08/Sub:"姉妹"
アンジェリカが銀竜のサドルユニットから飛び降り、黒竜が首を地面に降ろすと、桜が恐る恐る、そしてどこか名残惜しそうに地面に降りる。
地面で腕を組んでこちらを睨んでいるアリシアは先程のアバター姿ではなく、いつもの体形に霊服姿だ。
「あら? 先程の姿も可愛らしかったのに」
「喧嘩売ってるの?」
「事実を述べたまでですわ」
アンジェリカはどこ吹く風、と言わんばかりにアリシアの敵意を受け流す。それを見て、アリシアは大きくため息をついた。
「昔はねえさま、ねえさまって可愛かったのにねえ」
「そもそも、一歳しか違わないでしょうに」
アンジェリカがそう言うと、アリシアはあーあー聞こえないとそれを遮る。ジャブの打ち合いの様な姉妹喧嘩の光景に桜があたふたしていると、後ろで輝き。ユーリとアルマが竜の姿から竜人の姿へと変化していた。
「アンジー、そこまでだよ。折角アリシア姉さんに協力してもらってるのに」
「むぅ」
「ユーリィ、駄妹が虐めるのぉ」
アリシアが猫なで声を出してユーリに抱き着く。返ってきたのはフライトスーツの硬い感触だった。
「あぁん、義弟が硬い」
「アリシア姉さん、既に少し錯乱しているね?」
「生き恥を家族とクラスメイトに見られればこうもなろう!」
アリシアが手をさっと振ると、白い大地にパラソルと椅子が三つ現れ、その一つに彼女は座り込む。そして遠い目で空を見つめた。
「アリシア姉さん、フィードバックは問題なしだったよ」
「あーそう。じゃあ勝手に飛んできなさい。終わるとき声かけてね」
そう言って手をひらひらと振るアリシア。アルマがユーリの方を見ると、彼は肩をすくめた。どうやら、言う通りで良さそうだった。アンジェリカが椅子に足を組んで座ると、桜も空いている席の一つにおずおずと座る。
「あそこまでできるのなら」アンジェリカは、離陸へ向け遠くに歩いていくユーリ達の背を眺める。「お姉様も踏み出してもいいでしょうに」
「……このままでいいのよ、これは」
「いずれ、答えを出さねばならないときは来ますわよ」
「わーってるわよ」
軽口のように返すアリシア。アンジェリカをちらりと横目に見た桜は、彼女がその答えに満足していないのが表情で察することができた。この問題に、口を挟む権利がないことも。
「あら」
アンジェリカが小さく呟く。全員の視線がつられて向く先では、ユーリとアルマが並んで滑走を開始していた。こちらに向けて、ぐんぐんと増す速度。一瞬遅れて、飛行術式の高音が遠く響く。青と橙の光が並んで、白と黒の翼から地面を叩く。二人の姿は、あっという間に大きくなっていく。
「こちらに……来てるわね」
アリシアが椅子から腰を浮かすが、桜とアンジェリカは椅子に座ったままそれをじっと見つめていた。二人の脚が地面を蹴り、離れる。翼が大気を掴む。地面が白煙を立てた。
二人が、すぐ頭上を飛び越えた。
轟音。通過後一瞬遅れて吹きすさぶ暴風。パラソルが浮き、空に舞い上がってくるくると回る。風が吹きすさぶ中、アンジェリカと桜は振り返って上昇するユーリとアルマを見送った。
「あいつら……」
アリシアが呆れたように言うと、パラソルがゆっくりと地面に落ちてきた。独楽のように回っていたそれは、くるくると不安定に揺れるながら回ると、地面にゆっくりと横たわった。
「やっぱり」アンジェリカが小さく微笑む。「こちらの方が、空がよく見えますわ」
三人が見つめる先では、二人の竜が並んで空に弧を描いていた。
――同時刻、現実世界。
ユーリ達が仮想空間に入っている中、エリサは自分の部屋に戻っていた。本棚の本をいくつか見繕う。どれも、ユーリが引っ越し祝いにとプレゼントしてくれたものだった。どれも、名だたる名作のSF作品だ。その中で読みかけの一冊を手に取る。そのまま座布団に座ろうとして、ふと思いとどまる。そうしてエリサは、本を持ったまま部屋のドアをそっと開けた。
「あら……?」
「あれ?」
エリサが丁度部屋を出ようとしたタイミングで、向かいのドアが開く。そこから出てきたのは、短いチューブトップにホットパンツ姿で、髪を低い位置でポニーにしたアリアンナ。
「エリサさん?」
「アリアンナさん。どうしました?」
何の気なしに挨拶を交わす。こうしてエリサがアリアンナの部屋の向かいに引っ越してきて、彼女とはしばしば会話する機会もあった。そうしていると、あっという間に打ち解けている自分に気付いたのは、ついこの間の事であった。相手の話を引き出し、肯定し、それでいて自分への興味へ繋げてくる。アリアンナが『王子様』と呼ばれているのも、エリサは納得できる経験であった。
「本を持って、どこかに行くのかい? 良ければ何か飲むものでも淹れようか」
「お気遣いなく。ユーリさんの所にお邪魔するつもりなので」
隠す必要もないだろう、とエリサは判断する。姉妹と咲江を含むユーリとの関係性をエリサは知っていたし、その事をアリアンナも知っていた。エリサの言葉を聞いたアリアンナが、ほう、と興味深げな声を上げる。
「ユーリ兄さんなら、まだ包丁を研いでいるのとばかり」
「アンジェリカがアリシアさんを使って、仮想空間に入れましたわ。今頃はフラストレーションも解消されているかと」
そう言ってエリサは本を持って階段を降りる。すると、その後ろからもう一人の足音が聞こえることに気付いた。後ろを振り向くと、アリアンナがエリサの後についてきていた。
「アリアンナさん?」
「つれないなぁ。アンナでいいよ。エリサ義姉さん」
「何か用でして? アンナさん」
「ユーリ兄さんのあるところ、ボクありだよ」
さっきまで自分の刀を抱えて籠城していたでしょうに。エリサはじっとりとした目でアリアンナを見つめるが、ため息をついて階段を降りる。アリアンナはそれに続いて、音もなく階段を降りた。階段を降りたところで、エリサはアリアンナに向き直る。
「今まで黙っていましたが、義姉呼ばわりは何ですか」
そう言うと、アリアンナは心外だ、とでも言わんばかりの表情を浮かべる。
「エリサ義姉さんはユーリ兄さんと結ばれるつもりなのだろう?」
「ええ」
エリサがそう即答すると、アリアンナは苦笑いを浮かべる。
「ならば、エリサ義姉さんはこのボクの姉と言うことさ。ユーリ兄さんの妹である、ボクのね」
「屁理屈ではありませんの」
「こんな関係を築いておいて、今更だとは思わないかい?」
そう言ってアリアンナはきざったらしく左手を胸元に、右手をエリサに差し出してくる。
「家族になろうよ、って言えば、わかりやすかったかな?」
そうエリサを誘うアリアンナは、まさに獲物を魅了し、襲う吸血鬼の姿だった。
「……良いでしょう」
そしてエリサは、その手を取る。そうしてアリアンナは、その手の甲にそっと口づけをした。
「ふふ」アリアンナは、蠱惑的に笑う。「これで、契りは成された」
「そんな大層なものではないでしょう」それに、とエリサは言う。「そのようなものに拘る方でもないでしょう。ユーリさんも、アンジェリカも」
今度は、アリアンナが目を丸くする番だった。そうして、苦笑いを浮かべる。
「本当に、似ているよ、エリサさんは」
「怒らないから、言ってみなさいませ」
「アンジェリカ姉さんに」
「ええ。よく言われますわ」
ユーリさんに。エリサはそう言いながらユーリとアンジェリカの部屋のドアを静かに開けた。できるだけ足音を殺しながら部屋に入ると、部屋の真ん中、ベッドの上では中心のアリシアを枕にして全員が仰向きに寝そべっている。その顔には、例のVRゴーグル。
「不謹慎かもしれないけれど、いいかい?」
「どうぞ」
「まるで葬儀みたいだ」
アリアンナがそう言うと、なるほど、確かにそう見えなくもないとエリサは気づく。そう言った要素はほぼないはずなのに、何故かそう見える。真ん中で寝ているアリシアが吸血鬼だからだろうか。感覚の正体は分からなかったが、することは一つだった。ゴーグルをつけ、仮想空間に入ることで寝ているユーリの横に腰を下ろし、彼に寄り添いながら本を開く。
「あ、エリサ姉さんずるい」
「姉の特権ですわ。妹なら従いなさいませ」
意趣返しでそう言ってやると、アリアンナはしばらく腕を組んでエリサとユーリを交互に見ていると、おもむろに、アリシアを挟んでユーリの反対側に寝転ぶと、四つん這いでアリシアをまたいだ。
「アンナさん?」
エリサが疑問を浮かべていると、アリアンナは自分の唇に人差し指を当ててみせた。そしておもむろに仰向けに寝ているユーリに顔を近づけ、その唇にキスを落とす。それだけではなく、ユーリの唇を食むようにして自身の唇で甘噛みすると、舌でユーリの唇をなぞるように弄ぶ。
「あ、アン――」
エリサが叫ぼうとした瞬間、アリアンナに口を塞がれた。彼女の豊満な胸がアリシアに押し付けられ、彼女から苦悶の声が漏れる。赤く輝く瞳でエリサを流し目で見るアリアンナの眼は、語っていた。
今なら、食べ放題だよ?
「っ!」
エリサは本を投げ捨てるようにベッドに置くと、ユーリにがばりと覆いかぶさる。アリアンナを押しのけ、つい先ほどまで彼女が吸っていたユーリの唇が目に映る。てらてらと濡れて、温かく、湿っているのが目に見えて分かるようだった。それを見るとどんどん動悸が激しくなっていくのが分かった。
「大丈夫だよ。エリサ姉さん」アリアンナが、耳元で妖しく囁く。「ボクが、温めておいたからさ」
次の瞬間、エリサはためらいなくユーリの唇を貪った。
身体中を甘い刺激が貫く。アンジェリカに入れられた吸血鬼の残滓がまだ残っているかと錯覚するかの如く甘美な体験。それほどまでに、抵抗できないユーリを弄ぶという行為は、倒錯的に感じられた。
「わぁ、エリサ姉さん、激しいなぁ」
じっとりとした目でアリアンナを睨むと、おお怖い怖い、と彼女はおどけつつ、のそのそとアリシアの上を四つん這いで横切り、ユーリの横に寝そべる。そうしてエリサが拙くユーリの唇を吸っている横から、自分の口を押し当てようとする。
「な、何を」
「いいじゃん、こっちの方が楽しいよ?」
そうしてユーリの唇の上で始まる領地戦。既にユーリの口から苦悶の声が漏れ始めていた。エリサはユーリの隣で寝ているアンジェリカの事をそこで初めて意識し出した。ユーリに最も近い場所に立っている女の横で、このような行為。祖母に顔向けできない、と思わずちらりとアンジェリカの方を見やる。
「……」
片手でゴーグルをずらし、こちらを無感情に見つめるアンジェリカの赤い瞳と、目が合った。




