03/Sub:"オーバーホール"
ユーリは、ふらふらとフライトスーツから電子航空免許端末と、フライトバッグを取り外した。かろうじて無事だったバックの中は、沖縄土産が入っている。それを横にのけて、しばらく『フライトスーツだったもの』を抱きかかえて呆然としていると、足音。それに気づいたのは、彼女等が風呂場のドアを開けて入ってきたときだった。
「……ユーリ」
ゆっくり振り替えると、アンジェリカが心配そうな目でユーリを見つめていた。後ろには、少し血の気が失せたエリサ。
「怪我は、大丈夫ですの?」
「ああ、うん。アリシア姉さんも治療してくれた。もうすっかり元通りさ」
そう言ってユーリがフライトスーツの残骸を抱えたまま、立ち上がる。
「あっ」
機関部の筐体が、音もなく外れる。中に入っていた機器がこぼれるように床に落ち、硬い音を立てた。焦げて伸びきった光ケーブルが出来の悪い麺のようにだらりと床に垂れた。
無言でしゃがみこみ、床に散らばった機器を拾う。無理やり機関部の中に納めて立ち上がる。抑えていなければ、すぐにでもバラバラになりそうだった。
「ユーリ、その」
「いや、いいんだ」ユーリはゆっくりとかぶりを振る。「最近、調子が悪かったんだ。いつ壊れてもおかしくはなかった。それが来たってだけ」
「ユーリさん」
エリサが言う。
「無理は、しないでくださいまし」
「……ありがとう、ベス」
ユーリがそう言うと、一瞬嬉しそうな笑顔を浮かべるエリサ。それにアンジェリカは小さく振り向いて横目で見ると、ため息をつく。
「それでユーリ、どうなさるのです、その……」
「あー、それなんだけど」
ユーリは手の中でフライトスーツの残骸をゆっくりと丸める。機関部がこぼれないように。どこか丁寧に。
「母さんに言って、処分してもらおうと思う」
「お義母様に?」
エリサが小さく疑問符を浮かべると、ユーリは頷いた。
「民間放出品とはいえ、元軍用品だったし、下手に燃えるゴミに出したりするのは、マズいかなって」
そうユーリが言うと、アンジェリカは納得したように頷いた。
「ですわね……餅は餅屋、とまでは言いませんが、その道に詳しい人に仰ぐのが妥当そうですわね」
「とりあえず、ごみ袋に入れておくよ」
ユーリがそう言うと、アンジェリカが待ちなさい、と声を上げた。
「仮にも大切なものだったのでしょう? そんな粗末に扱うなんて」
「……どうしようもないくらい壊れれば、もうただの物さ」
それに、とユーリは続ける。
「これは、僕なりのケリのつけ方、だ」
ユーリはどこか硬い意思が浮かぶ表情でつぶやく。そんな彼の様子に、アンジェリカと得エリサは、ただ立ち尽くす。ユーリが二人の間を抜けようとしたときに、アンジェリカが彼の腕をつかんだ。
「袋を持ってきますわ」
「いいよ、僕がやる」
「貴方のケリのつけ方がそれなら」アンジェリカは、赤い瞳でユーリを真っすぐ見据えた。
「これは、わたくしのケリのつけ方ですわ」
アンジェリカはそう言うとエリサの横を通り、カツカツと足音を鳴らし廊下に出ていった。エリサとユーリだけが、その場に残される。
そっと、エリサがユーリの手を取る。彼女に引かれるがまま風呂場から出ると、ユーリとエリサはベッドに腰を下ろした。
「大事な、物だった……ですわよね」
「うん。思い出の物でもあるし、生活必需品みたいなものだった」
昔、さ、とユーリは語り出す。
「幼い頃、お気に入りのタオルケットがあって、それを握りしめてないと寝れなかったんだ」
「まあ、可愛いらしいですわ」
ユーリは、少し恥ずかしそうに笑う。
「寝る時には、ずっと使ってた。洗うたびに太陽の匂いがするそれに、ずっとくるまっていた。だけど、所詮ただのタオルケットだ。使って、洗っていくうちにどんどん薄くなっていって……」
ユーリは、手元の残骸を見る。
「父さんが縫って直してくれたりしてたけど、それでも限界は来る。ボロボロの、出来損ないの網みたいになったそれを、捨てなきゃいけない日が来た」
ユーリは、それを懐かしむようにつぶやいた。
「一思いに、母さんがドラゴンブレスで焼いてくれた。今思うと、あれは母さんなりの慈悲だったんだと思う。ごみ焼却場で一緒くたにではなく、手で」
エリサは、何も言わずにユーリの手に、自分の手を重ねた。
「辛かったけど、それ以上にどうしようもないんだ、ってのが嫌と言うほど分かった。だから……必要なのは、しっかりケリをつけなきゃいけないんだ」
「お強いのですね、ユーリさんは」
「ベスだって、こういうことはあっただろう」
そう言われると、エリサは少し困ったように微笑む。
「ごめんなさい。私、そういう風に『大切なもの』が、出来たことが無くて」
「……ごめん」
「謝ることはありませんわ。私の人生だったのですもの」
だから、とエリサは続ける。
「これからそういうものが出来ればいい。そう思っていますわ」
そう、気丈に彼女は言った。
「強いな、ベスは」
ユーリがそう言うと、エリサは気丈に笑う。
「貴方達についていくと決めたのです。それにいらない物を置いて行かねば前に進めないと、そう教えてくれたのは貴方でしてよ?」
「……そうだったね」
今度は、ユーリが苦笑いを浮かべる番だった。
重い気持ちを払っていると、部屋のドアがガチャリと開く。そこにいたのは、ごみ袋を持ったアンジェリカだった。何も印刷されていない、瓶や缶、ペットボトルを入れるための多目的生分解性プラ袋。
「ありがとう」
「何処にあるかわからなくて大変でしたわ」
ユーリはそれを聞いて、買って帰ってから倉庫に入れていつもの定位置に出していないことを思い出す。
「あー。ごめん、後で出しておく」
「構いませんわ。四枚ほど、キッチンの戸棚に入れておきましたわ」
「ありがとう、アンジー」
「よろしくてよ」
そう彼女は言うと、持っていた大きなゴミ袋を広げる。家庭用の、『大』のサイズのゴミ袋が、口を開ける。ユーリはしばし、袋の口と手元で何回か視線を往復させて、それから中にそっと、残骸を落とすようにして入れた。アンジェリカが手早く口を縛る。
「ありがとう」
「どういたしまして、ですわ」
ユーリはゴミ袋を受け取る。半透明のゴミ袋は、中に何が入っているかを分かりづらくさせる。焦げているのもあって、教えられなければ中に入っているのがフライトスーツだとはわからないだろう。せいぜい、使い古したリュックか何かに見えそうだ。ベッドから降りると、それを部屋の隅の目立たないところに、押しやるように置いた。
「……ふぅ」
小さく息をつく。そうして、どこかふらふらとした足取りでエリサとアンジェリカの前を素通りすると、風呂場に置いてあったフライトバッグを持って戻ってくる。
「アンジー、ベス、お土産」
「……この状況で渡されても嫌ですわ!」
しぶしぶアンジェリカが受け取って中を開くと、入っていたのは冷凍の豚肉、海ぶどうのパック、シークワーサー果汁の濃縮液が入ったボトルだった。幸い、どれも無事だった。
アンジェリカはバッグを閉じると、ため息をついた。
「海葡萄以外は、今度ですわね」
「ごめんよ、アンジー」
「構いませんわ。解凍の手間だってありましたでしょうし」
アンジェリカはバッグを閉じてテーブルの上に置く。断熱バッグなのもあって、すぐに冷蔵庫に入れなくても大丈夫だろう。彼女はそのままベッドに腰掛ける。ユーリの隣、エリサの反対側。
「どうしますの?」
「どう、って?」
アンジェリカの問いにユーリが聞き返すと、アンジェリカはあっけらかんと言い放つ。
「新しいフライトスーツ、用意するのでしょう?」
「アンジェリカ!」
デリカシーがない、と言わんばかりのアンジェリカの言葉に、エリサが思わず声を上げるが、ユーリはそれを制する。
「いや、良いんだ、ベス。そしてアンジー。そのつもりだよ」
「宛は、ありまして?」
ユーリは、しばし黙って、それから上半身をベッドに投げ出した。それを見たアンジェリカが呆れたように言う。
「無い、と言うことですわね」
「恥ずかしながら、そう言うことになる」
ユーリがあのスーツに固執していたのは、ユーリの高高度超音速の飛行に、耐えれるスーツがないのが原因だった。通常の市販の物では、ユーリがスーパークルーズなんてしようものなら融けて風圧でずたずたになるだろう。スポーツ用のハイエンドの物でも、ユーリがドラゴンブレスを流して冷却する必要があるだろう。軍用のスーツも冷却が必要なのは同じだが、もとより頑丈にできているのと、霊力を流すときの抵抗の低さが段違いだった。そして何より、タフだ。ユーリの飛ぶ様々な空でもその役割を果たす、と言うのは必要条件だった。
「まず、お金がない」
「あら? ユーリのフライトスーツ代なら、わたくしが出しても構わないですわよ?」
「わ、私も手持ちはありますわ!」
アンジェリカとエリサが声を上げるが、ユーリは丁重に断る。何だかヒモみたいな気がして、憚られた。
「あら? でもユーリがアルバイトを生活費に充てているのは知っていますわよ」
「だからこそだよ。趣味嗜好にお金を出すのは、よく考えないと。幸い、アルバイトの時はフライトスーツをレンタルできるから、バイトに支障はない」
そう、どこか強がるように言うユーリ。思わずエリサとアンジェリカの目が、合う。しばしの逡巡の後、アンジェリカは言を決したように言う。
「ですけれど、ユーリ」アンジェリカは、どこか呆れを声に滲ませて言う。「仕事以外で空を飛べなくなるのが、貴方に耐えられるとはわたくし、到底思いませんわ」
「心外だな!?」
思わずユーリが起き上がるが、アンジェリカとエリサは顔を再び見合わせる。
「ねえ、そう思いませんこと? エリザベス」
「ええ。全くですわ。アンジェリカ」
「味方が、いない」
ユーリは、思わず頭を抱える。ええい、とベッドから立ち上がるとバッグを掴む。
「僕は、大丈夫だよ。バイトでコツコツお金を溜めて、またユニオンからの放出品を買う。それで、また空に上がれる。シンプルじゃあないか」
そう言って彼は、どこか早歩きでバッグを掴んで部屋から出ていった。そうして残されるアンジェリカとエリサ。
アンジェリカが、ぽつりと言う。
「一週間、ですわね」
「そこまでですの? 前の飛行停止処分は二週間でしたのに」
「状況が違いますもの。まぁ」アンジェリカは、口調と裏腹に憂いを帯びた表情を浮かべる。
「見ておくことですわね」
「……もう少し、優しくして上げた方がよくてよ」
エリサが呟く。外で、雷鳴が轟いた。




