06/Sub:"アバター"
「アルマっ!」
顔を真っ赤にしてぽかぽかと桜を殴る桜。アルマははっはっと快活に笑うが、桜は頬を真っ赤に染めて膨らまし、目元には涙が浮かんでいる。アンジェリカとエリサは思わず顔を見合わせる。どう切り出していけばいいかわからないところ、アンジェリカが声を震わせながら尋ねる。
「そ、それはドラゴンに対して性的興奮を覚えるということで……?」
「そこまでストレートじゃないよぉ!」
涙目の桜がアンジェリカに反論する。
「そうか? 私の尻尾や翼の付け根や翼膜を触らせてくれとよく……」
「わー! わー!」
桜が顔を真っ赤にしながら声を上げる。
「同性だから! 同性同士で触り合うくらい普通だから!」
「そうですの……? そうですかも……」
エリサは神妙な面持ちで納得しかけていると、アンジェリカは目を細めながら桜に聞き返す。
「ユーリの事も、そういう目で見ていますの?」
「それは……その……」
両人差し指を手持無沙汰に絡めさせながら俯いて言う桜。アンジェリカはため息をつく。
「さながら飛行部は、ドラゴンハーレムですわね」
「ち、違うもん! ちゃんとマネージャーやってるよ!」
「ああ。その辺は私も桜を信頼している。それに関しては保証しよう」
アルマが言うなら説得力はありそうだ、とアンジェリカは腕を組んで静かに桜を見据えた。エリサは未だに信じられないと言った表情で桜を見ている。
「と、ともかく!」桜は仕切り直すように言う。「部長のユーリ君との練習を、なんとかしないと!」
「おっと、そうでしたわね」
アンジェリカが頷くと、額に手を当てる。
「そうなると、VRを使うことになるのでしょうが、今VRに最も詳しい方が外出中ですの」
「吾妻先生か」
アルマがそう言うと、アンジェリカは小さく頷いた。
「わたくし達だけでVRを動かすとなると……」
そこまで言ったところで、アンジェリカは黙り込んだ。しばし流れる沈黙。そして、ハッとしたように
顔を上げる。
「いましたわ」
そう言ってアンジェリカはすくっと立ち上がると、ずんずんと部屋を出ていく。呆気に取られていると、部屋のドアからアンジェリカが顔だけ覗かせて叫んだ。
「善は急げですわよ!」
全員でぞろぞろと階段を降りて右に曲がる。そうしてたどり着いたのは、アリシアの部屋の前。
「お姉様! 入りますわよ!」
返事を待たずにアンジェリカがアリシアの部屋に入る、いや、突入した。いろいろなパッケージや段ボールでやや散らかった床。カーペットの上で、アリシアがVRゴーグルをつけて寝そべっていた。VRゴーグルの表面では曼荼羅と電子回路を足して二で割ったような模様が虹色に淡く輝き、アリシアの口元が小さくニヤニヤと歪んでいる。
「さぞ楽しいゲームをしているようですわね」
「待て、アリシアが?」
アルマが不思議そうな声を上げると、アンジェリカがぴくり、と眉を動かした。
「あら? お姉様とお知り合いで?」
「ああ。とはいっても、ユーリの事を時々聞きに来る程度だ」
「ユーリさんの?」
「ああ。迷惑をかけていないか、とか、ちゃんと飛べているか、なんかをだな」
アルマは床で寝そべるアリシアを見つめる。
「お姉様らしいですわね」アンジェリカは、そう言ってアリシアの傍にそっと跪く。「だからこそ、もう少し甘えさせてもらいますわ」
そう言って、アリシアを両脇で抱えてひょい、と持ち上げるアンジェリカ。アリシアの顔が、小さく歪んだ。
「アルマ部長、足を持ってくださいまし」
「お、おう」
有無を言わさないその物言いに、アルマも思わず従う。アリシアの両脚を掴むと、部屋から運び出す。そうしてアリシアを部屋から拉致した先は、アンジェリカの部屋。アリシアをベッドの上に載せると、さて、と呟く。
「こちらの方がやりやすいですからね」
あとは、とアンジェリカは床を見つめる。
「ユーリを連れてくるだけですわね」
「なら、私が行こう」
アルマが立候補すると、アンジェリカは二人で台所に降りていく。台所では、ユーリがいよいよ磨くものが無くてグラス磨きをし始めていた。綺麗に片付けられていたのは、流石と言うべきか。
「ユーリ!」
「うん」
「空を飛びますわよ!」
「うん――今、なんて?」
ようやく『うん』以外の反応が返ってきたところで、ユーリはようやくアンジェリカと共にいる人物に気付いた。
「アルマ部長?」
「よう、ユーリ。少し付き合ってくれ」
ユーリが混乱しているうちに、アンジェリカとアルマがユーリの両腕を掴む。ユーリが困惑しているうちに、彼は文字通り台所から引きずり出された。
「え、え何!?」
「空を、飛びますわよ!」
「だって、フライトスーツはまだ壊れたままで」
「仮想世界だ。だが」アルマは、ユーリを見下ろす。「私となら、満足してもらえると思うがな」
そう言って獰猛に嗤うアルマの表情に、ユーリの表情が思わず青ざめた。
アンジェリカの部屋に引きずられてきたユーリ。そこには、いまだに状況が飲み込めてなさそうなエリサ。それに、自分のVRゴーグルを取り出していた桜がいた。
「あら、準備が良いことですわね」
「前来たときも、VRだったからね。またそうなるんじゃないかって用意してきたんだ」
はい、アルマ部長。そう言って桜はアルマの分のVRゴーグルを渡してくる。
「む、ありがとう。それで、どうするんだ?」
「アリシアお姉様にサーバー管理をしてもらいますわ」
もっとも、とアンジェリカは言う。
「咲江程高度な制御はできないでしょうけれど」
アンジェリカは、まだ状況が読み込めてなさそうなユーリの顔にVRゴーグルを押し付けて、アリシアの上に押し倒した。アリシアの腹を枕にして仰向けになるユーリ。アリシアが小さく苦悶の声を上げた。
「出来るだけお姉様に触れてくださいませ。通信のラグをなくしますわ」
「アンジェリカ、私はどうしますの?」
一人、VRを持っていないエリサ。
「今度、引っ越し祝いで差し上げますわ」
「……素直に、受け取って差し上げましょう」
そう言ってエリサはユーリの横に寄り添うようにして寝そべる。アンジェリカは、ムッとして反対側に寝そべった。アリシアが苦悶の声を上げる。
「では、私も失礼する」
「わ、私も行くね」
そう言って次々とアリシアの身体を枕替わりにして寝転ぶ。ううん、ううん、とアリシアが苦悶の声を上げる中、アンジェリカは静かにVRのスイッチを入れた。
意識がふっと身体から離れ、起きたまま夢の中に飛び込んでいくような感覚。そうして屋敷に置いてある幻術VRサーバーの、白い空間に椅子が適当に並ぶロビーに入室すると、他にアルマ達もログインしていた。どれも、アバターモードではなくオリジナルモードになっている。ただし恰好は、霊服になっていた。どうやら咲江が『最適化設定』のまま放置していたらしい。アンジェリカは赤いドレス、桜は鱗の様な模様が入った巫女装束だ。
「アルマのそれは……?」
「む? 私の……これは?」
竜人姿のアルマが着ていたのは、真っ黒な甲冑。しかし、胴に当たる部分は大きく開いていて、代わりに胸元と局部を必要最低限隠しているような状況。俗に言う、ビキニアーマーと呼ばれるものに近いものだった。
「なるほど、これが私の霊服となるのか。確かにしっくりくる」
感心したように、そしてどこか呑気に、動きやすいな、などと肩をぐるぐる回したり、翼を軽く羽ばたかせたりしながら言うアルマ。そんなアルマの大きく開いた背中と脇腹を、桜が凝視していたのにアンジェリカは淑女の情けとして触れないことにした。
「お待たせー……って、あれ?」
竜人姿でユーリがログインしてきて、すぐに自分の違和感に気付く。
「あら?」
「ほう……」
アンジェリカとアルマが思わず声を漏らした。
ユーリの着ているフライトスーツ。いつもはミリタリーグレーの物だったそれが、変わっている。滑らかな表面に、関節部だけを最低限覆うサポーターに、より人間工学に基づいたデザイン。それらは白く、そして各所に白黒のターゲットマークが張り付けてある。
「それ、ユニオンの試験モデルですわよね」
「ほう、それが、そうなのか」
そう言ってアルマがずい、とユーリに寄ると、その服を舐めるように、そしてどこか見定めるようにして見つめる。
「なるほど、お前らしい」
「白騎士と黒騎士、という感じですわね」
アンジェリカがどこか呆れたように言うと、ユーリは不思議そうに自分の恰好を見つめ直した。
「しかし、なんでこの格好に……」
「ユーリの中で、心の決着がついていたからでしょう。前のスーツを脱ぎ捨てて、新しいものを着る。衣替えですわ」
「でもこれ、あくまで試験モデルなんだけどなぁ」
僕のものじゃないし。そうユーリが言うと、アンジェリカは肩をすくめた。
「仮想空間内ですし、恰好に意味なんてないですわよ。あくまでイミテーション。それこそアバターですわよ」
「そうだな。しかし、将来こういう服を仕立てるのも、悪くないかもしれん」
そうアルマがどこか感慨深げに呟く。アンジェリカはあら、と声を漏らした。
「オーダーメイドとなると、随分と費用が掛かりますわよ」
「レースで勝てばいい。賞金は山ほどある」
簡単に言うが、アルマならそれができる。そういう凄みが、その言葉にはあった。同時に、レースはタダの通過点。そういう風にも。
「そう言えば、サクラは?」
アンジェリカが蚊帳の外だった桜を見ると、彼女は両手で口元を覆って天を仰いでいた。
「……何をしていますの」
「ごめん、ちょっと、感極まってた」
そう、息も絶え絶えに言う桜。どうやら、アルマの『霊服』姿に、最新鋭のユニオンの試験フライトスーツを着たユーリ、二人の竜人姿に感極まるものがあったらしい。置いてけぼり気味のユーリだったが、アンジェリカは淑女の情けとして桜の『癖』の事をぐっと喉の奥に飲み込んだ。
「さて、時は金なりですわよ!」
アンジェリカはそう叫んで、仮想コンソールを呼び出す。表面のパネルを何度かタップすると、呼び出しメッセージが送られる。しばらくの、沈黙。
「……来ないね」
ユーリが呟くが、白い空間は沈黙を保っている。
「大方セッション中なのでしょう。少し待って居ればすぐに――」
「――この、愚妹っ!」
言っていた矢先に、アリシアがロビーに飛び込んでくる。
アリシア?
「アリシア、ねえ、さん?」
「え。あっ」
アリシアはアバターモード。彼女は、175センチあろうかと言うすらっとした長身に、長い手足、そしてアリアンナ近くはありそうな胸。そしてトレードマークのツインテールはサイドテールになり、長く縦ロールを巻いている。
赤いジャケットをラフに着こなし、赤黒のホットパンツに左右非対称のサイハイソックス。ヒール付きブーツは彼女の身長を更に盛っていた。
「……」
沈黙が、ロビーに流れる。
小さく電子音。アリシアの姿が、ログアウトの音と共に消えた。




