で風呂場を飛び出した。
ユーリはバタバタと二人の共用のタンスの前にかけていくと、自分の棚を乱暴に開ける。そこに丁寧にたたんで並べて入れられたもの。その端にあったものを乱暴につかんで取り出した。
取り出したのは、なんてことはない、男性用の黒い競泳水着。半ズボンの様な形だが、肌にぴったりと張り付いており、膝ほどまで長さがある。側面には滑らかな、波の様な模様が白く描かれていた。
ユーリは乱暴に自分の着ているものを脱ぐと、着ているものをベッドの上に放り投げ、あっという間に一糸まとわぬ姿に。そうして乱暴に水着を履いて、両手を壁につき、頭を壁に押し付ける。
「おちつけ、落ち着くんだ。そうだ大丈夫じゃないか、昔はアンジーやアンナやアリシア姉さんと一緒に風呂だって何度も入ったじゃないか。アンジーにふざけて湯船に落とされたり、アンジーに抱き着かれたり、アンジーに頭洗ってもらったり――」
ぶつぶつと思い出を反芻するが、思い出されるのはアンジェリカ関係のことばかり。それが彼を思考のスパイラルのドツボにはまらせる。
部屋を勢いよく出ていったユーリを見送った後、アンジェリカは小さくため息をついた。
「ちょっと勢いよく距離を詰めすぎたかしら……」
これまでユーリとは長年一緒にいて、それこそ風呂に一緒に入ったことなんて幼いころには何度もあった。それゆえアンジェリカとしては別に彼と一緒にシャワーを浴びることになんら恥ずかしさは――訂正。やはり、『男』として彼を意識してしまうと。そこには若干の恥ずかしさはある。しかし、それ以上に湧き上がってくるのは、彼を捕まえておきたいという独占欲の様な重く、ドロドロとした感情。ダークブルーの空を飛ぶ彼を、自らの腕の中に抱えて、縛り付けておきたい。そんな浅ましい感情を意識して、小さく息をつく。
胸の内側に燃え上がる熱。これはさっきユーリの血を衝動的に吸ってしまった前から、『あの時』からずっと彼女の中に渦巻き続けている、甘く、苦しく、愛おしい熱。
あぁ、ユーリ。
いまだに回復しない霊力切れの前身の脱力に身を任せ、彼女が熱に心をゆだねていると、ドタドタと音を立てて走ってきたユーリが風呂場のドアを開けた。
「っ! ごめん、おまたせ!」
「……水着が前後逆ですわ」
わずかな沈黙ののち、そっと、扉が閉められた。




