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青春と幻想のストラトポーズ  作者: 失木 各人
01/Chapter:"インターシスター"
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03/Sub:"ルーチンワーク"

 ユーリがフライトスーツの機関部を抱えて部屋に戻ると、アンジェリカは窓際の椅子に腰かけながら端末片手に何か――多分電子新聞だろう――を読んでいた。もう冷えているであろうハーブティーを、流し込むように飲んでいる。ユーリはフライトスーツの外した機関部を、クローゼットから取り出したハンガーに引っ掛けて壁についたフックに吊るす。

 彼はそのまま再びアンジェリカの向かいに座った。器用に椅子の背もたれの装飾の隙間に尻尾を通し、翼を広げて座った。さっきユーリがハーブティーを飲んでいたカップは、そのまま残っていた。

 ユーリは自分のカップにハーブティーを注ぐと、そこにドラゴンブレスを注ぎ込んだ。冷めた青い水面に浮かぶ、小さなコモンマロウの欠片、そこを中心として白い花が咲く。急激に冷却された水分がパキパキと小さな音を立てて凍っていく。水分子は冷却過程において六角形の形をとって凍結するのだ。ユーリはじわじわとドラゴンブレスの流量を調整しながら、水の温度をどんどん下げていく。水面に浮いた結晶の端から深い群青がゆっくりと靄のようにカップの底へ吸い込まれていく。靄はカップの底にふわりと当たると、カップの壁を這い上っていきカップのふちに達する。再び水面に上がってきた群青の靄は、そのままゆっくり白い氷の花に吸い寄せられていくと、氷の花に触れた瞬間再びカップの底に沈んでいく。

 これくらいだろうか。

 ティーカップの水面の中心に浮かんでいるのは、ピンポン玉ほどの大きさの、雪の結晶の様な形の氷の花。枝は樹状結晶(デンドライト)のように枝分かれ、そして年輪のように白い氷の花に青い筋が入っている。

 軽くティーカップをゆすると、底の方に溜まった濃い青色が揺れた。カップの表面が結露して露が滴る。それを見て、ユーリは満足げに小さく微笑んだ。


「何を見て――あら、いいですわねそれ」


 アンジェリカがこちらを見て目を小さく見開くと、そう呟いた。


「アンジーのもやろうか?」

「ええ、お願いしますわ。いい加減冷めたぬるい飲み物を飲むことにはうんざりしていましたの」


 ユーリは苦笑いしてアンジェリカのティーカップを受け取り、そこにハーブティーを注いだ。先程と同じようにドラゴンブレスを流し込む。


「何見てたの?」


 ユーリがアンジェリカに尋ねる。


「ニュースですわ」


 彼女はA4用紙ほどの大きさの端末を九〇度傾け、こちらに画面を見せてくる。そこには動画のニュースが映っていた。画面の向こうでは、ニュースキャスターがどこかの外国の町並み――多分ドイツだろうか?――を映しながらしゃべっているのが映っていた。テロップは英語だった。テロップをよく見ると、なるほど、選挙のことか。それだけ見るとユーリはすぐに興味をなくした。

「こんな特技があったとは知らなかったですわ」

 アンジェリカが端末を手元に戻しながら言う。指を操作して別のニュースを開く。どこのサイトも選挙――EU連邦の大統領選挙――を放送していた。キャスターが英語で言う。


『次の選挙の議題は、東ヨーロッパから流入してくる、年々増加する異世界からの移民との摩擦に関する話題です』


 それだけ見て、アンジェリカは別のニュースに切り替える。どのニュースも同じことを言っていた。アンジェリカは、黙ってニュースを閉じた。

 前を見ると、ユーリがアンジェリカのカップに氷の花を浮かべているところだった。


「いや、父さんから言われてね」


 ユーリが、両手で包み込むように持っているティーカップを見つめながら言う。手元ではパキパキと小さな音を立てて氷の結晶が広がっていた。


「こうして少しずつドラゴンブレスを制御する練習。飛行術式の緻密な制御をするために、って」


 ユーリの手元には、もうすっかり大きくなった氷の花。


「最初は上手く作れなくて、コップの中身を丸ごと凍らせちゃったりしたけど、今ではこうやって少しずつ霊力を制御して、こういうことができるようになったんだ」


 彼がそっとティーカップを、波一つ立てずにアンジェリカに渡してくるのを、アンジェリカはそっと受け取った。ティーカップの中で揺れる氷の花。日の光を浴びて星の瞬きのように煌めき、少し動かしたらそれだけで崩れてしまいそうだった。思いがけないユーリからの贈り物に、アンジェリカは小さく微笑む。


「ふふ、こうしてみるととても綺麗ですわ」


 飲んでしまうのがもったいない。そう思ってユーリを見ると、ユーリはただの氷水と言わんばかりにぐびぐびとハーブティーを飲んでいた。その様子に彼女は小さくため息をついた。しかしこれは彼が作ったものだ。自分がどうこう言うものではないだろう。第一彼は数時間のフライトの後にシャワーだ。喉が渇いているのは理解できた。

 駄目出ししたい気持ちを抑えつつ、静かに氷の花の浮かんだハーブティーを啜る。唇に刺すような冷たさが触れ、そのあと冷たさが喉を通って腹の底に落ちていく感覚。


「少し、冷やしすぎたかな」


 ユーリがカップを置きながら言った。ハーブティーがなくなったカップの底には、氷の花がやや傾いて沈んでいた。


「いえ、ちょうど朝ですし、身体を起こすにはこのくらいで丁度いいですわ」


 アンジェリカがそっとテーブルにカップを置くと、小さく立った波に氷の花の一片が割れて、水面を漂った。


「そういえば、何か今日は予定あるの?」

「いえ、特にありませんわ。まぁ、強いて言うならば新学期の準備でしょうか」


 アンジェリカが視線を向ける先。ベッドの反対側の壁に向かって置かれた二つのデスクの片方には、いくつかの参考書が置いてあった。もう片方には、何も置かれていない。


「真面目だね」

「そういうあなたも、準備しなくてよろしくて? こういうことはあらかじめ備えておけば、後々余裕ができますわよ?」


 そうだねぇ、とユーリは返す。ユーリも特にやることはない一日だ。のんびりアンジェリカと一緒に勉強するのも悪くはないだろう。夕飯の買い物はどこに飛んでいこうか。そこまで考えたところで、ふとそれを思い出した。


「そうだ、フライトスーツのオーバーホールと洗濯しなきゃ」


 あら、とアンジェリカが言う。


「割と最近もしていませんでしたの?」

「いや、インナー部分はどうしても汗を吸い込みやすくて、ね」


 それと、とユーリは追加する。


「そろそろ機関部もガタつき始めてる……」


 そこまで言って、ユーリは言葉を選ぶ。


「……気がする。まだ問題はない範囲だけど」

「いい加減買い替えた方がいいですわ」


 アンジェリカが言う。ユーリはドラゴンだ。フライトスーツに何らかの問題が発生しても十分に飛行を継続できるが、それでも万一と言うのが気がかりではある。

 出来れば、彼には万全な状態で空を飛んでほしい。

 彼の隣にいたいと願う存在として、それだけは強く思っていた。


「うん、まあ長期的には買い替えを検討しているよ」


 ユーリはこれからアルバイトをする気ではある。当然給料が出るが、その大部分はこの生活に還元しようと思っていた。残りの『小遣い』で、なんとかフライトスーツを買う金額を溜めよう。

 だが、高高度の、成層圏以上の高度、そして極超音速域に対応しているスーツとなると、それなりに高額になるのは目に見えていた。

 長い話になりそうだ。ユーリは頭が痛くなりそうだった。


「とりあえずは、まずはアルバイトを探すよ」

「それがいいと思いますわ」


 買いたいものの中には、飛行用のHMDも含まれていることは、黙っていた。

 ユーリはアンジェリカのティーカップが空になっているのを見て、ティーポットを手に取る。ティーポットを手に取ると、軽かった。


「ありゃ、もうないや」


 ユーリはポット片手に立ち上がる。ばさりと翼を動かすと、部屋の中に風がふわりと舞った。


「お代わり、淹れてこようか?」

「いいえ、もういいですわ」


 それを聞いてユーリはアンジェリカのカップと自分のカップ、そしてティーポットのハンドルの部分に指を入れて片手で器用に持つと、席を立った。


「わかった、片づけてくるよ」

「朝食もお願いしますわ」


 おや、と彼が壁の時計を見ると、なるほどもういい時間だ。食事当番は自分だったな、とユーリは思い出し、朝食作ってくるよと言って部屋を出る。部屋のドアに向かう途中で、ユーリの手足と尾、翼、角が光に覆われ、薄れるころにはそこには少年の筋肉のついた手足があった。入口のところにあるスリッパに器用に足を通して、ペタペタと音を立てながら外に出ていく。廊下はまだ薄暗く、窓の外の日差しに照らされた木々が輝いて薄暗い廊下を照らしていた。

 一階に降り、薄暗い廊下を歩いて食堂に入ると、薄暗い食堂とカーテンに覆われた窓から、細い糸のように漏れる朝日。ユーリはいったんカップとポットをテーブルに置くと、食堂のカーテンを開いていく。カーテンを開くと、そこに広がるのは青い空とまばらに散らばる積雲。さっき飛んでいた時よりも広くなった青空に、もう一度フライトに行きたい気持ちが沸き上がるが、やることがある。しょうがないとユーリは割り切った。

 台所にカップとポットを持って入ると、そこに広がるのはやや古びたステンレスのキッチン。しかし、置いてある冷蔵庫とIHコンロ、オーブンだけが不自然に新しかった。

 ユーリはカップを流しに置くと、ポットの中身の色の抜けたコモンマロウの花を生ごみの小さなビニール袋に突っ込む。洗剤を付けたスポンジでカップとポットを洗うと、シンクの横に置いた食器乾燥棚に逆さに置いた。

 さて、朝食を作ろう。

 冷蔵庫の脇に貼り付けられたマグネットのフックにぶら下がっているデニム地の群青色のエプロンを手に取ってつけた。冷蔵庫から金属のトレーの上に敷かれたペーパータオルの上に置かれた解凍済みの鮭の切り身を取り出してキッチンのテーブルに置いた。ついでに鍋に水を入れてだしパックを一つ放り込んだあと、火にかける。

 金属の耐熱トレーにキッチンペーパーをしいて、電子レンジに放り込んだ。モードをグリルにする。すぐに作動音がして電子レンジの中がライトに照らされて明るくなった。

 味噌汁を作ろうとしたときに、電子音が鳴った。炊飯器のランプがオレンジ色に光っている。フライト前に仕掛けていったが、どうやら丁度炊きあがったらしい。ゆっくりと湯気を立ち上らせる炊飯器を横目に、ユーリは冷蔵庫から味噌のパック、豆腐、葱を取り出した。


「あ、おはようユーリにぃ」


 いきなり声をかけられたことに一瞬驚きつつも、声のある方を向くとそこにはタンクトップに、灰色のダメージドホットパンツを着たアリアンナが腕組みをして立っていた。


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― 新着の感想 ―
[良い点] ハーブティの表面に氷の花を浮かべるのは非常にロマンチックだなと感じました! でもそれにも理由がちゃんとあって、ドラゴンブレスの練習ということだったので、設定がちゃんとあっていいなぁと感じま…
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