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青春と幻想のストラトポーズ  作者: 失木 各人
05/Chapter:"三花-Three Girl Problem-"
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04/Sub:"フラストレーション"

 ――三日後。


「……」


 しゃり。しゃり。しゃり。しゃり。

 台所に子気味のいい音が響き続ける。


「……ユーリ」


 顔をどこか青ざめさせたアンジェリカがユーリに言う。彼女の視線の先では、エプロンをつけたユーリがただひたすらに砥石で包丁を研いでいた。アンジェリカの隣のエリサは、どこか責めるような視線で彼女を見つめていた。

 夏休みも残り少ない休みの日。朝食後どこか呆然としているユーリが急に始めた作業。既に屋敷にある刃物すべてを研がんとする勢いだ。アリアンナは『深緋』と『銀朱』を抱えて部屋に籠っている。


「……ユーリ、もう、十分ですわ」

「うん」


 しゃり。しゃり。しゃり。しゃり。

 アンジェリカはユーリが研いだ包丁の内一本を手に取り、冷蔵庫から取り出した新鮮なトマトをまな板に載せて刃を滑らせる。一切の抵抗なく、大きなトマトは両断された。小さく悲鳴を上げる。思わず、危険物でも扱うように包丁をまな板にそっと横たえた。


「ほ、ほら、トマトがこんなに切れるのですもの!」

「うん」


 しゃり。しゃり。しゃり。しゃり。


「……王様の耳はロバの耳ー」

「うん」

「ユーリさん、私と婚約――」

「エリサ! 買い物に行きましょうか!」

「うん」


 エリサが何か言う前に、彼女の手を引いて台所から引きずり出す。あぁれぇという間延びした悲鳴と共に台所を出て食堂を超え、玄関ホールにまで来るとようやくそこでアンジェリカは立ち止まった。エリサは小さく乱れた息を整えると、アンジェリカに言い放つ。


「何処が一週間ですか! 三日ももっていませんわ!」

「わ、わたくしの計算では……」

「合っていませんではありませんか!」


 信じていたユーリが三日ももたなったという事実はアンジェリカにもいささかショックであったようで、色白の彼女の顔が白を通り越して顔面蒼白になっていた。エリサがアンジェリカの肩を掴んでがくがくと揺さぶるが、普段から鍛えているせいなのか、体幹が全くぶれない。それがエリサには腹立たしくて、余計に揺さぶってみるもびくともしない。段々と呆れが勝ってきて、アンジェリカの肩を話す。アンジェリカは頭を抱えるが、頭を抱えたいのはエリサの方だった。


「どうしますの、アンジェリカ。あのままでは刃物職人になる日も遠くありませんわよ」

「それが冗談ではなさそうなのが嫌ですわぁ……!」


 アンジェリカが口元を覆って天を仰ぐ。吸血鬼なのに天を仰ぐとは何事か、とエリサは思わずこめかみを抑えた。今更、とも思ったが。エリサはため息をつく。


「咲江先生はどちらに居ますの?」

「咲江は出勤して、五日間は留守ですわ。なんでも、基地に泊まり込みなのだとか」


 基地。と言うことは何か作戦でもあるのだろうか。エリサはこうしてこの屋敷で暮らしているうちに、何となくそれぞれの人となりが分かってきていた。咲江は、今何らかのプロジェクトに参加しているようで、複数日泊りがけで複数日休み、と言う勤務が挟まることもある。こうしてユニオンの軍人が身近にいるのは不思議な気分でもあったが、咲江もまたアビエイターなのだと思うと、少し羨ましい気もした。

 アンジェリカとエリサ、二人で階段を昇る。屋根裏部屋、アリアンナの部屋の向かいの部屋が、エリサの部屋だった。屋根裏部屋ではなくとも、丁度一室開いている部屋があったが、こちらがいいと彼女は主張し、そこになった。もとより私物などそうたくさん持っているものではなかったし、それに洗面所や風呂を借りにユーリの部屋に行く口実ができた。しっかり断熱され、ユーリの霊力という冷媒が流れる屋根裏部屋は夏でも涼しかった。程よい狭さも、エリサには落ち着いて感じられた。

 部屋は何とか皐月院家から持ち出せた最低限の家財道具が置かれており、おかげで屋根裏部屋と言う割にそこに広がっているのは畳が敷かれた和室だった。ドーマーの傍に置かれた小さな机と、本棚。隅には丁寧に畳まれた布団。一度アンジェリカが『独房みたいですわね』と言ったところ、エリサと取っ組み合いの喧嘩になった記憶が真新しかった。

 部屋に入ると、エリサは入口横のスイッチを入れる。電灯の代わりに天井で輝いたのは、白い透明な板。小さなファンの音が響く。


「あら。使ってくださっていたのね。これ」

「貴女が押し付けてきたのでしょう……」


 エリサがげんなりしたように言うそれは、ペロブスカイト結晶を用いた光学冷却素子で、電灯と冷房を合体させたというベンチャー企業の試作モデルだった。先日、アンジェリカの実家から送られてきたこれは、今の所冷房がないという理由でエリサの部屋に設置された。室内を照らしつつ、なおかつ冷却もできる優れものだが、これを作った企業は夜と冬に使用することを想定していなかったらしい。エリサはどこか忌々し気な目線で照明を見つめる。


「二兎を追うもの、一兎も得ず。でしょうね」

「一石二鳥。わたくしが好きな言葉ですわ」


 エリサが呆れながら座布団を差し出すと、アンジェリカはそこに座る。エリサはアンジェリカの向かいに座ると、大きなため息をついた。


「どうしますの? 何か解決策は思いつきませんの?」


 エリサが言うと、アンジェリカは腕を組んでううん、と唸る。


「今から考えるんですの!?」


 エリサが呆れたように叫ぶと、アンジェリカは絞り出すように話し始めた。


「少なくとも間違いなさそうな事を言うとするならば」


 どこか神妙な口調で話し出すアンジェリカ。エリサが眉を顰めて耳を傾ける。


「ユーリの飛行停止処分明けから、今回の事故まで、そう間隔が空いていませんわ。それすなわち、ユーリのフラストレーションが十分に解決されないまま、また空が飛べなくなってしまったこと」

「見ればわかりますわよ……」


 エリサがそうげんなりしたように言う。それに対していいえ、と強い口調でアンジェリカが言いかえす。


「ですので、この観察結果から、ユーリにさせてはいけないことがおのずと見えてきますわ」

「と、言いますと?」


 そうエリサが尋ねると、アンジェリカはどこか鬼気迫る表情で右手の人差し指を立てる。


「ひとつ――ユーリが、全裸か、それに近しい恰好で空を飛ぶことを阻止すること」


 何を馬鹿な、エリサは咄嗟に言い返そうとして、口ごもる。飛行停止処分明けのユーリがどうしていたか、真新しい記憶だけが物語っていた。犬を飼ったことはないが、広いドッグランに連れて行ってリードを離した瞬間と言うのは、きっとああいう感じなのだろうということは容易に想像できた。


「それで、残りは何ですの?」

「ふたつ。ユーリが、VRをプレイするのを阻止すること」


 VR。幻術を使ったVR機器のことだろう、とエリサは思い至った。エリサがこの屋敷に来てから、ユーリに貸してもらっている機器。初めて使った時には驚いたものだった。まるで明晰夢を見ているような気分で味わうゲームの世界は、まるでその世界に転移したかのような気分だったものだ。

 でも、とエリサは思う。


「それならば、ユーリさんにこれで気晴らししてもらうのはいけないのですか?」


 そう言ってエリサは机の上に置いたVR機器のゴーグルを手に取る。曼荼羅と電子回路を足して二で割ったような表面の模様が、室内灯の灯りに照らされてかすかに煌めく。


「落ち着いて聞いてくださいまし。今の『飢え』ているユーリにそんなもの渡してみなさい。きっと」

「――聞いた私が愚かでしたわ。ごめんなさい」

「わかればよろしい」


 きっと、寝食を忘れてプレイするだろう。その果てに待っているのは、ベッドの上で衰弱死したドラゴンが一人、と言うことになりかねない。


「で、ですが、ユーリさんに食事をとるように言って聞かせるのは、貴女ならできるはずですわ」

「仮にそうだとしても、ユーリはトイレと食事とVRを行き来するだけになりますわよ」


 ひゅっ、とエリサの息が詰まった。そんな事をしていれば、みるみるうちにユーリは太っていくだろう。今の細身で、それでいて筋肉のしっかり付いた身体が、脂肪に覆われて滑らかになっていく。柔らかく、弾力があって――。


「「はっ!」」


 二人で同時に息を呑んだ。現実世界にようやく戻ってこられたらしい。アンジェリカは口元に垂れたよだれを手で拭う。


「ぽ、ぽっちゃりしたユーリが良いかどうかは、また別の話にしましょう。今はユーリの問題解決が先ですわ」

「え、ええ。そうですわね」


 二人でしどろもどろになりながら話題を軌道修正する。大幅なデルタVを用いた気もするが、些細な問題だった。


「こんな時、咲江がいてくれたらユーリをうまくコントロールしつつ、『ガス抜き』できるのですが……」

「咲江先生が?」

「あの方、夢魔としての性質も持っていますわよ。好きな夢を見たくなったら、同衾させてもらいなさい」


 エリサの中で、本能的恐怖と好奇心がせめぎ合う。最近咲江のエリサを見る目がなんだかよくない目な気がしていた。具体的には、アリシアに向ける目に似ていた。

 はぁ、とアンジェリカがため息をつく。そうしてお互い静かに沈黙していると、ユーリが包丁を研ぎ続けている音が聞こえてくるようだった。すっかり耳にこびりついてしまった。


「それにしても」アンジェリカが呟く。「ユーリに『ベス』と呼んでもらうようになるとは。随分と溶け込むのが早いですわね」

「別に、大したものではありませんわ。ただ、私の名が『エリザベス』から来ていたとだけ、ユーリさんと共に知っただけですもの」


 エリサの荷物の運び入れ。財産を差し押さえられ、その中でも辛うじて持ち出せた、家族の日記や書籍、僅かな家具。それらの中に、エリサの両親が祖母に宛てた手紙があった。そこに書かれていたのは、当時まだお腹の中にいた子の名前を、エリザベスにするという提案。それが日本風に略されて、絵理沙。その手紙を、ユーリに荷ほどきを手伝ってもらった時に見つけたのだ。


「イギリス系でしたわよね、貴女のお婆様は」

「ええ。お爺様に嫁いで来て……それからの顛末は、貴女に語った通りですわ」


 エリサは、丁寧に巻かれた縦ロールヘアを指でくるくると弄ぶ。アリシアに教わりながらやっていたセットも、今ではすっかり板についていた。


「ともかく」エリサは、仕切り直すように言う。「ユーリさんの問題を、どうにかいたしませんと」

「休日の終わり、ですわね」アンジェリカがぼやく。「オペレーション・ホリデーダウンですわ」

「……ひょっとして、私の時もそうやって作戦を練ってらしたのかしら」


 エリサがそう尋ねると、アンジェリカは小さく目を丸くした。


「ご明察ですわ。流石」


 アンジェリカの驚いたような顔に、エリサはムッとしつつもため息をついた。


「ちなみに、どんな作戦名か聞いても?」

「オペレーション・ターミネーションマリッジですわ」


 エリサは、黙ってアンジェリカの両頬をつまんだ。


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