05/Sub:"女子会"
「もちもちされていますわ!」
「そうやって人を弄んで! 一方的に嬲られる痛さと怖さを教えて差し上げましょうか!」
エリサがアンジェリカの頬をもちもちと弄ぶ。彼女の肌はまるでつきたての餅のように弾力に飛んでいて、白粉を塗したかのように滑らかな肌触りだった。エリサがスキンケアなど日々手入れを欠かさずにしているのに、ほぼそういうのをしていないアンジェリカがこの肌を保っているのにますます腹が立ってアンジェリカの頬を揉みしだく。
「揉み過ぎですわ!」
そう言ってアンジェリカはエリサを転がした。何をどうされたかエリサにはわからないまま床にひっくり返され、スカートが盛大にめくれ上がってショーツが丸見えになった。半ばもがくようにエリサは起き上がると、スカートを抑えた。
「あら、意外とエリサの分際で思ったより色っぽいのを付けているではありませんの」
「貴女に言われたくありませんわ……!」
エリサは知っていた。アンジェリカがどんな下着をつけているか。着替えに遭遇した時、思わず二度見してしまったほどだった。アンジェリカは自信満々に胸を張る。その下にあるランジェリーの事を考えると、エリサはげんなりする気分だった、
「常在戦場。女と言うのはいつでも勝負服であるというものですわよ」
「……回答を控えさせていただきますわ」
エリサは、そう言ってアンジェリカの言葉を切り捨てる。
「ともあれ、まずはユーリさんの――」
エリサがそう言った瞬間、アンジェリカがすっと立ち上がる。体幹を一切ぶれさせないその動作をエリサは、腹立たしくも美しいと思った。そのままアンジェリカは窓に近づくと、そっと外を覗く。屋敷の前にいるのは、薄手の白いブラウスに赤いスカートの桜と、黒いタンクトップにホットパンツにジャケットを羽織った竜人姿のアルマの姿だった。
「サクラに……アルマ部長?」
あの二人が? エリサとアンジェリカ、同時に首を傾げる。そうこうしているうちに、アルマがこちらに気付いて手を振ってくる。アンジェリカはエリサの部屋を出て軽やかに階段を降りて行った。エリサも慌てて彼女の後を追う。
屋根裏から降り、玄関に出ていくと玄関では既にアンジェリカが桜とアルマを応対していた。
「アルマ部長にサクラ。一体どうしたのです?」
「なに。以前桜が世話になったと聞いてな。是非、と思っただけだ」
「お土産もあるよ」
そう言って桜が取り出したのは、白い箱。アンジェリカが受け取って中を開くと、そこには瑞々しい大きな桃が二つ。
「まぁ、立派な桃」
「そう言えば、どうして皐月院さんがここに?」
桜がエリサの姿を見て疑問符を浮かべると、エリサはちらりとアンジェリカを見やった。
「私、今ここで暮らしていますの」
「ええっ!? 皐月院さんが!?」
思わず口に手を当てて驚く桜。
「立ち話も何ですもの。上がって行ったらどうです?」
アンジェリカが言うと、桜とアルマは顔を見合わせて頷いた。聞きたいことが山ほどある。そう言いたげな顔をしていた。
アルマと桜が靴を脱ぎ、屋敷に入る。アンジェリカが出したスリッパに履き替えると、そこでアンジェリカが何かに気付いた顔を浮かべた。思わずエリサと顔を見合わせると、後ろで二人が怪訝な表情を浮かべた。
「どうしたの? アンジェリカさんに皐月院さん」
「エリサでいいですわ……百聞は一見に如かず、ですわよ」
そうエリサが神妙な面持ちで言うと、アルマと桜は思わず息を呑む。
アンジェリカとエリサ、二人に連れられて台所に行くと、そこには先程と変わらない光景が広がっていた。
しゃり。しゃり。しゃり。しゃり。
「ユーリ、包丁借りますわよ」
「うん」
そう言ってアンジェリカは並んでいた包丁を手に取り、桃をするすると剥いていく。抵抗なく切れていく桃。それをすらすらと皿に並べている間も、ユーリはずっと包丁を研ぎ続けていた。沈黙に耐えかねて桜が尋ねる。
「ゆ、ユーリ君、こんにちは……」
「うん」
「ほ、穂高、邪魔するぞ」
「うん」
「……ユーリさん、私と結――」
「行・き・ま・す・わ・よ・!」
アンジェリカがエリサを無理矢理連れ出す。桜とアルマは一瞬顔を見合わせた後、二人について台所を出ていった。
四人でエリサの部屋に向かう。エリサの部屋が屋根裏部屋と聞いて、二人ともギョッとした表情を浮かべていたが、いざ部屋の中に入ると意外と住み心地の良い空間に感心のため息をつく。エリサが全員分の座布団を出して座り、テーブルを囲む。
「え、エリサさん」桜が情報を整理できないまま言う。「随分と、性格変わったね」
「いろいろとスッキリしただけですわ」
エリサはフォークに桃を刺して一口、齧る。程よく柔らかく、水気が口の中に芳香と共に広がる。甘く、美味しい。
「肩の荷が下りる、とはこのことでしょうね」
「それは良い。空を飛ぶには、軽い方がいい」
アルマがそう言うと、エリサは苦笑いを浮かべた。
「ユーリさんみたいな事をおっしゃるのね」
「不思議か? 空を飛ぶ者の基本だろう」
さも当然のように言うアルマに、エリサはただ乾いた笑いを返すしかなかった。
そこまで話したところで、桜はああっ、と声を上げる。
「ゆ、ユーリ君、あれどうしたの!?」
「お、おう、私も気になるぞ」
二人が焦ったように聞いてくるとアンジェリカは空を仰いだ。そうして語り出す、ここ数日の出来事。それを聞いているうちにどんどん桜とアルマの顔が青ざめていく。
「か、雷って……よく無事だったね……」
「ああ。私も気をつけねば」
それにしても、とエリサが呟く。
「三日飛べなくて、ユーリさんはああなってしまった、と言うことですわ」
「それは……凄まじいな」
アルマが言うと、エリサはええそうでしょう、と呟く。
「三日も飛べないなんて、想像もしただけでおかしくなりそうだ」
「三日も飛べないってなるのは……普段から空を飛んでいたら、ちょっと気持ちはわかるかも」
「でしょう? ユーリの状況も、さもありなんですわ」
「えぇ……」
アルマ、桜、アンジェリカの物言いにエリサはただ困惑を浮かべるしかなかった。生憎、アウェーはエリサの方だった。困惑するエリサをよそに、アルマは腕を組んで唸る。
「しかし、ユーリが飛べないとなると、困ったな」アルマが呟く。その瞳は、空を見ている。「練習に付き合ってもらおうと思ったんだが」
「練習?」
アンジェリカが疑問符を浮かべると、桜がアルマの代わりに応えた。
「部長、最後の大会が近いの。最終調整ってこと」
「私も高二だ。今年が最後の大会になるだろう。最後は、錦を持って帰りたい」
「なら、部員の方たちとは?」
アンジェリカが言うと、ポリポリとアルマは頭を掻く。
「いや。フィジカルやテクニックの話じゃないんだ」
「では、どういうことですの?」
今度はエリサが尋ねる。すると、アルマは頬をポリポリと掻く。
「精神面での話だ」
「精神面、とは」
すると、アルマはどこか情景をにじませた表情でつぶやく。その表情は獰猛さを感じつつも、憧れのようにも、恋慕のようにも見えた。
「ユーリと飛んで、それでいてアイツに追いつけない、そんな経験をしてから、レースに臨みたい」
「フムン?」
アンジェリカが興味深い、と声を上げる。
「ユーリにと飛んで、あいつに追いつけなくて……まだ空は高いんだ、と。まだ私は速く飛べるんだ、と。知ってからレースに臨みたい」
「レースの中で、ユーリの影を追いかけたいのですね」
アンジェリカの言葉に、アルマは頷く。
「トップに居るものが、自分より早い影を追いかけないでどうする」
「意外ですわね。実力……勝利至上主義者だと思っていましたのに」
「勝利至上主義は、自分より優れた奴に幸運にも出会わなかった奴が、自らの経験不足を誤魔化すための妄言だ。空はそこまで低く、狭くない」
随分過激な事を言うものだ、とエリサがちらりとアルマの目を見る。金色の竜の瞳。オレンジが混ざって、どこか夕焼け空のようにも見える瞳。だがその瞳に映る、もう一つの色。ダークブルー。
「ユーリより、空を高く飛ぶ奴もいるのだろう?」
「……よく、ご存じで」
「だろうな。あいつの翼も、誰かを追いかけている」
そういうアルマの目は、どこか羨ましそうだった。桃をひとかけスプーンで刺し、口に放り込む。竜の牙がきらりと煌めいた。
「うむ。甘い」
「良く熟していますわね。サクラ、ありがとうございますわ」
「ふふ、どういたしまして」
女子四人で桃を食べる。真夏によく冷えた甘い桃。
「ちなみに、ユーリより高く飛べる奴の事は、知っているのか?」
アルマが尋ねると、アンジェリカは少し苦い顔をする。そんな彼女の代わりに、桜が答える。
「吾妻先生です。部長」
「なに? 吾妻先生だと?」
「今では吾妻大尉、ですわよ」
アンジェリカが呆れたように言うと、今度はアルマが目を丸くする番だった。同時に、どこか納得したような表情を浮かべる。
「なるほど。道理で背中に目が付いているわけだ。ファイターパイロットだったか」
それにしても、とアルマは口を尖らせた。
「どうして私に教えてくれなかったんだ。サクラ」
「もう先生じゃない人に無理をさせるわけにはいかないですよ、部長。以前カオリさん達を見てもらった時だって、ご厚意に甘えたんですから」
「むぅ」
正論を切り返されて、アルマは思わずうめいた。
「ユーリ君で我慢してください」
「わたくしはまだ許可を下ろしたわけではありませんわよ」
それに、とアンジェリカは続ける。
「フライトスーツがない限り、空に上がるのは難しいですわよ」
「市販のものは?」
「ユーリの高G機動と莫大な霊力流量、超音速の熱に耐えられる市販品は、少なくとも知りませんわ」
ですので、とアンジェリカは続ける。
「飛ばせようとしたら、ユーリは全裸になってしまいますわ」
「……」
かすかに、桜の瞳が揺らいだ。その揺らぎをアンジェリカは見逃さない。
「ひょっとして、『それもありかも』なんて思っていませんわよね?」
「べ、別に、そんな事!」
そこで、隣で話をただ聞いていたアルマがにやり、と獰猛に嗤う。そしてまあ落ち着け、と切り出した。
「無理もないさ。なぁ桜?」
「あ、アルマ!」
桜が顔を赤くしながら叫ぶ。必死にそれを止めようとするも、アルマはどこか意地の悪い笑みのまま、それを言い放った。
「サクラは、竜フェチなんだ」




